日大アメフト部OBが明かす「“オヤジ”篠竹元監督と内田前監督との決定的な違い」

文春オンライン / 2018年5月26日 14時15分

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内田前監督と井上前コーチの会見

「騒動の初めはOBとして“悔しい”という思いだったが、今は“恥ずかしい”というしかない」と語るのは、日大アメフト部フェニックスOBのA氏だ。

 日本大学アメフト部の「悪質タックル問題」。騒動勃発から2週間が経とうというのに一向に沈静化する様子はない。

「宮川(泰介選手)は覚悟決めて自分の言葉で話した。(監督やコーチとの間に)どんな思い違いがあったにせよ、彼の言っていることが真実としか思えない」。そうA氏が語るのは「悪質タックル」を実行したDE宮川選手が、5月22日に行った記者会見のことだ。

358人のメディアを前に孤軍奮闘

 用意した陳述書の読み上げやメディアからの質問の回答はほとんど宮川選手が一人で行い、まさに孤軍奮闘。それでも358人のメディアを前に臆することなく、自分の反則タックルが内田正人監督と井上奨コーチ(当時)の指示であったことを明言しながらも、「判断できなかったのは自分の弱さ」と語り、決して監督・コーチからの理不尽な指示を責めることはなかった。

 関西学院大学QBを負傷させた張本人でありながら、真摯に会見に臨んだその姿は多くの共感を生み、鳥内秀晃監督をして「勇気を出して真実を語ってくれたことには敬意を表したい。立派な態度だった」と言わしめた。大阪府警に被害届を出した関学QBの父・奥野康俊氏も「勇気を持って真実を話してくれたことに感謝する」と述べている。

「内田さんが監督になってから、まともな人材ほど学外に……」

 一方、翌23日に慌てて開催された内田前監督と井上前コーチの会見は、お粗末そのものだった。

 宮川選手が明かした「相手QBがケガをして秋の試合に出られなくなったらこっちの得だろう」、「やらないと意味ないよ」などといった具体的な指示内容については「つぶす」という言葉の解釈の違いと主張するのみ。宮川会見とは対照的に「何が言いたかったのか不明」、「これならやらなかった方がまし」といった声も聞かれた。

「あの人たち(内田前監督と井上前コーチ)はおかしい。情けない。全然選手を守っていない。井上だって内田さんが横にいたのでは何も言えないはず」とA氏。「内田さんが監督になってから、まともな人材ほど学外に出ていってしまう。あの人自体がまともじゃないから……」

カリスマ・篠竹幹夫にあって内田正人にないもの

 一つひとつの言葉を吐き出すように話していたA氏の口調に熱を帯びてきたのは、自身も指導を受けた恩師である故・篠竹幹夫元監督に話が及んだ時だ。篠竹氏は1959年から44年間にわたって監督を務め、フェニックスを17度の学生王座に導くなど、黄金時代を築いた。

 絶対的な威厳と支配力を持つカリスマだった。指導法はいたって厳しく、時にスパルタと呼ばれた。そのやり方に周囲からは批判の声も多かったが、それでもA氏をはじめ多くのフェニックスOBは、篠竹氏を「オヤジ」と呼んで没後12年を迎える今日でも敬愛している。

「オヤジは選手と一緒に風呂に入ったり、マージャンを教えてくれたりして選手とコミュニケーションをとっていた。スパルタと世間は言うけど、自分はそうは思わない。楽しかったですよ。そこには『へたくそ』を『日本一』にしてやるというオヤジの気持ちがあったから。信頼できたんです」とA氏。

「内田さんこそがオヤジのやり方と乖離したんです」

「僕の人生は誇れるものなど何もないけど、フェニックスでの4年間は自分にとって輝かしい、充実した時間だった。それをこんな形にしてくれて……」と悔しさをにじませる。

 篠竹氏は選手に対して常に「サムライたれ」と指導していた。筆者も生前の篠竹氏を取材した際に、「今のニッポンにはサムライがいなくなったなあ」、「あのやり方はサムライじゃないよな」などという言葉を何度も耳にしたものだ。

「オヤジはよく『切腹する覚悟でやってこい、責任は自分がとってやる』と言っていた。今回の件で、サムライは宮川だけですよ」とA氏は憤る。「内田さんこそがオヤジのやり方と乖離したんです。オヤジが空から見ていたら『内田ぁ~! しっかりしゃべれ!』と怒鳴っているに違いない」

 日大フェニックスの権威が失墜した今、篠竹氏は何を思っているのだろうか——。

生沢 浩(ジャパンタイムズ)

(生沢 浩)

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