「お母さんは16歳で僕を産んだ」「何日もオムツを替えられず放置され…」“戦隊俳優”古原靖久(37)が明かす、児童養護施設に入った経緯――2024年読まれた記事
文春オンライン / 2025年1月4日 11時0分
俳優の古原靖久さん ©深野未季/文藝春秋
2024年、文春オンラインで反響の大きかった記事を発表します。インタビュー部門の第2位は、こちら!(初公開日 2024/01/27)。
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2005年に人気ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で俳優デビューし、2008年2月から放送されたスーパー戦隊シリーズ『炎神戦隊ゴーオンジャー』(テレビ朝日系)で主演を務めた俳優の古原靖久さん(37)。
古原さんは、高校を卒業するまで児童養護施設で暮らしていた過去を持ち、YouTubeや講演会などで自身の経験を発信している。そんな彼に、児童養護施設に入所するまでの経緯や、当時の施設での生活状況などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/ 2回目 に続く)
◆◆◆
「僕はお母さんが16歳のときに産んだ子ども」
――古原さんは児童養護施設のご出身とのことですが、施設に入所するに至った経緯を教えてください。
古原靖久さん(以下、古原) 僕は、お母さんが16歳のときに産んだ子どもで、お父さんの年齢は忘れましたが、とにかく若い両親に育てられました。5歳くらいから児童養護施設に入ったんですけど、一番古い記憶は3歳くらいのとき。
両親と住んでいた家で、お父さんが飲んでいたビールの缶を、僕が倒してこぼしてしまったことがあったんです。そうしたらお父さんが「これを飲め」と言うので、僕は机の上のビールを飲まないといけなくて。
――飲んだのですか。
古原 すごく苦かったことを覚えています。僕は性格的に、じっと座っていたり、ずっと同じ場所にいたりするのが苦手なんですよ。でも幼い頃は、両親に「じっとしてなさい」みたいなことを言われたら、言われた通りにずっと座っていたらしいです。今の僕からしたら考えられない。
当時はお父さん、お母さんに嫌われたくないという気持ちがあって、2人の言うことをちゃんと聞いていたんだと思います。だからビールも飲んでしまったのかな。
両親の離婚後、児童養護施設に入所
――ご両親はどういう人たちでしたか?
古原 うちはお父さんとお母さんが2人とも夜の仕事だったのであまり家に帰って来なかったんです。そうすると、たまにおじいちゃんが遊びに来た時に、僕のおむつが何日も替えられていないことに気が付いたり。「おい、何日もおむつ替えてないじゃないか」と両親が叱られている姿を見た記憶があります。
あとはお父さんとお母さんが大声で喧嘩していたのをすごく覚えています。そういう家庭環境で、放置されながら育ったみたいです。
――いわゆる育児放棄(ネグレクト)状態だったのですね。それで養護施設に?
古原 養護施設に入ったのは、両親が離婚したあとです。当時19歳だったお母さんが僕を引き取って、夜の仕事でお金を稼ぎながら育ててくれました。
ただ、最初は無認可保育園を転々としてなんとかやっていたようなんですが、お母さんにとって、ひとりで育児するのはかなりきつくて、「無理だ」となったみたいで。そこから、児童養護施設に入りました。
最初は母親が面会に来てくれたが…
――養護施設に入った当初は、どのような心境だったか覚えていますか。
古原 また新しい保育園か何かに移ったのかな、と思っていました。そうしたら違ったわけですが。お母さんは、最初のほうはちょこちょこ面会に来てくれていたんですが、それが半年に1回、1年に1回と頻度が減っていって。ついに来なくなったのが小学5年生のときです。
自分が「捨てられた」とわかるまで、それから2年くらいかかりました。今思えば、当時は現実を受け入れられなかったんだと思います。
――養護施設に入所した当初の印象はどのようなものでしたか。
古原 一番最初に抱いたのは「怖い」という感情でした。入所前、お母さんに連れられて養護施設の見学に行った時、お母さんから「そのへんで遊んでおいで」と言われたんです。
僕は初めて会う子とも仲良くなるのが早かったので、施設にいた子たちと「かくれんぼ」をしていたのですが、押入れに隠れていたら急に、体格のいい職員の人に引きずり出されて。「おまえ、どこの子だ」とめちゃくちゃ怒られて、すごく怖かった。
そのA先生とは入所後も、ものすごくいろいろありました。出会いも最悪なら、その後も最悪という感じで。
先生たちに嫌われていたため、洗濯物は全て自分で洗濯
――すごく厳しい方だったのでしょうか。
古原 厳しい、といいますか、僕は目を付けられていたので、すごく理不尽な怒られ方をしていました。何かあると正座をさせられて、朝の8時から夜中の3時まで正座させられたこともあります。
――A先生はなぜ古原さんに目を付けたのだと思われますか?
古原 僕は間違っていることや理不尽なことで怒られた時に「ごめんなさい」と謝れなかったし、顔にも出てしまうんです。当時その養護施設では、「いかに先生に目を付けられないか」が重要で、先生たちからの指示に従うことができる子が勝つというか、生きやすい環境だったと思います。僕にはそれができなかったから、先生たちの間でずっと嫌われ続けていました。
――ほかの先生たちとの関係も良くなかったのですか?
古原 はい。僕は「自分の服は自分で洗濯しなさい」と言われて、小学校何年生かまではずっと、バスタオルから服から靴下から、全部自分で洗濯板を使って洗濯していました。一部の先生は、他の子たちへの見せしめにもしていたんじゃないかなと、今になって思います。
先輩からいきなり「お前ら、暇だから今から戦え」と言われる
――養護施設で暮らしていた子どもたちとの関係はどうでしたか。
古原 先輩は怖かったです。みんなで遊んでいたら、いきなり「お前ら、暇だから今から戦え」とか言われて。言うことを聞かなければ先輩からボコボコにされるので、どんなに嫌でも友だち同士で殴り合わないといけないんですよね。
あとは、エアガンが流行っていた時期だったので、何かあると先輩は僕らを撃つんですよ。少し物音を立てただけで「うるせえ」と撃たれたり、「水を飲む仕草が気に入らねえ」と言われて撃たれたり。「お前、さっき勝手にトイレに行ったな」と言われて撃たれたときは「もう何やっても終わりじゃん」と思いました。
――エアガンって、実際に当てられると、想像しているよりもずっと痛いですよね。
古原 そうなんですよ。僕、鎖骨あたりに3つの跡が残ってて。なんかほんとに、当時はやるかやられるかという環境で。
食事のときには、力のある先輩がみんな持って行ってしまうから、小学生の頃はお肉を食べられなかったんです。代わりにみんなが食べたくない野菜が僕たちのところに集まってきて、ベジタリアンのような生活をしていました。
でも、僕が退所したあとに環境が少しずつ良くなり、そういった文化は徐々になくなっていったみたいです。
施設で育ってよかったこと
――古原さんがいた当時の施設は、まだ環境が整っていなかったのですね。
古原 勘違いしてほしくないのは、ほかの施設も同じような環境というわけではありません。僕の知っている児童養護施設出身者は、アットホームな施設で育った人たちばかりです。
ただ僕の場合は、小学6年生くらいまではかなり悲惨というか、本当にいい思い出がなくって。
――そうすると中学生以降、何か環境に変化があったのでしょうか。
古原 その頃には、僕自身がなんとか生き抜くすべを身に付けられて、人のことを見る力が養われてきたと思うんです。それは施設で育ってよかったことだと思っています。ずっと厳しい環境で育つと「自分に対してこの人がどう思っているのか」をすごく敏感に感じられるようになる。
だから、いつも先回りして「この人は俺のことを嫌いになるだろうから、嫌われる前に離れよう」とか、少しずる賢くなったりして。気が付いたらそういう処世術のようなものを自然と身につけていました。
撮影=深野未季/文藝春秋
(吉川 ばんび)
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