〈「三重苦」から救うための第一歩〉海の危機は地球のピンチ「ブルーエコノミー」の推進を
文春オンライン / 2025年1月6日 7時0分
写真はイメージ ©AFLO
記録的な猛暑や豪雨、特大台風などの超異常気象が起きているのは、日本だけではない。2024年6月には、イスラム教の聖地であるサウジアラビアのメッカで最高気温51.8度を記録し、1300人以上の巡礼者が死亡。8月にはギリシャで猛暑と強風によって大規模な山火事が相次いだ。既に米国などでは自然災害の多発で住宅保険に入れない事態となっている。
そんな中、世界的な異常気象と、海の機能不全との繋がりが注目されている。
海は自然システムを支え経済を動かす「基幹インフラ」
海は地表の70%を覆い、地球上に存在する水の97%を占める。また、地球における酸素の50%を生み出す。さらに排出される二酸化炭素の30%を吸収し、温室効果ガス排出で生まれた過剰な熱エネルギーの90%を吸収するなど温暖化から地球を守る防御壁となってきた。
つまり海は気候や生態系、地球環境の安定に欠かせない制御装置、自然システムを支える「基幹インフラ」なのだ。しかし電気や道路などの社会インフラと異なり、海などの自然は保全・維持の対象として適切に評価されず、搾取や汚染によってその機能を失いつつある。
例えば、海水が大気から吸収した二酸化炭素はかつて藻などが処理できていたが、現在の吸収量は処理能力の限界を超え、海が酸性化し続けている――珊瑚や甲殻類の発育は阻まれ、牡蠣産業などに大きな影響が出ている。
世界のGDP(国内総生産)の70%が何らかの形で「自然」に依存しているにもかかわらず、これまで自然がGDPや財務諸表など経済的観点から抜け落ちていたという反省のもと、資産として見直す動きが広がりを見せている。
複合的ストレスがもたらす海の機能不全
世界自然保護基金(WWF)によれば、主な海洋資産の価値は控えめに見ても24兆ドル(3456兆円)だが、このままでは海洋環境のダメージによって今後15年間で最大8兆4000億ドル(1210兆円)もの経済的損失が生じるリスクがある。また、私たちが生きている間に、海は人間の影響によって、劇的な変化を起こす分岐点「ティッピング・ポイント」に達するという。
しかも海の変化は専門家の想定や既成概念を上回るかたちで進んでいる。それは地球が直面する三重苦(気候変動・汚染・生物多様性の損失)の複合的ストレスが海や地球環境に及ぼす影響を把握しきれていないからだ。
海面温度は2023年から毎月ほぼ一貫して過去最高記録を更新。南極大陸は盤石な地球の「冷蔵装置」だと言われていたが、氷塊が猛烈な速さで溶け始めた。海流や海面上昇への影響はもちろん、熱を反射する白い氷が、熱を吸収しやすい濃い色の水に変化することで、南極はむしろ温暖化の加速要因へと豹変。北極圏にほぼ海氷がない夏が2030年代に到来する可能性がある。
また海水温の上昇は、ハリケーンや台風の頻度と強大化に直結する。
海の生物の生態や分布にも異変が起きている。水温上昇で水中の酸素量が減少し魚の大量死が頻発。さらに「気候難民」化した魚種の分布が変わり、北海道ではサケやスルメイカなどの漁獲量は減り、ブリが増加。海水温の上昇と乱獲等の「自然界の限界」を度外視した活動が続けば、マグロ漁獲量世界一のインドネシアでは2050年までに漁獲量が31%減少すると予測されている。
水温上昇はサンゴ礁の大量白化を招いており、2024年には、過去1年間に世界のサンゴ礁の60%が白化したと判明。サンゴは共生する藻類の光合成からエネルギーを得ているが、海水温の上昇で藻類が離れる白化現象が起こると、栄養失調で死滅する。ちなみに、サンゴ礁には全海洋生物の25%にあたる約九万種が生息している。
二酸化炭素排出によって悪化する気候変動や海洋酸性化、プラスチックや化学物質による汚染、魚の乱獲などの人為的活動とそれらの複合的作用によって、海は機能不全に陥り、地球環境がショックに耐え、順応する力である「自己保全能力」が失われている。その影響は気候から微生物に至る地球全域に及ぶ。
海の問題は社会経済的問題
ところが海は、陸上で暮らす私たち人類にとって心理的に遠い存在だ。国際連合がこの10年掲げてきた国際目標SDGs(持続可能な開発目標)のうち「海の豊かさを守る」への投資額は17目標のなかで最下位、サステナビリティ(持続可能性)に注力している企業でも海に目を向けているのは20%未満という調査もある。海は未知に満ちていることや、その64%がどの国にも所属しない公海であることなども、こうした消極的な姿勢に影響している。
そんななか、21世紀に入った頃から、「ブルーエコノミー」という考え方が注目されている。「サステナブル・ブルーエコノミー」と呼ばれることもあるが、海洋資源の持続的な利活用を通じて、海洋環境を保全しながら経済発展を目指すというものだ。世界的な取り組みも始まっており、国際自然保護連合は、深海の鉱物採掘は十分な知見が揃うまで制限するという決議を可決。
2025年は、2021年から始まった「持続可能な開発のための国連海洋科学の10年」の折り返し地点であり、6月には国連海洋会議が仏ニースで開催される。しかし、ブルーエコノミーの実現に必要なデータや研究、法律、人材・教育は不十分だ。
英語で海を意味するOceanは、世界の海がつながっていることへの意識を高めるために、単数形での使用が標準的となっている。海洋汚染の九割は陸に起因していることが端的に示す通り、海の問題は人間の行動・態度に起因した社会経済的問題でもある。人間が海に与える影響や、海が人間に与える影響を理解する「海洋リテラシー」を人々が高めていく――。
それが、私たちが海との関係を改善し、危機から救うための第一歩となる。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『 文藝春秋オピニオン 2025年の論点100 』に掲載されています。
(近藤 奈香/ノンフィクション出版)
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