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4人の遺体をサイコロステーキのようにバラバラに、ほとんどの女性従業員と肉体関係…《埼玉愛犬家連続殺人事件》“殺人ブリーダー夫婦”の「ヤバい人柄」(1993年の事件)

文春オンライン / 2024年12月14日 17時10分

4人の遺体をサイコロステーキのようにバラバラに、ほとんどの女性従業員と肉体関係…《埼玉愛犬家連続殺人事件》“殺人ブリーダー夫婦”の「ヤバい人柄」(1993年の事件)

遺体が捨てられたとみられる樹海を捜索する静岡県警の捜査員ら ©時事通信社

〈 遺体をサイコロステーキのようにバラバラに、あまった内臓、脳みそ、目玉、肉はどこへ…?《埼玉愛犬家連続殺人事件》“殺人ブリーダー夫婦”の残酷すぎる犯行手口(1993年の事件) 〉から続く

 毒殺した人間をサイコロステーキのように解体。残った内臓、脳みそ、目玉、肉をきれいに削ぎ取り、骨は知人宅の庭で焼却。そして川へ…。

 恐るべき犯行手口で1993年の日本を震撼させた「埼玉愛犬家連続殺人事件」。事件から数十年後、近隣住民を取材してわかった、犯人夫婦の人柄とは? ノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『 殺め家 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 最初 から読む)

◆◆◆

 ここアフリカケンネルでは若い従業員も働いていた。

 女性従業員に関しては一人をのぞいて全て、関根元が手をつけていたという。彼らにしてみれば、この悪の殿堂も生きる糧を得る現場であったのだ。カメラを構えながら、ふと彼らは今頃何をしているのだろうと、顔も知らぬ従業員たちのことが心をよぎった。

「いい人だったよ」

 埼玉県秩父市は関根元の生まれ故郷である。かつては賑やかな商店街だった通りの一角で関根元の父親は長屋で下駄屋を経営していた。今では生家はなく、商店街も見る影も無いほど寂れていて、ぽつりぽつりと商店が営業しているに過ぎない。数少ない商店に足を運ぶと、誰もがはっきりと関根元のことを覚えていた。

「いい人だったよ、大きい声で話しながら、この通りを歩いていたよ。どこで変わっちゃったんだろうね。昔は威勢の良い人が多かったから、特に変わったことはなかったよ」

 60代の女性が、昔を懐かしむように関根元のことを振り返った。どこで変わったのかということで見れば、関根元の妻である風間博子死刑囚もどこにでもいる普通の女性だったという。さらに近所の男性が言う。

「元ちゃんのお父さんもお母さんも良い人だったよ。お父さんは良い下駄職人だったね。元ちゃんとは10歳ぐらい年が離れていいたから、そんなに頻繁に遊んだって思い出はないんだけど、面倒見のいいところもあったよ、よく人の相談にも乗っていたみたいだし、ただ調子良いところもあったけどね。何番目かの奥さんか忘れたけど、きれいな奥さんをもらった時は、どうやって結婚したのが不思議だったね」

なぜ凶悪犯罪に手を染めたのか?

 ここ秩父で関根元は、実家の下駄屋の土間で犬の繁殖をはじめる。そしてこの秩父時代に本人曰くアルバイトをしていたラーメン屋の店主を殺害してもいる。明るく気のいい兄ちゃんである反面、既にこの時期、後の凶悪犯罪へと繋がる芽は着々と育っていた。

 生家近くには、同じ間取りの長屋が残っていた。戸は閉まっていたが、ガラス越しに土間と畳の敷かれた和室が見えた。下駄屋に犬の繁殖、何とも雑然とした家の様子が目の前に広がってきたような気がした。

 下駄屋という斜陽な商売から足を洗い、新たなビジネスチャンスを嗅ぎ分ける嗅覚を持っていた。ただ、その嗅覚を間違った方向に使ってしまったがゆえに、大きな犯罪へと繋がってしまったのだった。

 夕暮れ時、秩父の街中を歩いていたら、街並みの向こうに山肌が無残にも削られた武甲山が見えた。元々は勇壮な山容を誇っていたという武甲山だが今では石灰岩の採掘によって見るも無残な姿になっている。

 山そのものが人間の欲望により姿を変えてしまっている。己の欲望のために人肉を切り刻むことも厭わなかった関根元。武甲山の山並みと関根元の心の闇が重なって見えた。

(八木澤 高明,高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載))

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