阪急線“ナゾの終着駅”「宝塚」には何がある?
文春オンライン / 2024年12月2日 6時0分
阪急“ナゾの終着駅”「宝塚」には何がある?
大阪を中心とする関西地方に暮らしている人にとって、「宝塚」という町はやや特別な存在感を持って捉えられている町ではないかと思う。こんなことを関東の人間に言われても余計なお世話だろうが、「宝塚」という町の名にはやはり他の町とは少し違う、特別な響きがある。
単に「宝塚」といったとき、だいたいの場合は宝塚歌劇団を意味することが多い。宝塚歌劇団は、あまりにも有名すぎる。おかげで、宝塚歌劇団から町の名も宝塚と名付けられたと勘違いしている人もいるかもしれない。トヨタ自動車の豊田市という例もあるから、歌劇団から宝塚と命名されたとしても、何の不思議もない。
が、実際にはそんなことはなく、地名としての宝塚はだいぶ古いようだ。
宝塚市内には“塚”と呼ばれる古墳が多く、塚のそばで物を拾うと幸せになるという言い伝えがあったとか。それが転じて宝塚というようになったと、江戸時代の文献に記されている……というようなことが、宝塚市のホームページに載っていた。
真偽は定かではないようだが、いずれにしてもかなり古くからこの地域は宝塚と呼ばれていたことは間違いない。先行したのは、歌劇団ではなく地名なのである。
……などということを書き連ねても、本質的にはあまり意味がないだろう。少なくとも、宝塚を訪れる機会に乏しい人ほど、宝塚=宝塚歌劇団というイメージが定着しているといっていい。そうして名を轟かせる宝塚、ほんとうはどんな町なのだろうか。
阪急“ナゾの終着駅”「宝塚」には何がある?
宝塚市の玄関口・宝塚駅に向かうルートはいくつか用意されている。大阪駅を拠点にすれば、JR宝塚線か阪急宝塚線を使うのが王道だ。
どちらも区間快速や急行に乗って30分ほど。しばらくは猪名川を挟んで離れたところを走っているが、川西市付近からはほとんど並走し、宝塚駅はどちらも武庫川の左岸側。間に大きなロータリーを置いて向かい合っている。JR線は宝塚駅から先も武庫川に沿って線路を延ばしているが、阪急宝塚線は宝塚駅が終点だ。
「まさしく宝塚駅は、阪急の城である」
JRと阪急電車、どちらで宝塚駅にやってきても、抱く第一印象は想像通りだ。宝塚駅は、まさに阪急の駅である。JRの宝塚駅は比較的コンパクトなのに対し、阪急の宝塚駅はまるで中世ヨーロッパの古城の如く堂々たる面構え。
さらに駅舎から直結のソリオという商業施設には阪急宝塚(百貨店)が入り、他にも並みいる専門店が目白押し。高級感のある店が入っているかと思えば、古くから地場で頑張ってきたのであろう個人店も軒を連ねる。
ソリオの中を東側に抜けてゆけば、「花のみち」。宝塚ホテルの脇を通った先の武庫川の畔には、宝塚大劇場が聳えている。周囲のマンションともども赤い屋根が印象的な統一された町並み。
まさしく宝塚駅は、阪急の城である。阪急宝塚駅の南口、ソリオに通じる小さな広場は宝塚ゆめ広場と名付けられ、中央には宝塚歌劇のモニュメント。まったく、この駅は宝塚歌劇と阪急の世界観の中に浸れる駅なのである。
駅前から少し離れても、宝塚歌劇や駅前商業施設を核とした、華やかで上品な雰囲気は変わらない。
阪急宝塚駅の南側から宝来橋で武庫川を渡った向こう側。そこにも温泉施設や旅館、大きなマンションなどが並び、この町がそこらへんの町とは違う、特別な地であることを誇示しているかのようだ。
いつからこんなに「阪急の町」になった?
宝塚が阪急の町になったのは、1910年に箕面有馬電気軌道(箕有電車、現在の阪急電鉄)が開業してからのことだ。
ただし、それ以前から現在のような行楽の地となる素地はあった。1887年に宝塚温泉が開かれ、1897年に阪鶴鉄道(現在のJR福知山線・JR宝塚線)の開業を契機に温泉旅館が建ち並び、それなりに賑わっていた。宝塚の温泉は古くから知られていたが中世に衰退、改めて明治になって発見・整備されたというわけだ。
1910年に宝塚まで線路を通した箕有電車は、その温泉に目をつけて1911年に武庫川左岸に宝塚新温泉を開く。沿線のレジャー施設として、集客力に期待したのだろう。これが、すべてのはじまりだった。
新温泉の目玉は、温泉の他に屋内プール。しかし、せっかくの温泉のプールなのに温水ではなく、思うように客足が伸びなかった。そこで、プールを閉鎖して劇場にリニューアル。1914年には少女歌劇の公演がはじまった。これが、宝塚歌劇のルーツである。
箕有電車はさらに宝塚を一大レジャースポットとして発展させてゆく。1924年には宝塚大劇場と遊園地の「ルナパーク」。その後も植物園や動物園を開き、戦後の1960年には遊園地や動植物園をまとめて宝塚ファミリーランドとしてリニューアル。宝塚にあって、宝塚歌劇と並ぶ集客施設として人気を集めた。
宝塚市民のみならず、阪急沿線の住宅地に暮らす人たちが休日に遊びに出かけるレジャーランド。それが宝塚だった。
宝塚ファミリーランドは2003年に閉園、跡地はマンションなどになっている。ただ、歌劇団はもちろんいまも健在だ。
阪急沿線を代表する行楽地という、宝塚駅周辺の性質はいささかも変わっていないといっていい。大劇場周辺に加え、武庫川の対岸にはいまも温泉旅館や日帰り温泉。新旧二つの温泉地をベースに、古くは箕有電車、のち阪急電鉄が総力を挙げて開発した結果が、いまの宝塚なのだ。
しかし、である。宝塚が阪急の町であることなど、ハナからわかっていたことである。だからここで旅を終えてしまっては、最初からわかっていることを再確認しただけに過ぎない。わざわざはるばる宝塚に来た甲斐がない。改めて、もう少しだけ宝塚駅周辺を歩くことにしよう。
JR線の北側に出ると町の雰囲気が変わってきたような…
宝塚駅周辺の市街地は、武庫川の北側にJR線と阪急電車の駅があり、その周囲に広がっている。長尾山系と六甲山系から流れ出てきた武庫川の扇状地の扇頂に位置し、北も南もすぐそこまで山が迫っている渓谷沿いの町だ。
だから、武庫川の左岸も右岸も、どちらに行っても少し歩くだけで急坂にぶつかる。急斜面を切り開いているから、道路も地形にあわせてくねくねと入り組んだ路地ばかり。
そうした中にも大きなマンションや立派な御邸宅などが並んでいて、歴史ある高級住宅地らしい雰囲気を漂わせる。あまり意識はしなかったが、駅周辺の大通りから離れれば、見かけるクルマは高級車ばかりだったような。
ただ、JR線の北側に出ると、少しだけ雰囲気が違う。
もちろん駅の目の前には小洒落た雰囲気の商店街があったりして、阪急の町・宝塚と本質的には変わらない。それでも大正時代以降発展したという武庫川右岸側の住宅地とはどことなく様相が異なる。それは、少し歩いて有馬街道という道筋に出ると、ますます明確なものになった。
JR線や阪急電車に沿うように、東西に通っている有馬街道。古くは有馬温泉と大阪や京都を結んでいた街道で、その名の通り有馬温泉に通じる道だった。
京都の皇族や貴族、また名だたる武将もこの道を通って有馬温泉を訪れていたという。阪急電鉄の前身が箕面有馬電気軌道といったのも、もとは旧有馬街道に沿って有馬温泉を目指す予定があったからだ。
ただ、有馬街道の往来が盛んだった時代には、現在の宝塚駅周辺はそれほど栄えていなかった。むしろ、少し東側(宝塚インターチェンジ付近)の小浜という地域に市街地が形成されていたようだ。
事実、宝塚市の前身・宝塚町が1951年に町制を施行するまでは、小浜村と呼ばれていた。それくらい、有馬街道沿いの小浜は賑わいのある町になっていたのだろう。
もしも明治時代に温泉が見つからなければ…
それから宝塚が中心市街地として大いに発展したのは、温泉と阪急が手がけた開発によるものだ。つまり、裏を返せば、もしも明治時代に温泉が見つからなければ、その後の命運がどうなっていたのかはわからない。
宝塚歌劇も生まれなかったかもしれないし、場合によっては箕面有馬電気軌道の名の通り、阪急電車は有馬温泉につながっていたかもしれない。およそいまのような行楽地・住宅地としての宝塚は存在しなかったに違いない。
しかし、それにしてもである。町の真ん中を川が流れ、すぐに山が迫っている地理環境。それでいて、大阪からは鉄道で30分程度という至近距離。そうした宝塚の町中に温泉があって、宝塚歌劇があって、立派なホテルも建ち並ぶ。典型的な“奥座敷”といっていい。
大都市の後背地の奥座敷は、だいたい歓楽街の要素を持っているのが常だ。特に近代以降の奥座敷は、たぶんにそうした側面を有していた。
しかし、宝塚はそうはならなかった。品格を備えたホテルや旅館が並び、少女が歌って踊る唱歌隊はただの“色モノ”ではなくあの宝塚歌劇団に昇華し、歓楽街的な要素とはほど遠い、宝塚にしかない個性を持った町ができあがったのだ。そして、結局話が戻って来てしまうが、それを築き挙げたのは、阪急電車なのである。
写真=鼠入昌史
(鼠入 昌史)
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