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「卵巣が5倍に腫れている」「破裂するかもしれない」27歳で“がん”発覚→卵巣摘出…大企業出身の女性(32)が語る、壮絶な闘病生活

文春オンライン / 2024年12月15日 11時0分

「卵巣が5倍に腫れている」「破裂するかもしれない」27歳で“がん”発覚→卵巣摘出…大企業出身の女性(32)が語る、壮絶な闘病生活

入院中の長藤由理花さん(写真=本人提供)

〈 「私の人生、終わったな」恋も仕事も順調だった27歳で突然“卵巣がん”宣告…大企業出身の女性(32)が明かす、がん発覚の経緯 〉から続く

 フードコーディネーターとして活躍する長藤由理花さん(32)は、27歳のときに卵巣がんが発覚。抗がん剤治療の影響で妊娠も難しいと言われたが、奇跡的に妊娠。そして現在、3歳のお子さんの子育て中の長藤さんに、がん発覚から闘病生活について、また当時の仕事や恋愛についても話を聞いた。(全3回の2回目/ 3回目 に続く)

◆◆◆

卵巣がんを伝えたときのパートナーの反応

――27歳の時に判明した卵巣がんを最初に伝えた人は、当時交際を始めたばかりの今のパートナーだったそうですね。

長藤由理花さん(以降、長藤) 付き合ってまだ2週間だったので、今の段階でお別れしたほうがいいと思って話をしに行ったら、がんを伝えたときの彼の第一声が、「病気がわかったのが、一緒にいられる今で良かったよ」みたいな言葉だったんです。

――前向きな言葉ですね。

長藤 絶対泣かないで笑顔で別れるんだと強がっていましたが、彼に「今で良かった」と言われた瞬間、涙が止まらなくなってしまって。私自身、そこではじめて病気を受け入れられたような気がするし、頑張らなくちゃと思えましたね。

――お仕事はどうされたのでしょうか。

長藤 復帰の目処も立たないのに在籍し続けては会社に迷惑がかかるだろうと思って、退職するつもりで上司に連絡したんです。

 そうしたら上司が、「何年かかっても席は取っておくから、治療を頑張って戻ってこい」と言ってくれて。当時はリクルートの営業職で100人ほどお客さまを抱えていたんですけど、上司が一手に引き受けてくれました。

――パートナーといい上司の方といい、寄り添いの姿勢がすごいです。

長藤 ふたりとも最初にポジティブな言葉をかけてくれたことで本当に救われましたし、そこは人に恵まれたとしか言いようがないですね。

 ただ、働き方について言えば、当然ながらどの会社でも同じ方法が通用するわけではないと思いますし、個人個人の裁量ではなく、仕事を担保しながら治療に入れる制度が必要だろうなとは思います。

卵巣が15センチまで腫れてしまい、通常の5倍の大きさに…

――告知の翌日から、どんなことをこなしていかれたのでしょうか。

長藤 告知の翌日にはすぐお客さまに挨拶回りをして、上司に引き継ぎをしました。というのも、私の状況がすでに治療を先延ばしできない段階だったんですね。卵巣って通常3センチ程度しかないらしいんですが、その時の私の卵巣は15センチまで腫れていたんです。

――通常の5倍の大きさにまで腫れていたんですね。症状もまったくなく?

長藤 本当に無症状でした。卵巣って、細い繊細な紙紐のような靭帯にぶら下がってるんですけど、卵巣の重さに耐えられなくなるとその“紙紐”がねじれて、最終的に卵巣が破裂してしまうそうなんです。

 卵巣がんは基本的には無症状で、私のように元気なまま進行するので、オフィスで普通に働いていた女性が、ある日いきなり気絶して倒れる、みたいな発見のされ方も少なくないと聞きました。気絶してしまうのは、破裂のときの痛みがとんでもない激痛だからだそうです。

――では、一刻も早く卵巣を切除する治療をされた?

長藤 すでに15センチになっていたので、告知から1週間後に摘出手術することが早々に決まっていました。

 なので、7日間のうちに仕事の引き継ぎや入院準備などの諸々を済ませなくてはならず、落ち込む暇もじっくり考える余裕もまったくなかったです。

妊娠の可能性を残すために片方の卵巣を残す決断を

――患部が卵巣ということで、将来お子さんを持つ可能性を残す選択肢はあったのでしょうか。

長藤 そこがまさに私が一番気にしていた部分だったので、告知の日にすでに細かくお医者さんに聞いて、片方の卵巣を残すことを希望したんです。

――ふたつある卵巣のうち、がんになっていない方の卵巣を残すことで、妊娠の可能性を残すということ?

長藤 そういうことになります。両方を切除する“全摘”をすれば妊娠の可能性は当然ゼロになりますが、がんの再発の可能性も低くなるので、全摘を推奨している病院も多いようです。

 ただ、私のように妊娠の可能性を残すために片方の卵巣を温存したとしても、抗がん剤の影響で卵子が残るかどうかは未知数だとも言われました。そもそも、腫れていないもう片方の卵巣に関しても、手術してみなければ転移があるかどうかもわからない状況だったんです。

――卵子凍結という選択肢もあったのでしょうか。

長藤 卵子凍結の提案もしてもらいましたが、結論としては、私は凍結はしませんでした。

 いつ破裂してもおかしくない爆弾を抱えながら、排卵のチャンスを待って十分な卵子の数を確保して……という時間的な余裕もなかったですし、当時彼はいましたが、結婚の話すら出ていない間柄で、いつ妊娠・出産するかも自分自身で決めきれていない中、この先、凍結の保存料もかかって……ということが、経済的にも時間的にも決断ができなかった、というのが正直なところです。

吐けるものがなくなっても吐く…壮絶な入院生活

――手術まで1週間しかない中で、そこまで考え抜かれたわけですよね。

長藤 運に任すというか、もはや“賭け”ですよね。それまで全身麻酔の手術も一度もしたことがなかったんですけど、手術の怖さより、子どもを持つ可能性が残せるのかどうかだけがずっと気になっていました。だから、手術が終わって麻酔から目を覚ましたとき、先生から「きれいに片方残せましたよ」と言ってもらったときは、安堵の涙が止まりませんでした。

 そうして卵巣は残せましたが、結果的に卵子がどれくらい残ってくれるかは祈るのみ、という状態で抗がん剤治療に入りました。

――抗がん剤の副作用は厳しかったですか。

長藤 数ある薬の中でもトップクラスに副作用の強い抗がん剤だったんですけど、何かを握りしめてないと吐き気に耐えられなくて、病院のベッドの柵をへし折るんじゃないかってくらい強く握りしめて過ごすしかできませんでした。

 朝なのか夜なのかもわからないけど、そんなこともどうでも良くなるぐらいずっと気持ち悪くて、吐けるものがなくなっても吐くような生活でしたね。

――ご飯は食べられていたのでしょうか。

長藤 薬の影響で味覚障害も起こしていたんですけど、病院食特有のとろみと生ぬるい感じがダメで、一切ご飯を受けつけなくなっていました。

 唯一、カチカチの冷やご飯ならギリギリ食べられるときがあったので、コンビニで賞味期限が切れる寸前のおにぎりを冷蔵庫でさらに固くしてもらって、それを食べられるタイミングで食べる、というか飲み込む感じでした。

 あとは薬が強いので、体内に貯めないようにお水をたくさん飲んでくださいと言われていたんですけど、水を飲むのも苦しいんですよ。だから、ただただ、ペットボトルとにらめっこして過ごすような4カ月間でした。

「ほとんど卵子は残ってないです」と言われて涙が止まらず…

――抗がん剤治療は4ヶ月で終了できたのでしょうか。

長藤 その段階で14万あった腫瘍マーカーの数値が1ケタまで下がっていたので、ここで一旦寛解という診断をいただいて、予定よりもだいぶ早く終われました。

 同時に私がずっと恐れていたのは、抗がん剤の影響で妊娠できなくなることだったので、寛解と言われても晴れやかな気持ちではなかったですね。

――卵子の状態がわかったのはその先のこと?

長藤 抗がん剤治療が終わって3カ月後くらいに検査をしたんですけど、「ほとんど卵子は残ってないです」と言われました。数で言うと50代女性ぐらいの卵子の数しか残っていないので、基本的に自然妊娠は難しい、ということでした。

――それは大きなショックでしたね……。

長藤 ちょうどその時期、色んな方に復帰祝いをしてもらっていたんですけど、帰り道は涙が止まらなくて。もしかしたらあのときが一番つらかったかもしれないですね。子どもを持つ可能性を残すことだけが頼みの綱というか、そこにすがる気持ちで治療に耐えていたので、本当にこたえたんです。

 ただ、その宣告が彼と結婚するきっかけにもなりました。

撮影=細田忠/文藝春秋

〈 医者から「卵子がほとんどない」「妊娠は難しい」と言われ涙が止まらず…27歳で“卵巣がん”を経験した女性(32)が“奇跡的に出産”するまで 〉へ続く

(小泉 なつみ)

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