円谷プロから着ぐるみを借りて……大学時代の河崎実監督がつくった完コピ8ミリ映画『√ウルトラセブン』
文春オンライン / 2024年12月31日 6時0分
©藍河兼一
いま日本映画界を第一線で支える映画監督たちには、8ミリ映画を自主制作し、才能を見出され、商業映画にデビューした者たちが少なくない。そんな監督たちに自主映画時代を振り返ってもらう好評インタビュー・シリーズの第8弾は、特撮映画ファンにはお馴染み河崎実監督。唯一無二な「バカ映画の巨匠」に、自身も自主映画出身監督である小中和哉氏が聞いた。(全4回の1回目/ 2回目 に続く)
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河崎実監督は、怪獣映画要素のあるユルいお笑い映画を連発している《バカ映画の巨匠》。僕にとっては、特撮系の8ミリ映画上映会などで学生の頃から付き合いのあった自主映画の先輩監督。8ミリ映画出身監督の中で、というより日本の映画監督の中で、唯一無二な独特のポジションで映画を作り続ける河崎監督に、いろいろお聞きした。
かわさき・みのる 1958年東京都原宿生まれ。明治大学在学中から8ミリ映画を制作、『ウルトラセブン』(67)のリメイク『√ウルトラセブン』(79)、石坂浩二ナレーターの『エスパレイザー』(83)などでアマチュア特撮の雄として注目される。その後、CMプロデューサーを経て『地球防衛少女イコちゃん』(87)でプロデビュー。他の作品に『いかレスラー』(04)、『コアラ課長』(06)、『ヅラ刑事』(06)、『日本以外全部沈没』(06)、『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発』(08)、『地球防衛未亡人』(14)、『三大怪獣グルメ』(20)、『遊星王子2021』(21)、『突撃!隣のUFO』(23)など多数。
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『ウルトラマン』に頭をぶち抜かれるような衝撃を受けた
―― 河崎さんは子供の頃から怪獣映画にハマっていたと思うんですが、最初にハマったのは何ですか?
河崎 『ウルトラマン』ですね。初代の。
―― いくつの時ですか?
河崎 7歳から8歳だから、直撃なんですよ。『ウルトラマン』を見て、ヤバイ、となった最初の子どもですよ。
―― 怪獣にドはまりして、どんどん追いかけていった感じですか?
河崎 そうですよね。その後、中学、高校になって、その頃はビデオとかないから、とにかく映画が観たいので、過去の怪獣映画とか特撮映画を観まくっていました。
―― あの頃、学祭とかで16ミリのプリントで『ウルトラ』とかをよく上映していましたよね。
河崎 そうそう。一番最初に作った8ミリ、俺と先輩が作った怪獣映画を、『ウルトラマン』と『セブン』と『怪奇大作戦』の16ミリと一緒に合同上映会をやったんですよ。
自主映画を見る・作ることに夢中になった学生時代
―― 自分の作品と16ミリの円谷作品を同時上映?
河崎 そうそう。それに今活躍しているライターとか、のちにプロになった原口智生(注1)とか、その時にみんな観に来てるのよ。大学で上映会をやって、満員。
―― 河崎さんは明治でしたっけ?
河崎 明治大学なんだけど、他の大学からも見に来てるんです。そのころは『ウルトラ』とかそこに来ないと観れないから。
―― 『ぴあ』に情報を出したんですか?
河崎 そうそう。完全に『ぴあ』です。今日、持ってきたけどね。こういう感じで情報を出して。
―― 自主映画欄のページですね。
河崎 これに載るのがすべてだったんですよね。これに情報が集約されていた。
―― 河崎さんも『ぴあ』を見て上映会に行ったりしていたんですね。
河崎 もちろん。東京でやっているのはすべて行ったと言っても過言じゃないんじゃないかな。『ウルトラ』に限らず、若大将とかクレージーキャッツの映画も大好きだから。
―― 河崎さんはお家が何屋さんでしたっけ?
河崎 フグ料理屋だったの。超高級なね。大企業の社長とか、王貞治さんとか、そういう人しか来ない。とんでもないフグ屋だったね。もう当然ないんですけどね。
―― 加山雄三の若大将の家はすき焼き屋でしたっけ?
河崎 すき焼き屋。その息子で道楽者だから、設定に勝手に親近感を覚えて。それで、のちに自主映画でこういう映画を作ったんだけどね。(とチラシを出す)
―― これ、自分で若大将を演じましたね。
河崎 『イキナリ若大将』っていうね。
―― 大学の時ですか?
河崎 これは大学を出た後に、就職しないで作ったんですよ。大学の卒論みたいな感じでこの映画を作ったんだけどね。
大学で『フウト』『√ウルトラセブン』を撮る
―― 順番にお聞きしていきますね。最初の8ミリ作品を作ったのはいつですか?
河崎 77年だから、大学1年です。
―― それが先ほど言っていた、円谷作品と一緒に上映した映画?
河崎 そうそう。『フウト』といって、先輩が監督なんだけど、俺は美術とか特撮、ダビングとかやったんだけど。すき焼きの具が隅田川に落ちて、豆腐とネギと肉が巨大化して、後楽園球場がすき焼きになるっていうとんでもないバカ映画で。
―― 学生時代に見ました。あれ、着ぐるみじゃなくて人形ですよね。
河崎 スポンジで作って糸で動かしていた。あと、大学の屋上で勝手に、ミニチュアというか、箱でビルを作って。で、燃やしちゃうんですよ。その後、『ウルトラセブン』の8ミリ映画(注2)を撮ったんですよ。これはもう、パロディじゃなくて完コピしてやろうということで。
―― 結構真面目に作ってましたよね。
河崎 うん。僕は中1から祖師谷にあった円谷プロにチョイチョイ遊びに行っていたんですよ。円谷プロは、当時は撮影が終わったものはボンボン捨ててたんです。それをくれたわけ。で、ウルトラ警備隊のヘルメットがあって、それをもらって、これで映画を作れるんじゃないかと。じゃあセブンはどうするんだとなった時に、円谷プロはウルトラセブンとウルトラマンの着ぐるみを一般に貸していたんですよ。1週間いくらで結構安く。俺も運動会で借りますとか言って、それで映画を撮ってるっていう(笑)。恐ろしいよね。
―― ウルトラ警備隊の制服は作ったんですか?
河崎 制服なんてTシャツにガムテープを貼っただけの。
―― その程度ですか。
河崎 あと、メカとかを紙で作ってね。で、『ウルトラセブン』をでっちあげた。これもみんな観に来てあきれてたよね。
集結した元祖オタクメンバー
―― 『ぴあ』に情報を出して、上映会に人が来たんですね。
河崎 もちろん。オタクという言葉がまだなかったけど、そういう特撮が好きなオタクたちが自然と集まってるんですよね。
―― 怪獣倶楽部(注3)でしたっけ。最初のオタクメンバーが揃ったのは。原口さんも入っていたんですよね。
河崎 僕はあれには入ってないんだけど。間に合わなかったのでね。その後の世代。
―― ちょっと上なんですよね。
河崎 そうなんですよ。
―― 原口さんは高校生の頃から入ってた。
河崎 原口君はちょっと異常だね。あの人は東宝のスタッフが親戚だから。円谷英二とも会ったことがある。恐ろしいんだよ、あの人。
―― それは羨ましい。そのメンバーも河崎さんの上映会に来ていたということですよね。
――『√ウルトラセブン』はどんな反響でした?
河崎 みんな驚いてましたよ。ここまでできるのか、みたいなね。小中君も同じだろうけど、反響がやっぱり楽しいんだよね。上映して、みんなが喜ぶというか、驚くというか。それでずっとやってきちゃったという感じですな。
特撮大会に集まった面々
―― 僕も河崎さんと学生の頃に一緒に作品の上映会をやらせてもらったりとかしてました。最初は何でしたっけ。特撮大会とか?
河崎 特撮大会というのがあってね。そこで『TURN POINT10:40』(注4)を上映したんじゃないですかね。
―― 特撮大会というのはどういうメンバーでやっていたんでしたっけ?
河崎 特撮大会は、開田裕治(注5)さんとかが主体になって。ファン主催だよね。のちにプロの編集ライターになった人たちが多いよね。一瀬隆重(注6)とかも関西から来て、すごいお祭りイベントだった。その頃はまだ特撮映画の地位が全然低かったんですよね。全然認められてなかったんですよ。こんなものは子どもの時に終わるもので、卒業だ、みたいな。あなたも言われたでしょう。
―― そうですね。
河崎 人形を捨てろとか。
―― 『ウルトラ』とかを中学以上で見ていると白い目で見られた時代ですよね。
河崎 そうでしょう。あなたなんか立教で映研のエリートで、そういうちゃんとした8ミリ映画を撮っていたけど、こっちは単なる子どもだから。
怪獣の着ぐるみづくりは『√ウルトラセブン』から
―― ある種マニアというか、ファン活動の一環で撮っていたみたいな感じは当時からあったんですか?
河崎 そうだね。プロになろうとは全然思ってないもんね。まず怪獣の着ぐるみを作るところから始めるんですよ。その頃、原口君も初めて怪獣を作ったんだけど。
―― それはどの作品で?
河崎 『√ウルトラセブン』。
―― 敵役の怪獣ですか?
河崎 フィング星人という名前にしたんだけど。それは、初代ウルトラマンの成田亨(注7)が最初にデザインした、ウルトラマン以前のデザイン。見たことあるでしょう? あれをまんま作ってるのよ。
―― その頃、成田さんとは接触していたんですか?
河崎 してないね。その頃はそういう神様たちにまだ会えてなかったんですよね。学生だから。プロになろうとも思ってないしね。だから、ずっと後ですよ。成田さんとか高山良策さんとか。実相寺昭雄監督とか飯島敏宏監督と会ったのもだいぶ後。
注釈
1)原口智生 特殊メイクアーティスト、怪獣造型師、映画監督。
2)『ウルトラセブン』の8ミリ映画 『√ウルトラセブン』監督:河崎実 1979年公開。
3)怪獣倶楽部 竹内博が設立した特撮研究グループ。中島紳介、氷川竜介、開田裕治などが所属。
4)『TURN POINT10:40』1979年 監督:小中和哉 『Single8』(22)で主人公が作る8ミリ映画の原型
5)開田裕治 怪獣絵師の異名を持つイラストレーター。
6)一瀬隆重 当時関西で自主映画サークルいちせ会を主催。8ミリで『ウルトラQ 闇が来る!』『理想郷伝説』を制作。その後プロデューサーとして『帝都物語』『リング』『呪怨』などを制作。
7)成田亨 美術デザイナー、彫刻家。『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の美術デザイナーを務めた。
<聞き手>こなか かずや 1963年三重県生まれ。映画監督。小学生の頃から8ミリカメラを廻し始め、数多くの自主映画を撮る。成蹊高校映画研究部、立教大学SPPなどでの自主映画製作を経て、86年『星空のむこうの国』で商業映画デビュー。97年、『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』でウルトラシリーズ初監督。以降、監督・特技監督として映画・テレビシリーズ両方でウルトラシリーズに深く関わる。特撮、アニメーション、ドキュメンタリー、TVドラマ、劇映画で幅広く活動中。
主な監督作品に、『四月怪談』(88)、『なぞの転校生』(98)、『ULTRAMAN』(04)、『東京少女』(08)、『VAMP』(19)、『Single8』 (23)、『劇場版シルバニアファミリー フレアからのおくりもの』(23)など。
〈 『ウルトラセブン』でキリヤマ隊長を演じた中山昭二が河崎実監督の『キリヤマ』に出演…その後電話の向こうで無言になったワケ 〉へ続く
(小中 和哉/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)
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