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「房総半島の人はトンネルを造るのが得意でしょ」現地を訪ねてわかった…千葉県に“世にも奇妙なトンネル”がつくられた“意外な歴史”

文春オンライン / 2024年12月17日 6時0分

「房総半島の人はトンネルを造るのが得意でしょ」現地を訪ねてわかった…千葉県に“世にも奇妙なトンネル”がつくられた“意外な歴史”

目の前でトラックが入っていった

〈 〈写真多数〉直角にカーブ、内部にはナゾの分岐…? 千葉県・房総半島の山中で発見した“あまりにも異様な素掘りトンネル”を探訪してみた 〉から続く

 素掘り、直角のカーブ、内部は分岐までしている……。千葉県、房総半島に造られた“世にも奇妙なトンネル”は、誰がなぜ、どのような目的で掘ったのだろうか。

 地元の方に話を聞いてみると、想像もつかなかった経緯が見えてきた。

◆◆◆

 君津市正木地区で昔から暮らしている佐藤利則さん(74歳)によると、あのお社は八雲神社ではなく“山王様(サンノウサマ:山王神社)”が正式な名称らしい。正木地区の集落内に八雲神社があり、かつては例祭の日にお神輿を担いで山王様まで行っていたため、八雲神社と混同されたのかもしれない。ちなみに八雲神社という名称の神社が全国にあるが、京都にある八坂神社を総本社とする祇園信仰の神社だ。

 また、なぜあんな変わったトンネルになったのかも佐藤さんに聞いてみたところ、山王様の目の前に広がっている三島ダムのダム湖と関係があるようだ。

トンネル内部に分岐がつくられた理由

 八雲神社では、毎年7月15日前後に“天王様”といわれるお祭りが今も行われている。以前はお神輿を担いて小糸川を越えて山王様まで行っていたが、昭和30年に三島ダムが完成したことで川はダム湖となり、行けなくなってしまった。それ以降、お神輿は正木地区内を練り歩いていたが、それも随分と前にやめてしまい、現在は神社からお神輿を出さず神事のみが執り行われているということだった。

 三島ダムが完成したあとお神輿は行かなくなったとはいえ、参拝できなくなるのは困る。そのため、トンネルの中から山王様に行くルートを造ったのではないか、ということだった。ダムによって山王様に参拝できなくなるため、代替路として用意されたのが、あの内部で分岐するトンネルだったというわけだ。現在でも月に一度、正木地区の方が当番制で清掃に訪れているらしい。

 また、佐藤さんは「ダムができるよりも前からトンネルがあったと思う」とおっしゃっていた。そちらも気になる。さっそく調べてみた。梅ノ木台2号隧道は、その位置と様態から、三島ダムの関連工事として造られたと思われる。君津市ではトンネルの完成年が分からないとの回答だったが、以前に千葉県が行った調査報告書には、梅ノ木台1号隧道及び2号隧道は、昭和20年建設との記載があった。三島ダムの完成は昭和30年なので、10年も前にトンネルが完成していたことになる。

 三島ダムは干ばつに苦しむ地域の救世主として建設された農業専用ダムで、貯水量は521万トンに及ぶ。ダムの建設がスタートしたのは昭和18年。戦争によって工事中断を余儀なくされた期間もあり、完成までには12年を要した。

 なお、ダムによって水没するなどして道路が機能しなくなる場合、付替道路が建設されるが、着工後早い段階で建設されることが多い。

 昭和18年に三島ダム着工、同20年に梅ノ木台2号隧道が完成、同30年に三島ダムが完成しているので、時系列に矛盾はない。トンネルの完成からダムの完成まで10年も開いているため、「ダムよりも先にトンネルがあった」という印象になるのも頷ける。

 ただ、佐藤さんとの話の中で、もう一つ気になることがあった。それは、梅ノ木台2号隧道とその内部で分岐して山王様へ向かうトンネルは、発注を受けた業者ではなく、ひょっとしたら地区の人たちが自分たちで掘ったものではないか、というのだ。ダムの関連工事とばかり思っていたが、言われてみれば通常の土木工事では考えられない変な構造をしている。ダムの付替道路ならば、こんな構造にするだろうか。

 仮にトンネル本体はダムの関連工事だったとしても、山王様へと分岐する小さなトンネルは、住民の手によって後から掘られた可能性もある。

 そんなことを考えていると、居ても立ってもいられず、ひと月も経たないうちに再び岐阜から千葉に向かっていた。

 結局これといった手がかりは得られなかったものの、八雲神社に参拝することができた。

「房総半島の人たちはトンネルを造るのが得意でしょ」

 また、改めてじっくりとトンネルを観察してみると、生々しい掘り跡に気づく。重機で掘ったような跡ではなく、ツルハシのようなものを用いて人力で削った跡がクッキリと残っていた。

 佐藤さんのおっしゃった「房総半島の人たちはトンネルを造るのが得意でしょ。だからトンネルが多い」という言葉には、妙に説得力があった。たしかに、房総半島を探索していると、行政に頼らず、住民たちが自力で掘った素掘りのトンネルや防空壕が無数に存在している。

 房総半島というと海のイメージが強いかもしれないが、実際には山も多い。そうした山地は砂泥互層というトンネルが掘りやすい地質でもあり、昔から当たり前のように自分たちでトンネルを掘ってきた地域なのだ。素掘りトンネルの多さでは、全国随一だと私は思っている。

 山を削って穴を開け、物置や車庫にしている家も珍しくない。トンネルを自分たちで掘り、トンネルが身近な存在であった房総半島。かつて住民たちの手により掘られたトンネルは、現在は行政に移管されていることが多い。梅ノ木台2号隧道やそこから山王様に分岐するトンネルが行政により造られたものなのか、それとも住民たちが自力で掘ったものなのか、確証は得られなかった。

 しかし、三島ダムが建設される際に、お社の場所を移す奉遷をせず、トンネルを掘って行けるようにしようと発想し、実行するあたりに、なんとも房総半島らしさを感じる。

 真実が全て明らかになるのもよいが、少し謎が残っているものにも、また魅力を感じる。梅ノ木台2号隧道や山王様、そして房総半島のトンネル文化に対する興味は尽きない。今後もしばらく、房総半島を訪問することになりそうだ。

撮影=鹿取茂雄

(鹿取 茂雄)

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