「熊・出没!」「この区間を歩いて行くのは危険です」伝説の4連続スイッチバックで知られた「定番秘境駅」はいま…
文春オンライン / 2024年12月30日 6時0分
峠~大沢間を走る米沢行き普通電車
〈 青春18きっぷ“ルール改定”のカゲで揺れる「往年の鉄道名所」の現在地《営業休止状態へ》 〉から続く
シーズンごとに発売されるJRの特別企画乗車券・青春18きっぷ。その使用ルールがこの冬から大きく変更されることになった。それに大きな影響を受けるのが、各地の「往年の鉄道名所」である。
青春18きっぷの登場から40年以上がたち、日本の鉄道環境は大きく変化。この冬も、「列車のご利用が極めて少ない」として、12月1日から全ての列車が通過することになった駅がある。福島から山形県の間を結ぶ奥羽本線の大沢駅だ。
かつては峠の急勾配を非常に珍しい4連続スイッチバックで越える路線として知られたものの、近年は近隣駅も廃止になった。そんな「定番秘境駅」として知られた山深い駅を、 『日本鉄道廃線史 消えた鉄路の跡を行く』 などで知られる小牟田哲彦氏が訪ねた。
◆◆◆
4両編成だが旅客が乗れるのは前の2両だけ。理由は…
11月のある晴れた平日の朝7時過ぎ、福島駅を出発した奥羽本線の米沢行き普通列車には28人の乗客が座っていた。
4両編成だが、旅客が乗れるのは前2両だけ。車輪が踏みつぶした落ち葉の油分や、寒暖差が大きい秋の朝に発生する線路上の霜によって車輪が空転するのを防ぐため、列車の駆動力を高める目的で10月末から11月末までの1ヵ月間に限り増結しているのだ。
それほどまでに山間部の落ち葉が多く、標高が高い区間は明け方に冷え込み、そして車輪が空転して電車が前進できなくなるほどの急勾配なのである。
2つ先の庭坂を出ると、人家が次第に車窓から姿を消し、紅葉に彩られた板谷峠の急坂を上り始める。7時28分、前方の坂道を軽快に駆け下りてきた東京行きの山形新幹線「つばさ122号」とすれ違う。お互い、今日のこの区間の1番列車だが、今のところは複線の線路上を落ち葉が覆っているような場所はない。
7時33分、列車の右手後方に、大きな口を開けた廃トンネルがほんの一瞬だけ視界に入った。そのトンネル跡から本線上まで続く平坦な高台に、平成2(1990)年まではスイッチバック式の赤岩駅があった。
最初の旧スイッチバック駅周辺、今はクマの生息地帯に
板谷峠の4連続スイッチバックの中で唯一福島県側にあった赤岩駅は、スイッチバックの解消後、駅周辺の過疎化の進行が著しく周辺住民の利用者がほとんどないとして、平成24(2012)年から積雪期の4ヵ月間は全列車が通過する措置が採られた。
その約4年後に通年休業駅へと移行し、正式廃止はさらにその4年後。地元の利用客がほとんどいないとされる小さな無人駅でも、明治時代から続く駅としての長い歴史を終わらせるにはそれなりの段階と時間がかけられている。
スイッチバック廃止後は本線上に設けられていた短い旅客ホームも撤去されていて、今はかろうじて、ホームがあったと思われる場所にその痕跡が見られるだけになっている。
赤岩駅跡へ通じる未舗装の山道の周辺はクマの生息地帯とも言われていて、斜面の狭い難路を自動車で進むのも、冬眠前のクマにおびえながら歩くのも、なかなか勇気がいる。あの高台の草叢の中に眠るスイッチバック時代の駅の遺構とその奥に放置されているトンネル跡へと近づくのは、これからも年を追うごとに困難になっていくように思われる。
何度目かのトンネルを抜け集落に。ここは“冬眠”するらしい
旧赤岩駅跡を通り過ぎてトンネルをくぐり、峻険な山の形に合わせて線路が右へ左へと曲がりながら、坂道を上っていく。運転台の真後ろから正面を見ていると、平坦な区間がほとんどなく、ひたすら上り坂が続いているのがよくわかる。
7時40分に何度目かのトンネルを出たところで、久しぶりに人家が散在する集落が現れた。まもなく本線の右側から引込線が合流したところで、巨大なスノーシェッドに覆われた板谷駅に停車する。
引込線の先には、スイッチバック時代のホームや駅舎が残っている。小さな無人駅には似つかわしくない立派なスノーシェッドは、スイッチバック時代に線路のポイント等を雪から守るために設けられたものだ。
ちょうど、反対方向からも福島行き普通列車がやってきた。どちらのホームにも、列車を待つ人、下車する人の姿はない。
板谷駅がある米沢市大字板谷には令和2(2020)年の国勢調査の時点で33世帯62人が住んでいることになっているが、冬季の駅利用者が少ないため、令和5(2023)年1月から積雪シーズンは全列車が通過するようになった。今シーズンも、大沢駅の無期休業と同時に来年3月まで“冬眠”することが発表されている。
積雪量が多い山間部では、かつては除雪が行き届かない道路を走る自動車よりも、通年運行される鉄道の方が冬の交通機関としての信頼度が高いとされていた。それが、肝心の積雪期に駅が休止されてしまうのだから、雪が無いシーズンでも地元住民の利用はほとんどないのだろうと察せられる。
「熊・出没!」「この区間を歩いて行くのは危険です」
板谷を出た列車は、その先で長いトンネルを続けて2つ通過する。2つめの第二板谷峠トンネルの中で板谷峠の最高地点に達し、そこから先は下り坂を駆け下るように走るのが、車内にいてもよくわかる。
その第二板谷峠トンネルを出たところにまたスノーシェッドがあり、7時45分、峠駅に到着。「峠」という普通名詞が駅名になってしまったのは、もともと人が住んでいない山奥に蒸気機関車が石炭と水を補給する目的で設けられた駅だったため、固有の地名がなかったからだと言われている。ここも板谷と同じく、スイッチバック解消後は古びたスノーシェッドの中にホームが設けられている。
そういう場所なので、板谷、大沢の両隣駅に比べて、峠駅周辺はいっそう住民が少ない。板谷からは起伏の激しい旧道で板谷峠の頂上を越えて峠駅へアクセスできるが、大沢方面へ自動車で行くにはその板谷峠の道を戻って、板谷からの道路に合流しなければならない。
この道はクマの生息地帯らしく、峠駅や板谷駅の待合室には「板谷~峠間 熊・出没!」との貼り紙があり、「この区間を歩いて行くのは危険です」と警告している。
120年以上続く大福餅のホーム立売り
この朝の列車では姿を見られないが、峠駅のホームでは、駅前の茶店による大福餅(峠の力餅)の立売りが今も行われている(休日は朝の列車でも立売りを行うとのこと)。
スイッチバック式の駅だった当時は、列車の進行方向が逆になるため必然的に停車時間が長く、車内の旅客を相手にした立売りの営業に適していた。昔の客車では窓が開いたから、旅客がホームに降りなくても窓越しに買うこともできた。
120年以上前の明治時代に始まった峠の力餅のホーム立売りは、今やJR東日本管内ではこの峠駅でしか見られない営業形態だという。
スイッチバックがなくなった現在では停車時間が30秒しかないが、「立売りから地元の名物を買う」という体験をするために、この区間をわざわざ普通列車に乗る旅行者もいる。私もその一人で、峠駅を通るときは早朝や深夜で立売りが行われていない時間帯でない限り、条件反射のように1箱買うのが習慣になっている。
「野生の猿が駅内に出没しておりますので…」
峠から先は、ひたすら山道を下っていく。7時51分、定刻より2分遅れて大沢に到着すると、私を含めて10人以上の旅行者が席を立ち、スノーシェッド内の狭いホームに降り立った。あと半月で下車できなくなる大沢駅を列車で訪ねるには、約1時間で2往復、上下合わせて4本の列車が発着する朝のこの時間帯が最も便利だからであろう。
列車が出て行ってしまうと、スノーシェッド内は静寂に包まれる。駅周辺には小さな集落があるが、住民の数は板谷よりさらに少ない。近隣に並行する幹線道路もないので、自動車が走る音も聞こえてこない。
上りホーム側には「最近、野生の猿が駅内に出没しておりますので、十分ご注意ください」という掲示が出されている。板谷峠の各駅は、クマや猿のほうが列車の利用客より目立つようだ。
大沢駅のスイッチバック時代の遺構は、ホームの米沢側で左に分岐する線路の先にある。スノーシェッドを出たところに旧ホームや旧駅舎が健在で、駅舎の壁面には「大沢駅」の文字がうっすらと残っている。
旧ホームの終端部では、改軌前の狭い幅の線路が錆び付いたまま地表に顔を出している。赤岩、板谷、峠の3駅に比べると、この大沢駅は34年前のスイッチバック廃止時の姿を比較的よくとどめていて、旅行者も観察しやすいように思う。
次の春、このあたりは…
その大沢駅が通年営業休止になり、板谷駅も冬季休業となると、積雪期に普通列車が停車する板谷峠の途中駅は、駅周辺の人家が最も少ない峠駅だけになる。
山形新幹線が走る限り、路線そのものがなくなることはないだろうが、幹線の中間駅がこうして少しずつ旅客営業を縮小していくと、やがて福島駅周辺と米沢駅周辺を除いて沿線に鉄道利用者がいなくなり、地域密着型の普通列車がさらに減便されるというサイクルに陥りかねない。
用もないのに普通列車で旅行しようと思い立つ青春18きっぷユーザーにとっても、便利な特急列車や自家用車が使えない多少の不便さは承知しているものの、秘境になりすぎて列車での訪問自体が難しくなってしまうのでは、旅先の選択肢から外さざるを得なくなる。
「有効期間は連続5日(または3日)のみ」という今回の青春18きっぷのルール改定が、普通列車で板谷峠を訪れる旅行者にどんな影響を及ぼすのかは、板谷駅が営業を再開する来年の雪融けシーズン以降にならないとわかりにくいかもしれない。
ただ、そのときにはもう、大沢駅を列車で訪れることはできない。大沢駅の旧スイッチバック遺構は、板谷・峠の両駅に残る遺構とともに、平成20(2008)年度に経済産業省から近代化産業遺産群の一つに認定されているのだが、いずれは旧赤岩駅のように近寄ることさえ困難な山峡の廃墟と化してしまうのだろうか。
写真=小牟田哲彦
(小牟田 哲彦)
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