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「毎回100キロくらいの荷物を背負って…」将棋の棋士・女流棋士は、なぜ“海外普及”に情熱を燃やすのか

文春オンライン / 2024年12月18日 11時0分

「毎回100キロくらいの荷物を背負って…」将棋の棋士・女流棋士は、なぜ“海外普及”に情熱を燃やすのか

国際トーナメントの後に自由対局を楽しむ参加者たち

〈 「彼は将棋の神様みたいな存在です」優勝者は藤井聡太七冠と対局 45カ国から集結した“国際将棋トーナメント”をレポートする 〉から続く

 国際将棋フォーラム2024が、東京・千駄ヶ谷の将棋会館で11月7~9日に開催された。メインイベントとして行われた第9回国際将棋トーナメントには45カ国から51名の代表者が参加し、決勝は中国・北京代表の許諾(キョ・ダク)さんがアメリカ代表のマイケル・ワンさんを破って優勝を飾った。

私はこうして将棋と出会った

 海外の人たちはどのように将棋と出会い、楽しんでいるのだろうか。今回参加した方々の声を紹介しよう。

「ウガンダでは将棋は新しくて、まだ珍しいゲームです。数人の小さなグループですが、将棋を指す仲間がいます。私はチェスをやっていましたが、将棋の方が戦略的で面白いと感じました。2017年に仕事で日本に来て、そのときに将棋と出会ったのですが、一緒に指せる相手が見つからなかった。ウガンダに帰ってから、日本大使館の方と知り合って、詳しく教えてもらうことができました」(ウガンダ ロバート・バカゼさん)

「私が13歳の頃に、東京外国語大学の教授がサマルカンド(ウズベキスタン第二の都市)の大学に来た際に、私の家にご家族で2週間ほど滞在されました。そのときにお土産にいろんなボードゲームをもらって、将棋を初めて見ました。

 チェスは家にあってよくやっていたのですが、将棋はもっと複雑で、戦略的に守りながら攻めるところが面白いと感じました。ロジカルも必要ですしね。今回は初めてウズベキスタン代表としてきました。予選は通過しましたけど、本戦の1回戦で負けました。こうしていろんな国の人とさせるのは楽しいです」(ウズベキスタン バノロフ・ノディールジョンさん)

「将棋を覚えたのは5年ほど前で、現在は留学で東京大学の大学院に来ています。専門はコンピュータ科学です。チェスは子供のときにやっていて、一度ミスをすると負けという感じですが、将棋は駒がなくならないからチャンスがある感じですね。

 インドで将棋を指す人はあまりいません。オンラインでプレイすると、時々インドの人を見かけるくらいです。チェスは2000年に世界大会でインドの人が初めて優勝して、それがとても話題になり、今も盛んに行われています」(インド ヴァリャッパ・チョッカリンガムさん)

「14年前から将棋を指していて、今は『81Dojo』で三段です。ペルー囲碁将棋協会には、将棋をやる人が30人くらいいます。日系人の高齢者の方が強いです。普段はネットで指しているので、対面で指すのはやはり楽しいですね」(ペルー ダンテ・アクーニャさん)

出会いは漫画の『NARUTO』から

「日本文化に興味があり、将棋は漫画の『NARUTO』を読んで知りました。私は兄弟が4人いて、彼らや周りの人たちと指してきました。今はアマ五段です。棋士のことをとても尊敬しているので、彼らがフランスに来てくれるととても嬉しいです。パンデミックの前には年に一度いらしてくれて、大成功を収めていました」(フランス ジャン・フォルタンさん)

 彼はヨーロッパチャンピオンに6回もなった強豪だ。話を聞いて驚いたのは、カロリーナ・フォルタン女流初段の夫だったことだ。

「カロリーナとは2009年のヨーロッパ選手権で知り合いました。ヨーロッパに女性の将棋プレイヤーはいますが、多いとは言えません。将棋を始めて良かったことは何かって? それはもちろんカロリーナに出会えたことさ!」(同前)

 前出のフランス将棋連盟会長のファビアン・オスモンさんは、かつては選手だったが今回は応援で駆けつけた。

「フランスで将棋大会に集まる人は、200人ほどいます。私は26年前に初めて日本に来たとき、空港から将棋会館に直行しました。将棋盤を買いたかったのです。購買部で見ていたら他のお客さんに話しかけられて、『羽生さんを知っていますか?』と聞かれました。もちろん知っていますと答えると、『後ろにいますよ』と言われて驚きましたよ! 一緒に写真を撮らせてもらえて、それがすごく良い思い出です」

棋士たちの海外普及

 将棋連盟の「東南アジア地区将棋大使」を務める小林健二九段は、東南アジアや南アジアでの普及に力を入れており、シンガポール、マレーシア、タイ、香港などへこれまで100回以上も足を運んできた。

「私は棋士になった頃から、A級に上がったら海外普及を始めようと決めていました。29歳でA級昇級を果たして、それから38年くらいになりますね。アジア各国で将棋大会を開催しますと、参加者の7~8割は現地滞在の日本人で、ローカルの方は2~3割です。海外の方の比率を上げたいと頑張ってきましたが、まだ現状はこんな感じです」

 ベトナムなどでは中国将棋のシャンチーを楽しむ人たちが公園などで見られるが、全体では囲碁の愛好者が多い印象だ。

「東南アジアのほとんどの国には支部があります。コロナ禍前にはそれほど強い人はいませんでしたが、最近ではタイやベトナムにも普通にアマ四段クラスの人が出てきました。インターネットで将棋を楽しむ人が増えたことにより、若い世代が急激に実力を伸ばしています。それでも僕たちが行くと、ネット世代の彼らも対面で指すことを喜んでくれます。やっぱり盤に向かい合って1対1で対局するのが一番良いと思うんですよね」

現地に棋士が赴くことが競技人口の増加につながる

 昨年6月にはベトナムのダナンで棋聖戦第1局が行われ、小林九段が立会人を務めた。海外でのタイトル戦は4年ぶりで、ホテル三日月グループが「ダナン三日月」を日本文化の発信基地として、将棋のPRをしたいと招聘したものだ。小林九段は海外でタイトル戦が行われ、現地に棋士が赴くことが、競技人口の増加につながることを実感している。その秋にベトナムのハノイで行った指導対局には、2日間で50人ほどのローカルの人たちが集まった。

「ハノイには将棋道場があるんです。集まった人たちはみんなとても熱心に指導を受けていました。ダナンでの棋聖戦を見た人たちにとっては良い経験になったはずですし、ベトナムでは将棋を指す人が増えるはずです」

 海外普及に力を入れてきた理由は、将棋界の未来にとって国際的な広がりは欠かすことができないとの思いからだ。

「やはりマーケットが全然違います。将来的には海外のスポンサーがついてくれたらと願いますね。それに将棋はチェスの世界チャンピオンでも一目おいてくれるゲーム。その面白さはまだまだ奥深いものがあるし、日本だけにおいておくには勿体ないですから」

 将棋界では、1970年代から故・大山康晴十五世名人が普及のためにブラジルを何度も訪れてきた。ブラジル名人戦は75回の歴史を誇り、多くの日系人高段者が腕を競ってきた。また国際将棋フォーラムの発案者だった故・大内延介九段はアジア各地をまわって市井の人々と対局し、著書「将棋の来た道」にまとめた。

 現在では青野照市九段や高田尚平七段がヨーロッパに、石川陽生七段がアメリカでの普及に力を入れている。他にも多くの棋士が個人として海外に脚を運び、将棋文化を伝えようとしてきた。羽生善治会長は海外普及に熱意を見せていると言われ、連盟の今後の活動が期待される。

世界に広がる「どうぶつしょうぎ」

「これを見てほしいんです」

 国際将棋フォーラム会場で、チリの選手が北尾まどか女流二段にラッピングされた袋を手渡してきた。開けると中には彼が作った「どうぶつしょうぎ」の駒が入っていた。オリジナル商品ではライオンやゾウ、キリンなどの絵柄だが、彼はチリにいる昆虫を描いていた。

「彼が住んでいる街は砂漠の中にあって、そこにいるアリやクモを描いたそうです。1年に1度、雨の降る時期があって、お花が一斉に咲いてとても綺麗だと言っていました。彼のように、海外の方が自作した駒や写真を送ってくれることはよくあります」

「どうぶつしょうぎ」は北尾女流二段が子どもたちへの普及を目的に考案し、2009年に製品化された。将棋の簡易バージョンのゲームで、12マスの中に、それぞれ4枚ずつの駒をおいて戦う。動物の絵柄で表されているので、まだ漢字が読めない子どもや海外の人たちにも分かりやすく、広まりを見せている。青年海外協力隊のメンバーが持っていって、セネガルやトーゴといった国で広めてくれた例もあった。

 これまでにオリジナル商品だけでも国内で60万セット以上が販売され、「鬼滅の刃」や「ドラえもん」など人気漫画とのコラボなどを含めると100万セットを超える。マクドナルドやロッテリアのセットのおまけにもなり、海外でのライセンス契約(ポーランド、台湾、フランス、ウクライナ)まで含めると、300万セット以上が手に取られたことになるという。来年にはディズニーとのコラボが決定しており、ミッキーマウス・バージョンが発売される予定だ。

 北尾女流二段は毎月普及活動で国内の保育園や小学校を回っているが、学童保育の約半数の子どもたちが「どうぶつしょうぎ」を知っている手応えがあると話す。今年プロデビューした岩崎夏子女流2級(13歳)は保育園にあった「どうぶつしょうぎ」が将棋を始めるきっかけだったと話している。

 市販化から15年ほどで「どうぶつしょうぎ」がここまでの広がりをみせた理由は何か?

「海外で普及活動をしてきて、将棋が広まりにくかったのは言語依存が大きいと感じました。欧米の人たちにとっては、漢字が覚えにくいんですね。絵柄を動物にして、駒の数を少なくしてゲームをシンプルにしたことで、入門者が入りやすかったと思います」

世界約30カ国を訪れて普及活動

 まだプロデビュー前だった1999年、第1回国際将棋フォーラムに記録係として関わったことが、国際普及に目を向けるきっかけになった。

 女流棋士になった後、2010年に「どうぶつしょうぎ」の販売と将棋の普及活動を目的に「株式会社ねこまど」を設立し、同年に最初の海外普及としてフランスを訪れる。このときには日本将棋連盟から提供された将棋の盤駒100セットを現地へ運び、集まった人々やフランス将棋連盟に寄贈した。パリでは在仏日本大使館主催で、チェスの元ヨーロッパ女子チャンピオンとエキシビションとして将棋とチェスの同時対局を行った。またカンヌのゲーム祭りではフランス将棋連盟が出展したブースに参加、小学生らが次々に来場して10面ある将棋盤は常に満席状態だったという。

 北尾女流二段は、将棋と「どうぶつしょうぎ」の指導対局を行い、引率の先生に「ぜひ学校で取り組んでください」と将棋盤駒とパンフレットを贈呈した。以来、日本国内での普及活動と並行して、これまでに世界約30カ国を訪れている。

「海外普及を始めた頃は現地に何の道具もなかったので、行くたびに大量の将棋盤と駒を持っていきました。学校に行って教えるには、生徒の数だけ必要になります。全部で100キロくらいになる荷物をスタッフで持っていって、行く先々で配ってきました。

 そのあとでテキストが足りないとか、技術的な部分を知りたいとか、需要がどんどん変わってくる。それで自分の著書4冊と金子タカシさんの著書2冊を翻訳して、現地で欲しい方には販売するようにしました。盤と駒も現地で買う場所がないという声があったので、チェスショップなどと提携して、そこで扱ってもらえるようにして。

 今は将棋を広めようと頑張ってくれる現地の方が増えてきたので、それをアシストしてあげられるような活動がメインになってきています」

ライフタイムゲームの未来

 6年前にイタリアを普及のために訪れたときのことだ。フィレンツェの囲碁クラブで活動している岡勇さんの紹介でミラノの「ゲームの館」館長のジョナタ・ソレッティさんに会った。驚いたのは、ジョナタさんが使い込まれた「どうぶつしょうぎ」を持ち出してきてくれたことだ。駒のイラストはヨーロッパ風にアレンジされていて、学校で教えるために自分たちで作ったものだという。北尾女流二段は「自分が訪れる前に、ここに来て広めてくれた人がいるなんて」と感激した。

 館内には世界中から集められたゲームコレクションが保存されている。ジョナタさんは囲碁やチェス、バックギャモンを主にプレイするが、それらは衰退の一途を辿っていると話した。現代においては、一つのゲームに長い時間を費やすことが合わないというのだ。

「彼は将棋や囲碁を“ライフタイムゲーム”と呼んでいました。人生を費やしてしまうゲームという意味です。今の時代は、もっとライトな感覚で始められなければ、受け入れてもらえないと言われたのが耳に残りました」

 将棋や囲碁はゲームとしての奥深さゆえに、その本来の面白さを理解できるまでに何年も続けていくことが求められる。娯楽が多様化して、個人の時間が多くのものに振り分けられる時代において、“ライフタイムゲーム”を選択する人は限られるだろう。

 北尾女流二段は、人が夢中になる価値のあるものは、いつの時代でも受け入れられ、続けていく人がいるはずと話す。

「趣味が多様化した現代でも将棋の魅力は色褪せず、生涯学び続けることのできる奥深さを持っています。『どうぶつしょうぎ』は手軽に遊べる将棋の第一歩として、世界中の子どもたちに触れてほしい。それが入り口となって、たくさんの人がルーツである将棋の魅力に気づいてくれることを願っています」

写真=野澤亘伸

(野澤 亘伸)

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