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ライブ中に「いじめ」告発→アイドル脱退→アメリカ“超名門大学院”合格…大炎上した早稲田卒の元アイドル(25)が明かす、“生きづらかった”学生時代

文春オンライン / 2024年12月22日 11時0分

ライブ中に「いじめ」告発→アイドル脱退→アメリカ“超名門大学院”合格…大炎上した早稲田卒の元アイドル(25)が明かす、“生きづらかった”学生時代

現在はアメリカで生活しているonodelaさん(写真=onodelaさんのXより引用)

〈 ライブ中にメンバーからの「いじめ」告発→中指を立てて脱退…大炎上した早稲田卒の元アイドル(25)が語る、ステージ上での告発に踏み切ったワケ 〉から続く

 2019年7月、ステージ上でメンバーと運営からの嫌がらせを告発し、中指を立ててアイドルグループ脱退を宣言した、onodelaさん25歳(小野寺ポプコから改名)。当時、その様子を撮影した動画がネットで大きな話題となった。

 そして2024年5月。彼女は再び大きな注目を集めることになる。アメリカの名門大学院・カリフォルニア大学バークレー校(以下、UCバークレー)の卒業式で卒業生代表スピーチを行う動画がまた“バズった”のだ。

 衝撃的なアイドルグループ脱退から、アメリカの名門大学院を卒業するまで、彼女はどんな人生を歩んでいたのか。今はどんな生活をしているのか。onodelaさんに話を聞いた。(全3回の2回目/ 3回目 に続く)

◆◆◆

「一番いい学校を目指せ」教育熱心な両親のもとで育った

――onodelaさんはどのような家庭で育ったのですか。

onodela お金持ちの家庭ではないんですけど、両親がいい大学を出ていて、教育熱心という感じでしたね。

 小学校も中学校も、親の決めたトップの学校に入れられて。高校に進学するときも「一番いい学校を目指せ」と言われたんです。

 父親が金融系の会社に勤めているのもあって、小学生のときから投資について教えられたりもしていました。

――小学校のときは、どんな風に過ごしていたのですか?

onodela 社交的だったんですけど、周りと微妙にずれているところもあって。自分でそれを察するセンシティブさも持ち合わせてなかったので、“ちょっと変わってる子”という感じでした。

 空気があまり読めないところもあって。それは今もなんですけど、少しASD(自閉スペクトラム症)の気質があるのかなと。

「私、本当はアイドルになりたいのに…」と思い始めた中学時代

――学校以外ではどうだったのですか。

onodela 両親の意向で、習い事をたくさんしていました。水泳、ピアノ、書道、テニスとかもしていて。それで友だちとあまり遊ぶ時間がなかったから、空気が読めない子になったのかもしれません。

――ご両親の教育方針に、窮屈さみたいなものは感じていた?

onodela 小学生の頃は何も思わなかったんですけど、中学生になって思春期に入ってから、徐々に「私、本当はアイドルになりたいのに、何でこんなことをやってるんだろう」と考えるようになりました。その頃から、少しニヒリズム(虚無主義)的な考えを持つようになって。

「発する言葉ひとつひとつに意味がある」アイドルを目指すきっかけになった“超有名タレントの存在”

――その頃からアイドルになりたかったのですね。

onodela 小学5、6年生くらいからアイドルが好きだったんです。最初はAKB48が好きで、「キラキラしていてかわいいな」って。そこから、系列グループのHKT48も見るようになったんですよね。

――好きなメンバーはいましたか?

onodela 当時HKT48に所属していた指原莉乃さんです。指原さんはおしゃべりなイメージがあるじゃないですか。

 でも、ただおしゃべりなだけじゃなくて、発する言葉ひとつひとつに意味があって、その場を盛り上げたり、見ている人を楽しませたりできる。

 空気が読めなくて、自分の発する言葉に意味がないと思っていた私にとっては、憧れの存在でした。

――自分も指原さんのようになりたいと思った。

onodela はい。あとは、学校だと「いい子か、いい子じゃないか」という1つの基準でしか周りに評価されないじゃないですか。

 でもアイドルは、ポンコツキャラとか塩対応キャラとかもいて、欠点も魅力のひとつとして捉えてもらえる。そういう部分にも憧れましたね。

 親や教師は、いい成績を取ったらいい子、という価値観でしか私を見てくれなかったけど、アイドルになれば、ありのままの自分を受け入れてもらえるんじゃないかと思っていました。

高校2年生のときに“うつ病”と診断されて…

――それじゃあ、小学校高学年からアイドルを目指すように?

onodela いや、「アイドルになりたい」なんて私の両親は絶対OKしてくれないだろうから、高校まではその夢を隠しながら生活していました。

――高校時代も「私、アイドルになりたいのに何やってんだろう」とニヒリズムを抱えたまま生活していた。

onodela そうですね。当時はちょっと病んでいました。高校2年生のときに心療内科に通うようになって、うつ病と診断されて。

 そのときは本当に生きる意味がわからなかったんですけど、これから生きていくなら、いい大学に進学したほうがいいだろうとは思っていたので、とりあえず勉強は頑張りました。

 それに大学に入ったら楽しくなるかもしれない、という希望もあったので、メンタル的にきつかったけど、卒業するまで我慢して。

――大学に入ったら何か変わるかもしれないと思いながら。

onodela 大学に入ったら自由になって、自分のやりたいことができるんじゃないかと。アイドルのオーディションも受けられるんじゃないかと考えて、それを楽しみにして過ごしていました。

――ちなみに、早稲田大学に進学した理由は?

onodela とりあえず、都内で一番いい私立の大学を目指していたんです。それで早稲田大学と慶応義塾大学を受けて、どちらも合格して。早稲田のほうがより自由な校風だと感じたのと、国際分野に強かったのもあって、早稲田を選びました。

早稲田大学入学後、アイドルデビューが“取り消し”になったワケ

――大学入学後、実際にアイドルのオーディションを受けるんですよね。

onodela 2018年に大学生になって、4月にはオーディションを受けました。しかも、そこで合格したんです。

――それは、ステージ上で脱退宣言をしたグループではなく?

onodela 別のアイドルグループです。本当はそこでデビューするはずだったんですけど……。

――なぜそのグループでデビューしなかったのですか。

onodela 当時の自分は、本当に何もわかっていなくて。4月にオーディションを受けて、5月にデビューするのが決まって。夏にデビュー予定だったんです。

 でも私は、8月から9月の大学の夏休み期間中、海外へ行く予定だったから、帰国してからライブに出ようと思っていたんですよ。2か月出なくても、帰ってきてから頑張れば問題ないと思って。

 で、2か月経って帰国したら、事務所の人から「ほかの子はもうデビューしたけど、あなたはできないよ」と言われて、びっくりして。

大学1年の冬に、ステージ上で脱退宣言をしたグループに合格

――事務所の人には海外へ行くことを伝えていたのですか?

onodela 伝えていたんですけど、私があまりにも非常識なことを言うから、「この子は話が通じない」と思われたのか、特に何も説明されなかったんです。いま思えば、当時の私は本当にバカな考え方をしていました。

 夏のデビューは流れてしまったのですが、アイドルの夢は諦められないから、秋からまたオーディションを何個か受けて。大学1年の冬に、ステージ上で脱退宣言をした例のグループに合格したんです。

――2018年度の冬に合格して、2019年6月にデビューするんですよね。で、2019年7月にあのステージ上での事件があったと。

onodela そうなります。

――アイドルになりたい夢をご両親に隠していたそうですが、デビュー後に報告したのですか?

onodela いや、言ってないですね。

――onodelaさんは度々ネットニュースになっているから、ご両親も気づいているのでは?

onodela どうでしょう……。両親は絶対に芸能ニュースとかを見ないタイプなんですよね。だからいまのところ何も言われていないし、私が自分から伝えることもないかなと。

アイドル脱退→DJ活動→シアトル留学…“事件後”の歩み

――あの事件が起きて、2019年7月にアイドルを辞めるんですよね。

onodela そうです。大学2年のときですね。そこから少しDJとして活動して、2019年9月から1年間、交換留学生としてシアトルに留学しました。

――先ほど「国際分野に強いから早稲田大学を選んだ」とおっしゃっていましたが、もともと海外に興味があった?

onodela 留学したいとは思っていました。でも、海外で活躍したいとまでは思ってなくて。当時は、ただ視野を広げたいと思ってシアトルに行ったんです。

――シアトルに行って、考え方は変わりましたか?

onodela 実際に住んでみて「海外はいいなあ」と思いました。それで、もう少し海外というか、アメリカに滞在したいと思うようになって。結果的に大学を卒業したあと、UCバークレーに行くことになるのですが。

――交換留学が充実していたのですね。

onodela 環境に恵まれて、しんどいと思うことはなかったですね。もちろん異文化での生活で壁にぶつかることもありましたけど、すぐに解決できて。毎日が楽しかったです。

 それに、英語が上達した達成感もありました。それまでは、授業で習う英語しかできなかったけど、1年間シアトルで暮らしたら、24時間英語で生活できるようになって。帰国してからTOEFLを受けたら、1年で90点から110点台まで成績が上がっていました。

金融業界のトップ4を目指して就職活動をしていた時期も

――すごい、TOEFLは120点満点ですよね。

onodela 日本人で118点を取っている方も結構いるので、そこまですごくはないのですが。自分なりには頑張りました。

――シアトルから帰国したあとは、アメリカの大学院進学を目指して勉強を?

onodela アメリカの大学院に進みたいと思っていたのですが、日本で就職したい会社もあったんです。だから、大学3年のときは勉強と並行して、就活もしていました。

――どんな会社を受けていたのですか。

onodela JPモルガン、モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックス、あとはバンク・オブ・アメリカ。いわゆる金融業界のトップ4です。そこを目指して就活したのですが、どこも受かりませんでした。

〈つづく〉

〈 早稲田大→アメリカ“超名門大学院”卒業→ニューヨークで悠々自適な生活…ライブで「いじめ」告発の元アイドル(25)が語る、金融エリートになった現在地 〉へ続く

(「文春オンライン」編集部)

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