子どもの負担も大きい「中学受験」 虐待が生じない工夫をしていこう
文春オンライン / 2024年12月30日 7時0分
中学入試の合格発表の様子(東京都新宿区) ©時事通信社
2024年2月の中学入試において、首都圏の受験率が過去最高の22.7%になりました(日能研調べ)。受験は低年齢化してきており、小学校3-4年生で準備を開始するのは当然とされ、通塾は就学前からという事例もあるほどです。中学受験をする目的は、中高一貫校や高評価、高偏差値の学校を目指すばかりではありません。たとえば今の小学校の雰囲気が合わない、地域の中学への進学に不安がある、やりたい部活のある学校が地元にないといった理由で受験する場合もあります。
しかし、その過程で教育虐待が問題となることがあります。教育虐待とは、子どもに継続的に過度な勉強等を強制し、心身や脳の機能低下を招くほどに負担をかけることです。幼少期に学業や習い事に時間を費やすことは、実は生涯よく生き続けるための心と体と脳の基礎を作るこの時期の体験と試行錯誤の時間を剥奪することになりかねないのです。
かつて子どもたちは生活や遊びを通じて人生の基礎となる学びを得ていました。しかし現在では生活時間の多くが学業や習い事に費やされ、自由時間が減少して自然な発達が脅かされています。子どもたちは外遊びの中で種々の感覚を育て、異年齢の関わりで人との距離感を掴み、地域の大人と交じって社会体験し、家庭での対話や睡眠や休息によって疲労回復し、学びを定着させてきたのですが、今は、目的的でなく発達を促進していたそのような時間が失われています。
暗記力、計算力、思考力や問題解決力といった学力と呼ばれる認知能力は、前頭葉を含む大脳皮質が司っていますが、人の脳の発達には、感情や意欲、社会性や創造性といった非認知能力を司る大脳辺縁系もあり、脳の発達のためには両方が必要です。発達のベースには、大人によって与えられる学びではなく、自ら生活や遊びの中で必要が生じて興味が募って学ぶプロセスが肝要なのです。しかし、体験を伴わないまま知識を詰め込むことを求められるなど、受験勉強はやり方によって脳の働きを高めるばかりでなくむしろ奪ってしまうこともあるのです。また、長時間の座位姿勢は、運動不足による筋肉発達不全、姿勢悪化、体調不良、不眠、集中力低下、視力低下、食欲低下などを生じさせます。
このように受験による子どもの発達上の負担は大きいのですが、研究によって親の社会経済的地位が子どもの学力に影響するという結果が示され、受験の結果は親次第と煽る風潮がある中では、親がプレッシャーを受け、焦燥感に駆られるのも必然でしょう。子どもに期待をかける親がヒートアップすると、教育虐待が起きてしまいます。
受験校を実力より高く設定すれば当然、成績が目標に達しにくくなり、最初の頃の叱咤激励がエスカレートして、叱責、罵倒、無視、体罰や行動制限を含む制裁、人格否定などになっていきます。親が熱を入れて生活を管理しサポートすればするほど、子どもは人生の統制感を失い、失敗を恐れ、主体性や自己肯定感を低下させ、意志や感情を抑えるようになります。
このように記述すると、やりすぎる親が不見識だと批判が上がるのですが、実は教育虐待の大きな問題点は、親のみならず教育産業関係者、そして世間がその行為を愛情や教育熱心さとして正当化することです。親は、自分の行為の正しさを保証する情報を探し、受験の苦しみは子どもを成長させる、逃げてはならないものと考えようとします。また、子どもの人生の責任は自分にあると考え、成功させなければと思います。教育虐待は、日本の競争的な価値観やメディアからの情報に煽られ支えられているのです。
国連から5度の是正勧告
実はこのような状況は古くから存在し、国連子どもの権利委員会は1998年から5回に渡り、日本政府に対して「過度に競争的な教育環境」の是正を勧告してきました。しかし改善策は取られず、親以外の教師や教育産業関係者、スポーツや芸術を含めた習い事の関係者も、バーンアウト(燃え尽き症候群)する子どもが出ても成功を目指し続けてきたのです。
その結果、カウンセリングの現場には、CPTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)と言われる、長期にわたるストレスによるさまざまな症状を示す患者が多く面接に訪れています。彼らは、何かに脅かされている感じが消えない、うつ状態になったり怒りが爆発したりするなど感情が統制しにくい、自尊心が低下して自己否定が始まる、対人関係に困難を抱えるといった症状に苦しんでいます。
子どもの人権が侵害されている
日本において受験は子どもの将来に向けた重要なステップの一つと考えられています。しかし、その過程で子どもの人権が侵害されています。教育虐待の発生リスクに社会が気づき、虐待の生じない教育を工夫しなければなりません。子の将来を思う親を毒親と責めても解決には結び付かないのです。
教育虐待は、ヒエラルキーのある競争社会において大人たちが子どもたちに社会経済的地位を得させるためにやむを得ないと認め、子どももまた大人の想いを背負って期待に応えようとすることから起きる社会的な意味でのマルトリートメント(心理的な虐待を含めた虐待)の一つだと考えられます。筆者が代表を務める一般社団法人ジェイスでは、2023年から社会的マルトリートメント予防全国集会を開催しています。社会的マルトリートメントの概念を深く理解しようとする人を募り、その人たちを地域の核として、地域ごとに自分たちの「ものさし」(価値観)を見直そうと考える人を少しずつ増やし、何をすべきか考え、実行に移すためのサポートをしています。虐待してしまう親が次々と生まれてくる背景を分析し、自分たちの言動と価値観を顧みて、皆で予防のアクションに取り組むことが必要ではないでしょうか。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『 文藝春秋オピニオン 2025年の論点100 』に掲載されています。
(武田 信子/ノンフィクション出版)
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