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10代の頃はバカにされっぱなし、20代の頃は何もできないダメ社員…それでも「天職=芸能人」を見つけた“ひょうろく(37)の逆転人生”

文春オンライン / 2024年12月22日 10時50分

10代の頃はバカにされっぱなし、20代の頃は何もできないダメ社員…それでも「天職=芸能人」を見つけた“ひょうろく(37)の逆転人生”

2024年、異例のブレイクを果たしたひょうろくさん。芸能界でブレイクするまでにどんな人生があったのか? ©山元茂樹/文藝春秋

 今やCM依頼が殺到…2024年、突如ブレイクを果たした芸人で俳優のひょうろくさん(37歳)。バラエティ番組、YouTube、ドラマなどさまざまなフィールドを器用に渡り歩く彼だが、実は10~20代の頃は自分の持ち味がわからず、人に流されるがまま生きていたころも。そんな彼がいかにして、芸能人という天職にたどりつき、ブレイクを果たしたのか? インタビュー前編をお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

バカにされてばかりだった少年時代

――ひょうろくさんって、どんな子供だったんですか。

ひょうろく 家でも外でも、あまり喋らない子でした。教室では端っこの方にいるような、ちょっとおとなしい感じだったと思います。

――バレーボールをずっとやっていたとか。始めたきっかけは何だったのでしょう?

ひょうろく 5歳上の姉と3歳上の兄がやっていた流れで、小学校1、2年生ぐらいから、気づいたら自分もやってて。あ、でも運動神経は全然良くないんですよ。中学校の時はセッターで、そんなに身体能力はいらないポジションだったし。

――でも、バレーボール推薦で鹿児島工業高等専門学校に入学したんですよね?

ひょうろくさん チームメイトがすごくうまかったみたいで、僕はラッキーなだけ。高専時代はずっとバカにされてましたね。

――バカにされて…?

ひょうろく まぁ色々ですね。見た目もそうですし、顔とかも。

――それは…直接的に何か言われたり?

ひょうろく そうですね。暴言っていうか、顔がブサイクとか、頭が悪いのをバカにされたりとか。スポーツ推薦なので、頭は実際よくなかったんです。ずっと下から4番目とか3番目とかで。

――いじめでは?

ひょうろく ああ、受け取り手によってはそうだと思います。普段は仲が良い人たちが言うから、最初のうちはどうしてそういうことを言うのかわからなくて。

 当時は、自分でも顔が変だとわかってなかったので、何が起きているのか混乱して。慣れるまではめちゃくちゃ傷つきましたけど、慣れたらどうということもなくなって、「いやいやいや…」って、適当にかわしていました。

――慣れて…反論はしなかったんですか?

ひょうろく 「やめて」って言うのもなんか違うなと思ってたんですよね。向こうも悪意はないというか、冗談でイジってるのはわかるんです。ただ、こっちがスルーしても、周りの反応は止められない。だったら自分が変わるほうが手っ取り早いというか。

――高専卒業時、進路に関してどう考えていましたか。

ひょうろく 何も考えがなくて、ほんとに世間知らずでした。父がサラリーマンだったし、自分も大人になったらサラリーマン以外の選択肢がありませんでした。

 僕は、生き方や将来に興味がなかったんだと思いますね。流されるまま。いつも「まあ、なんとかなるよ」って。高専卒業後は、遠くに行ってみたいなと思って、関東を目指しました。関東ならどこでもよくて、千葉にある建築関係の会社に勤めました。

「東京の人が全員芸能人に見えた」

――初めて親元を離れた生活は、大変だったのでは。

ひょうろく そうですね。社員寮に住んでいたのですが、ホームシックにもなりましたし、東京の人が全員芸能人に見えて。「うわ、すげえ」って。

――会社員生活はどうでしたか。

ひょうろく 僕は頭の回転が速くないので、いつも“詰んで”ました。

 わからないことを丁寧に教えてもらっても、全然わかんない。仕方がないので、「はぁ」ってわかったふりをして、自分の席に戻って「どうしよう…」って、毎回詰んでる。

――どうするんですか。

ひょうろく なんとかするしかないです。でもわかってないから、「ここ違うよ」って言われて、それを直して…という繰り返し。本当に足手まといだったと思います。

――仕事を辞めたいとは?

ひょうろく 辞めたいはなかったです。思い返せば中学や高校の勉強もついていけている感じはなかったので、まぁずっと挫折してる状態ではあります。ただ、辞めるという選択肢が自分の中にないだけといいますか。

――継続力があるタイプですか? バレーも13年やってましたし。

ひょうろく 全然そんなことないですよ。趣味も、やってみて飽きるパターンは結構多いです。たとえばペンで机を叩く“ペンドラム”がかっこいいなと思ってやってみたんだけど、途中で挫折しちゃった。なんか一つのことにハマりきらなくて、ずっと何かにハマりたいと思ってます。

――芸人の道に入ったのはいつですか?

ひょうろく 会社員生活4年目のときに、高専時代の同級生(橋口ひとし)に誘われて、コンビ(ジュウジマル)を組みました。それまで、お笑いや芸人さんの知識はまったくなかったんですけど、楽しそうだしいいかなっていう。基本的に、どんなことも少しでも興味を持てたらやってみようというスタンスなんです。

――即決?

ひょうろく そうですね、その場で。特にいろいろ調べたり、誰かに話を聞いたりはしませんでした。相方がなぜ僕を選んだのかはわかんないです。

ユニークな芸名の由来

――「ひょうろく」という芸名の由来は?

ひょうろく 芸名が欲しいなと思って、最初は自分で考えた「ルミ」っていう名前にしたかったんですけど、(最初入った事務所の)浅井企画さんで、全員に反対されて。

 たまたまそこにいた作家さんが「兵六餅」っていう鹿児島のお菓子をお土産に持ってきていて、それで「『ひょうろく』でいいんじゃないの」という話になり、決まりました。

――ご両親に芸人になることを報告した時の反応は、どうでしたか?

ひょうろく 驚いて無言というか。絶望した顔で「なんであんたが」って。なんと答えたかはあまり覚えてないですけど、「まあまあ、なんとかなるよ」って返したかな……。

――芸人生活になって、収入面も激変したのでは。

ひょうろく 会社員時代は年収400万~500万で、普通に生活はできていたんですけど、芸人になってからは、生活費はほとんどアルバイトでまかなってました。バイトが9.5割みたいな。いろんなバイトをやりましたよ。マッサージとか、カフェ店員とか。

――実際どうでしたか。芸人になってみて。

ひょうろく こんなに面白い人が多いんだっていう。自分も頑張んなきゃとは思うんですけど、相方が全部ネタを書いて、出るライブも決めてくれて、僕は頑張り方がわかんないというか。結局何もしないまま……。

 楽しかったんですけど、ずっと難しさは抱えていて、「お、手応えあったぞ」っていうのは感じられないまま、ある日相方から、「地元に帰る」って話があって。

――それまでにそういった話が出たことは?

ひょうろく 解散の話が出たことはないです。でも相方は何年か前に結婚して、奥さんは鹿児島にいて、自分は東京という生活だったので、コンビも長くはないだろうなとは思っていました。

 ただコンビ結成時からずっと、相方には「2人で食べていけるようになりたいけど、僕から辞めようと言うことはないから、辞めたくなったらいつでも言ってね」とは伝えていたんです。

――ピンになり、さらば青春の光のYouTubeによく出演するようになっていますね。

ひょうろく 実はピンになる前に、さらばさんの事務所にお伺いしたことがあります。でもアポなしだったので、お会いできなかったという…。

――何を相談するつもりだったのでしょう?

〈 「収入は今が一番いいかも」年収500万の会社員をやめて芸能界デビュー→30代後半にしてブレイクを果たした“ひょうろく(37)の遅咲き人生” 〉へ続く

(吉河 未布)

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