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「星が降ったように肺が真っ白だった。“厄介な病気になったな”って」妻・篠ひろ子さんが初めて明かす、伊集院静さんの“最期”〈メディアに24年ぶりの登場〉

文春オンライン / 2024年12月23日 6時0分

「星が降ったように肺が真っ白だった。“厄介な病気になったな”って」妻・篠ひろ子さんが初めて明かす、伊集院静さんの“最期”〈メディアに24年ぶりの登場〉

2000年4月、フランス南部のトゥールーズで。自宅リビングに飾られているお気に入りの写真(写真提供・太田真三)

 “最後の無頼派”と呼ばれた直木賞作家の伊集院静さんが、肝内胆管がんによって、2023年11月24日に73歳で亡くなってから一年。伊集院さんの後半生を支えたのは、妻の篠ひろ子さんだ。女優として絶頂期だった44歳のときに、2歳年下の伊集院さんと結婚。その後は出演作を減らし、50歳を前に芸能界を去った。

 伊集院さんの一周忌を前に改めてお話を伺いたいという編集部の依頼に、76歳になった篠さんは話すだけであればと引き受けてくださった。伊集院さんと交流が深かった阿川佐和子さんを聞き手に、24年ぶりにメディアに登場する篠さんがはじめて明かす伊集院さんの最期とは――。 『週刊文春WOMAN2025創刊6周年記念号』 より、一部を編集の上、紹介します。

◆◆◆

「ずっと会わないでいると会いたくなる人」

 伊集院さんが初めて小説を文芸誌に発表したのは81年(「皐月」)だったが、『受け月』で直木賞を受賞したのは92年7月。篠さんと結婚するわずか1か月前だった。伊集院さんと1984年に結婚した夏目雅子さんが、翌年、27歳の若さで亡くなってからの「放浪」もあり、当時から「最後の無頼派作家」などと言われ、それが伊集院さんの定番になった。二人の出会いは篠さんが40歳のころ。夏目さんの逝去から3、4年経った頃だった。

阿川 とにかく、気が合った、って感じ?

 でも恋愛感情とか、そういうんじゃないの。

阿川 えー、酔った勢いとかも?

 全然ない。そういう人じゃないんです、あの方は。

阿川 篠さんは?

 ないです。

阿川 そんな、間髪入れず(笑)。

 恋愛って、もう会わないではいられないってなるものでしょ。そういう感覚は一切ない。会おうって電話が来ても、平気で断ってました。ただずっと会わないでいると会いたくなる人だった。

阿川 インパクト強いもんなあ(笑)。

 (笑)。あのね、私、その頃って、うじうじ泣いてた人なんです。

阿川 え、意外。男っぽい方なのかと思ってました。

 飲んでも、歌っても泣いていて。久世さん(「時間ですよ」の演出・プロデューサー久世光彦さん)によく言われたの、「ひろ子は、歌うと泣くし」って。もう必ず歌ったら泣いてたんです、ピーピー。

阿川 浄化作用ですね。

「手で顔を拭いて、鼻も拭いちゃうの」

 過去を思い出したり、うまくいかないこともいろいろあったし、悲しくなるのね。それで、伊集院を変わった人だなって思ったのが、泣くと普通、ティッシュとかを出すじゃない。それが、手で拭くんですよ。

阿川 えー、篠さんの顔を? 惚れちゃうよ~。

 びっくりしました。顔を拭いて、鼻も拭いちゃうの、手で。それって子供とかにはするけど。

阿川 亭主にはできない(笑)。

 その時ちょっと思ったのは、この人、自分のことはどうでもいいんだなって。何が汚れようが、とにかく涙を拭こう。それでばっと行動に出ちゃう。そういう人なのかなって。

阿川 ほろりとした?

 それより驚いた。この人の前でなら泣いても大丈夫って自然に思ったかもしれないですね。

母は「あなたはああいう人と一緒になればいいのよ」って

阿川 久世さんは顔は拭いてくれないかな(笑)。

 「おお、泣いてるぞー」って言われるかも(笑)。しかも、伊集院は両親がいても来るんです、うちに。「行ってもいいか?」って電話が来て、「両親が来ている」って言うと、「俺は全然構わない」って。

阿川 お嬢さんと交際していますとか、挨拶を?

 全然。「こちら伊集院さん」「ああ、どうも」だけで、座ってお酒を飲んで。

阿川 ご両親のほうは?

 あの方ってほら、お年寄りの相手をするの、上手じゃないですか?

阿川 上手、上手。

 母なんか惚れちゃって。「あなたはああいう人と一緒になればいいのよ」って(笑)。両親がものすごく彼を可愛がったんです。

阿川 そうすると安心したでしょ、篠さんも。

 でも結婚する気はなかった。だって結婚には好きとか愛してるとか、そういう感情が欲しくない?

阿川 大いに欲しい(笑)。

 でしょ。でもそういう感覚ではない人だった。とにかく不思議でしたね。

阿川 それが結婚に至ったのは?

 一緒にいて安心できるし、この人は何があっても大丈夫そうだから、結婚してもいいかって。あちらはそういうことを自分から言う人ではないんですよ、飲みには来るけど(笑)。雅子ちゃんが「私、押しかけ女房なの」って言ってたのを覚えてますか? 私も押しかけ女房かもしれないと思う。婚姻届を持っていき、「はい、ここに名前書いて、ここにハンコ」って。

阿川 どこからそういう気持ちになったんですか? 1回も結婚なさっていなかったんですよね。

 初婚です(笑)。あちらは3回ね。私、結婚には憧れがあったんです。誰かを好きになると、すぐ結婚したくなっちゃうタイプだったの。でも、縁がなかったでしょ。44にもなってたしね。

がんになり、部屋から4日間出てこなかった伊集院さん

 伊集院さんががんとわかったきっかけは、亡くなる1か月前の23年10月、仕事場のホテルの部屋から4日間出てこなかったことだ。お別れの会で、篠さんと阿川さんがこんなやりとりをした。〈「心配なので東京に出てきて、お部屋をこんこんと」「『ひろ子です』って言ったら、『どこのひろ子だ』って言われちゃって。『仙台のひろ子です』と」〉

阿川 ある時から、東京を引き払ったんですよね?

 伊集院も23年の夏からはほぼ仙台暮らしになりました。だんだん食べられなくなって、どんどん痩せてきたんです。あんなに好きだったお酒も飲めなくなって。

阿川 9月に胃の検査にいらしたんですよね。

 ええ。でも伊集院がすごく怒っていたので、私は少し遅れて上京したんです。

阿川 伊集院さんはなぜ怒っていらしたんですか?

 私が家出をしたからなんです。

阿川 家出しちゃったの?

 今思い返すとくも膜下出血での入院中からなんですが、主人は幻覚を見たり、感情のコントロールが利かないことが増えて。でも様子が変だな、もしかしたら認知症や鬱病なのかもしれないとお手伝いさんとは話しつつも、本人には言えないし、言ったところで病院に行ってくれるような人でもありません。

阿川 そうでしょうね。

「あれはせん妄状態だったんだろうと思います」

 さらにコロナ禍の外出自粛も重なって、主人が息苦しく感じているのはわかりつつも、私は主人の身体が心配で煩く言ってしまう。だから言い争いばかりで、辛くなって1日だけ家を出てしまったんです。私が家に戻ってからも主人は不機嫌で、「おまえがいないおかげで、10キロ痩せた」とか言われて。

阿川 私も女房のせいで痩せたと、電話で伺いました。

 私のことが信頼できなくなってしまったのかなと悩みました。もう以前とは別の人になってしまったみたいで。でもその後調べてみると、あれはせん妄状態だったんだろうと思います。私がなぜ家出したのかも理解できないようでしたし、本人も辛かっただろうなと。

阿川 そんな頃に伊集院さんの「4日間、お部屋から出てきません」事件が起こったんですよね。

 脳外科の定期検診が10月に予定されていたので、私はそのときに全身を調べていただけないかと思って、早めに上京したんです。それで主人のホテルに行ったら、4日間出てこないという話でした。

阿川 そうだったんですか。

 部屋には水しかなくて、何も食べていなかった。今思うと、食べられなかったんだと思います。でもね、おかしかったのが「ちょっと待ってくれ」って部屋から出てきたとき、真っ白なジャケットを着ていて(笑)。

阿川 ここはジャケット着なきゃって思う方なんですね。要所要所で可笑しいのね(笑)。でも、怪我もされていたんでしょう。

 それまで気を張っていたのか、フロントまで降りてきて立てなくなってしまったんです。私には抱えられないのでホテルの方が車椅子を持ってきてくださって、病院に運び込みました。部屋で転んだのだと思うのですが、肋骨を骨折していたのでまず手術して。その後に消化器の検査をすると、数日後、「ちょっとお話が」と、余命宣告でした。

阿川 ショックでしたでしょう。

 そうだったとは思うんですけど、無と言うんでしょうか。その瞬間から私の感情は消えてしまったみたいで、それが今も続いている感じなんです。とにかく私から胆管がんですと伝えました。それ以上のことは言えなかった。「厄介な病気になってしまったな」と一言でした。

「亡くなった人は自分にさようならを言わなかった」

阿川 星が降ったように肺が真っ白だったとおっしゃってましたよね。

 もう何の治療もできる状態ではないので、緩和ケアの病院に移りました。本人はわかっていたと思います。「治らない人間になんで点滴なんてするんだ」と言われて「そうだけれども、それでちょっとは楽になったらそのほうがいいんじゃないの」という話くらいしかできなかった。

阿川 だいぶ穏やかになって、「苦労をかけたな」っておっしゃったんですよね。

 そうみたいね。でも私、よく覚えていなくて……。お手伝いさんの朋ちゃんによると、二人きりのときに「迷惑かけて申し訳ないな」って伊集院が言って、「そんな、迷惑なんてかけてませんよ」と返したらしい。どんなに必死に頑張っても悔いが残るものなのに、こんな大切な会話を忘れてしまうなんて、私は何をしていたんだろうと。

 私の留守中には、「仙台に帰りましょう」と声をかけた事務所の女性に、伊集院は「それはもう難しいでしょう」と答えたあと、「女房を支えてください」と言ったそうです。

阿川 ありがとうとかも?

 そういう時って、お互いにそんな言葉は口に出せるものではなくて……言ってしまったらもう本当に終わりみたいで。伊集院も「亡くなった人は自分にさようならを言わなかった」と書いている。だから私にもさようならを言わなかったのかなって、思うんです。

●伊集院さんが語っていた篠さんとの結婚の決め手や、二人のやりとりがうかがえる93年発表の短編、3年で終わるはずが31年になった結婚生活や、篠さんが仙台に居を移した思い、そして芸能界から姿を消した理由――。14ページにわたる対談の全文と、仙台のご自宅で撮影した秘蔵写真「伊集院静が妻・篠ひろ子に遺したもの」は 『週刊文春WOMAN2025創刊6周年記念号』 でお読みいただけます。

文:矢部万紀子 写真:篠さん提供、文藝春秋、橋本篤

(篠 ひろ子,阿川 佐和子/週刊文春WOMAN 2025創刊6周年記念号)

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