1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

「15歳の少年少女に性行為を認めさせなければ…」『金八先生』で描かれた“女子中学生の出産”「命を削って書いた」ドラマ現場で起きていたこと《視聴率39.9%》

文春オンライン / 2024年11月30日 6時0分

「15歳の少年少女に性行為を認めさせなければ…」『金八先生』で描かれた“女子中学生の出産”「命を削って書いた」ドラマ現場で起きていたこと《視聴率39.9%》

11979年から2011年まで32年間にわたり放送されたTBS系『3年B組金八先生』。写真は第7シリーズ制作発表会見の様子 ©時事通信社

〈 「もっとオープンな形で性の問題を」山口百恵(当時21歳)は鋭い発言…“女子中学生の妊娠”に驚愕、『金八先生』第1作が広げた波紋 〉から続く

 1979年11月30日、TBS系のテレビドラマ『3年B組金八先生』の第6回が放送された。同回は、「十五歳の母」というサブタイトルのもと前々週から3回にわたって続いた一連のエピソードの一応の完結編であり、杉田かおる(当時15歳)演じる中学生・浅井雪乃が同級生との子どもを妊娠・出産するという展開は、当時大きな反響を呼んだ。その制作背景とは……。(全3回の2回目/ はじめ から読む)

◇◇◇

15歳の俳優に性行為のセリフを…脚本家の苦しい心情

『3年B組金八先生』の脚本家・小山内美江子が、「十五歳の母」のエピソードのモデルとしたのは、その放送の6年ほど前、実際に中学3年で妊娠し、自ら働いて費用をつくると、たった一人で産院で出産したという女性であった。小山内は彼女のことを知り、自身も離婚後、働きながら子育てをしてきただけに色々と考えさせられたという。

《一人前の大人でも、子供を抱えて働くということは大変だが、A子さん[引用者注:小山内による仮名]は、十五歳で母となったばかりに、おそらく好奇な目で見られたことも多かったろうし、ゆえなくして非難されたこともあっただろう。にもかかわらず、子を産んだというのは犯罪ではないのだ》(『小山内美江子の本2』労働旬報社、1980年)といった小山内の思いは、そのまま劇中の雪乃に反映されている。

 しかし、「十五歳の母」の執筆は小山内にとって苦しい仕事であったという。当時の心情を彼女はこう吐露している。

《ストーリイ自体は、始めから書くと決めていたので、何の迷いもありませんでしたが、いざ書き出すと、まだ十五歳、おそらく未経験にちがいない少年少女俳優が、ドラマの上とは言え、性行為を認めなければ話は進行しない。にもかかわらず、私は書くべきセリフを探し出せず、ただ脂汗を流すばかり、その子供たちが可哀そうで、親御さんに申訳なく、これ程オロオロしたのは始めてでしょう》(『テレビドラマ代表作選集 1980年版』日本放送作家組合編集・発行、1980年)

『金八先生』は第3回まで基本的に1話完結型で進んできた。「十五歳の母」はその内容ゆえあらかじめ前後編にするとプロデューサーの柳井満からも了解を得ていたが、親や教師の身になって書いていくと、2回でもとても収まらず、ついに3部作となった。

「作家の筆圧を感じる」とぼそりと呟いた

 当時、小山内は1回分の脚本を書き終えるごとにいつも消耗し切った姿でスタジオにやって来た――とは、金八の同僚・左右田先生を演じた財津一郎の証言である。財津いわく《まさに命を削って書いていたんでしょうなあ。台本を見ると、よくこんな台詞が書けるなあということばかり書かれてあるんです》(古沢保『3年B組金八先生 卒業アルバム 桜中学20年の歩み』同文書院、2000年)。

 伊東先生役の福田勝洋(現在は室積光の筆名で作家としても活動)も、リハーサル室に「十五歳の母」の脚本が届けられたときの光景をよく覚えていると、次のように記している。

《社会科教師役の上條恒彦さん、家庭科教師役の吉行和子さんらも「読みました?」と衝撃をあらわにしていて、張り詰めた空気の中、黙り込んでいた英語教師役の財津一郎さん(故人)がぼそりと「作家の筆圧を感じる」とつぶやいた。台本に込められた思いの強さを、役者全員が受けとめていた》(「読売新聞オンライン」2024年4月10日配信)

「長ゼリフが嫌いな倍賞美津子さんまで…」

 もっとも、小山内が後年、《あの“愛の授業”は財津さんが、収録現場でそういうムードをつくってくれたの。それで、長ゼリフが嫌いな倍賞美津子さんまでが、感動的な授業をしてくれてね》(『ザテレビジョン別冊 「3年B組金八先生」25周年記念メモリアル』角川書店、2004年)と語っているように、あの回が反響を呼んだのは俳優の熱演によるところも大であった。しかも、金八だけではなく、教師たちがそれぞれ知恵を絞り、同じ結論に向かって授業を進めるというチームワークぶりが、この回をさらに感動的なものにしている。

「十五歳の母」に届いた抗議の声

「十五歳の母」に対しては先に紹介したとおり賞賛の声が多数届いた一方で、抗議もあった。小山内もあるPTAの会合に呼ばれ、「ああいうものをテレビでやってほしくない」と言われたりしたという。彼女はそうした騒ぎの原因は、このドラマをマスコミが性教育をテーマにしているとしきりにとりあげたことにあると考えた。作者からすれば、そのような見方はいささか誤解しており、くだんの会合でも《「あれは愛の物語です。そして生命の問題です。決して性の問題だけではありませんから」とかなりむきになっていった覚えがあります》という(『小山内美江子の本3』労働旬報社、1985年)。

受験生の死を描いた作者の思い

 第6話の終わりがけには、公開授業を行ったその日が、左右田先生の一人息子の三回忌だったことがあきらかにされた。息子は生きていれば中学3年になっていたというから、13歳ぐらいで亡くなったのだろう。この場面からも『金八先生』のメインテーマが「生命の問題」であったとわかる。小山内によれば、さらにこのあと、雪乃の出産直後に、彼女の兄が東大受験に失敗して自殺するというショッキングな場面(1980年3月14日放送の第21回)を設けたのも、やはり命の尊さを訴えたかったからだという。

 ただし、こうした展開になったのは、プロデューサーの柳井が、後半になって視聴率が毎週上がっていたのに乗じて、劇中で誰か一人殺せないかと不謹慎にも提案したのが発端だという。これに対し小山内は、生徒は誰一人死なせるわけにはいかないと猛反対するも、柳井が慌てる姿を見て、とっさに「死ぬのは雪乃の兄だと決まっている」と口走ってしまったらしい。

 小山内に言わせると、本作で一番かわいそうだと思っていたのがこの兄だった。彼は人生の楽しみを一切遠ざけて受験勉強に打ち込みながらも挫折したあげく、自ら死を選んでしまう。小山内は、息子に先立たれて悲嘆に暮れる親の姿を描き、あえて死者に鞭打つことで「人間勝手に死んではいかんのだぞ!」と訴えたかったという。武田鉄矢もそんな脚本家の意を汲んで、金八が兄の死を生徒に伝えるシーンでは涙ながらに熱演してみせたのだった。

 その収録で武田はスタッフから、撮り直すと子供たちが持たないから一発で成功させてほしいと言われていた。一方で子供たちは演出家に「よい言葉だと思ったら真剣に聞け、つまらなかったら聞かなくていい」と言われており、武田はますます追い込まれる。《だから、セリフが真ん中まで進んでゴールが見えてくると、涙が出てくるんですよ。解放されるっていうのもあって、気持ちがそれまでの倍くらい乗るんです。そうしたら子供たちの顔もどんどん変わって、泣きだすやつもいるんです》と彼は後年振り返っている(『週刊新潮』2019年8月29日号)。シーンを終えたときには、生徒全員が達成感から万歳したという。

『金八』シリーズ最高視聴率を記録

 最終回(1980年3月28日放送)では、法律上はまだ結婚できない雪乃と保のため、クラスメイトらが卒業式後の謝恩会のなかで結婚式を開いてくれた。この回の視聴率39.9%は、その後の続編も含め『金八』シリーズにおける最高記録である。1984年には『金八先生』の第1シリーズから「十五歳の母」のエピソードを再編集した総集編も放送された。

 さらに1995~96年放送の第4シリーズでは、第1シリーズの雪乃と保と同じ15歳になった二人の息子・歩が登場、あのときの産むという選択が正しかったかどうか、改めて問い直されることになる。「十五歳の母」が投げかけたテーマは、それほどまでに重いものだったといえる。

〈 「事務所が倒産、借金返済のため仕事は選んでいられなかった」当時15歳の杉田かおるが妊娠・出産を…視聴率39.9%“伝説のドラマ”が残した衝撃のゆくえ 〉へ続く

(近藤 正高)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください