「こんなに自分たちと違うのか、と感じるのは喜び」初めて日本にきたフランス人作家が遭遇したのは…京都、奈良、直島をめぐる未知の国「ニッポン」の旅
文春オンライン / 2024年12月13日 6時0分
イザベル・ユペール ©masahiro miki
出版社からの招待で、初めて日本にやってきたフランス人作家のシドニ。夫アントワーヌ(アウグスト・ディール)を亡くした後、新しい小説を書けずにいる彼女を迎えたのは、寡黙な編集者の溝口(伊原剛志)。彼に案内され、京都、奈良、直島を旅するシドニは、この未知の国で夫の幽霊と遭遇する。異邦人の視点から「ニッポン」の旅を描いた『不思議の国のシドニ』。喪失感に囚われた作家シドニを演じるのは、フランスのみならず世界中で多数の映画に出演するイザベル・ユペール。本作では、エリーズ・ジラール監督の才能に惚れ込み出演を快諾した。
今秋、東京国際映画祭のために来日したこの偉大な俳優に、本作での体験と、仕事に対する思いをうかがった。
ストーリーの方が私に歩み寄ってくれる仕事の仕方が好き
――エリーズ・ジラール監督との出会いは、監督の前作『静かなふたり』(2017)がきっかけだったそうですね。
イザベル・ユペール エリーズ(・ジラール)の最初の監督作『ベルヴィル・トーキョー』(2011)を見て、とても才能がある人だなとすでに感じていましたが、『静かなふたり』には私の娘ロリータ・シャマーが出演していたので、同じ俳優として本当に素晴らしい演技だなと感動したんです。もちろん映画としても素晴らしかった。そして『不思議の国のシドニ』の脚本を読みとても気に入ったんです。すべての台詞が素晴らしく、句読点ひとつでさえ変えたくないと思うほど完璧なものでした。
――実際に出演が決まったあとも、シナリオの変更はほぼなかったのでしょうか?
イザベル・ユペール ほとんど変わっていないはずです。エリーズの脚本の素晴らしいところは、些細なディテールまでしっかり書き込まれていること。たとえば、劇中で私が演じるシドニが文庫本を読んでいるという記述があるんですが、それはナタリー・サロートの『子供時代』という本だと最初から書かれていました。実はナタリー・サロートは私も大好きな作家でしたから、「どうして私がこの作家が好きなのを知っているの?」と読みながら驚きました。それくらい様々な合致があり、個人的にたくさんのインスピレーションを受け取れる脚本でした。
一方で、私が自分なりの解釈をしながらシドニという人物を作りあげていく余白が多く残された脚本でもありました。それは私好みのスタイルだったといえますね。ある人物像に寄せていくより、ストーリーの方が歩み寄ってくれるような仕事の仕方が好きなんです。
どんな作品でも衣装選びには必ず参加するようにしています
――シドニの着る衣服の美しさにも惹きつけられました。ユペールさんは、衣装選びにも積極的に参加されたそうですね。衣装選びから参加されるのは、これが初めてですか?
イザベル・ユペール いいえ、どんな作品でも衣装選びには必ず参加するようにしています。衣装は、演じる人物がどんな人生を歩んできたのかを観客に伝える大事なもので、演じるうえで欠かせない要素ですから。特に大事なのはその人がどんな色を身につけるか。衣装にかぎらず、画面のなかにどんな色を配置するのかは映画をつくるうえで重要な問題です。
それに、衣装を選ぶのはとても楽しい作業ですしね。決めるまでにはたいてい時間がかかりますが、ときにはホン・サンス監督のように、ものすごく早く決まることもあります。彼の場合、どういう色合いが欲しいかが最初から明確にわかっているので、衣装が決まるのもとても早いんです。
今回はエリーズ自身が衣装に強いこだわりをもっていて、特にシドニが最後の方に着る赤いシャツは、ぴったりくる色を見つけるまで長い時間をかけて探しました。それくらい、エリーズのなかには「この色だ」という明確なイメージができあがっていたんです。シドニが着る服は、最初は少し暗めの色ばかりだったのが、物語が進むにつれ段々と明るい色になっていく。そういう色の進化も、すべて正確に計算されたものだったのです。
――この映画には、東京や京都だけでなく、奈良や直島を歩き回ったりと、日本のいろんな場所の景色が出てきます。俳優として、普段とは違う風景のなかに身を置くことは演技にも影響を与えるものでしょうか?
イザベル・ユペール 演技への影響というより、映画そのものに及ぼす影響のほうが大きいでしょうね。もちろん、実際に桜を見て演技をするほうが、何もないコンクリートを前に演技するよりは感じるものがあるのは当然ですが、今回の映画では、風景と物語とが見事に一致している、ということが大事なんです。ここに映る数々の景色はただ美しいだけではありません。日本の美しい景色を見ることによって、ほとんど死に瀕していたシドニの心が生きることのほうへと導かれていく、それが重要なのです。
ラブシーンを成功させるのは本当に難しい
――この物語は、ユーモラスな幽霊譚でもありますよね。シドニは日本を旅するなかで何度も死んだ夫のアントワーヌの幽霊と遭遇し、会話をします。これらのシーンの多くは合成によって作られたそうですが、目の前に相手がいない状態で演技をするのは難しくはなかったのでしょうか?
イザベル・ユペール 実をいうと、彼が目の前にいないときのほうが演技はしやすかったんです。だって彼は幽霊という設定ですから。姿は見えないけれどここには彼がいるんだと必死で想像力を働かせながら演じる方が、目の前に実際の姿を見ながら演じるよりぴったりだったというわけです。
――溝口とシドニのラブシーンも、映像で全体を見せるのではなく、セピア色の静止画を断片的に並べるという、とてもユニークな形で演出されていますね。
イザベル・ユペール あのシーンは、動画を撮ってそれを後から静止画として切り抜いたわけではなくて、本当に写真だけを撮って構成したものです。だから撮影自体がかなり短い時間で終わりましたね。
――シナリオ段階から、そのような撮り方をするとわかっていたのでしょうか?
イザベル・ユペール たしか脚本にはそこまで書かれていなかったような気がしますが、エリーズ自身は、かなり早い段階から決めていたはずです。彼女から、クリス・マルケルの映画にインスパイアされてこの撮り方を思いついたのだと聞いたとき、それはとてもいいアイディアだと思いました。こうしたシーンは見ている方も退屈しがちだし、撮る方も大変な思いをするのが普通です。ラブシーンを成功させるのは本当に難しいんです。だからこそ、ああいう形で写真を繋ぎ合わせるという方法はとてもいいと思ったし、さらにそれをセピア色に変えたというアイディアも気に入っています。
ルーティンを守るのも、未知のものを体験するのも両方大好き
――エリーズ・ジラール監督は、十年ほど前に自作のプロモーションで初来日されたそうですが、この映画を見ていると、なるほど当時の彼女はこんなふうに私たち日本人を眺めていたのか、と奇妙な気持ちになりました。ユペールさん自身も、日本を初めて訪ねた際、見慣れない景色や習慣に驚いたり戸惑ったりされたのでしょうか?
イザベル・ユペール どんな人も、初めて訪れた異国の地では驚きを感じるものでしょうね。たとえばあなたが初めてフランスに行ったとしたら、「フランス人はどうしてみんなこんなに大きな声で叫び合うんだろう」とびっくりするかもしれません。ただ私に関していえば、特に戸惑った記憶はないですね。私の場合、予想外なものを見つけることが大好きなんです。こんなに自分たちと違うのか、と感じるのはむしろ喜びであって、不快に感じたことは一度もありません。
――ユペールさんは、これまでも様々な国で仕事をされてきましたよね。韓国出身のホン・サンス監督とは三度も映画をつくっていますし、アメリカ映画にもたくさん出演されています。フランス以外の国の映画に参加されるのは、今おっしゃったように、異国で意外な体験をすることが喜びだからこそなのでしょうか?
イザベル・ユペール ホン・サンス監督とは三度仕事をしましたが、韓国に行って撮影したのは『3人のアンヌ』(2012)と『A Traveler’s Needs』(2024)の2回です。『クレアのカメラ』(2017)はフランスのカンヌで撮りました。私はルーティンを守るのも、未知のものを体験するのも両方大好きなんです。でも正直なところ、撮影を続けていくと結局はここが異国だとか外国映画だとかいう意識は感じなくなるものです。もちろんフレームの外にある景色は外国のものですが、カメラで撮るという点ではどこで撮っても一緒。最初こそここは未知の世界だなと思っていても、最終的には、よく知っている世界だなと感じてくるんです。
――ユペールさんは2021年の東京国際映画祭で審査委員長を務められましたが、現代の日本の映画作家で一緒に仕事をしてみたいと思われる方はいらっしゃいますか?
イザベル・ユペール 私の知らない素晴らしい監督もたくさんいるでしょうが、濱口竜介、黒沢清、是枝裕和、北野武の4人にはとても興味があります。それから、東京国際映画祭で同じく審査委員をした青山真治。いつか一緒に仕事をしてみたいと思っていましたが、彼はそのあとすぐに亡くなってしまいましたよね。とても残念です。
――最後に、出演を決める際に一番重視されていることを教えてください。
イザベル・ユペール 一番の決め手は、やはりどういう作品を作る監督か。ただいつも必ずというわけではありません。私はこれまで、新人監督のデビュー作にも出演してきました。その場合は監督の過去作は見られませんから、どのようなチーム編成になるのか、いろいろな要素を考慮して決めるわけですが、毎回これは賭けだなと思いながら臨みます。でも今のところ、その賭けに負けたことはないですね。
Isabelle Huppert/1953年、パリ生まれ。ジャン=リュック・ゴダール、クロード・シャブロルなど多くの名匠と仕事をしてきたフランスを代表する俳優。『ピアニスト』(2001)でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞、『エルELLE』(2016)ではアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
(月永 理絵/週刊文春 2024年12月19日号)
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