「細かすぎる名解説」の増田明美が、解説中と読書中に泣いた名場面とは!
文春オンライン / 2024年12月26日 6時0分
増田さんのマニアック解説は、膨大な取材があってこそ。
マラソンや駅伝中継での「細かすぎる名解説」でおなじみの増田明美さん。初の女子マラソン代表としてロサンゼルス五輪に出場を果たし、そこから華麗なる転身をとげた。その背景には、「箱根駅伝」との出会いがあった。人気解説者が語り尽くす『 俺たちの箱根駅伝 』の魅力とは。
解説者デビューと「箱根駅伝」
2024年パリ五輪女子マラソン中継でも「マニアック解説」が人気を博した増田明美は、初めて女子マラソンが実施された1984年ロス五輪に、日本代表として出場した。
長距離種目で次々と日本記録を更新し、天才ランナーとして期待を集めていたが、結果は途中棄権。「もう日本には帰れない」と感じていたが、大会後に一部から心無いバッシングを浴びたことで、増田は静かに表舞台から消えた。
「ロス五輪の後、『もう走るのはやめよう』と思って、引きこもっていたんです。しばらくして、『もう一度、走りたい』と思ったときに、『アメリカに行って、自由な気持ちで走っておいでよ』と勧めてくださったのが日本テレビ・箱根駅伝完全生中継の初代プロデューサー坂田信久さんでした」
増田は、アメリカ・オレゴン州のユージーンという小さな街で、走ることの喜びを取り戻す。そして、1992年1月の大阪国際女子マラソンで現役を引退。アスリートの思いを伝えるスポーツジャーナリストとして活動を始めた。
翌年、坂田から、ドイツ・シュトゥットガルトの世界陸上競技選手権の解説者のオファーが届く。チャレンジすることを決めた増田は、その準備のために、当時、麹町にあった日本テレビに通った。多いときには週に3度、足を運んだという。
「このとき、世界陸上チームのスタッフルームを訪れて驚きました。過去何年もの陸上の専門誌のバックナンバーがずらりと並び、海外の選手の情報など、膨大な資料が集められていたんです。スタッフは、ここに籠って資料を精読したり、取材に駆けずり回っていました。陸上競技を中継するということは、ここまでの準備をしなければならないんだ、という心構えを学びました」
増田は、女子マラソン代表だった浅利純子選手への取材を重ねた。浅利はこの大会で、日本人女性として初の世界陸上金メダルを獲得。このときの解説で、血液中の疲労物質を測定し、練習メニューを決めるなどの、当時、最先端のスポーツ科学に基づいたトレーニングの模様と、浅利選手のひととなりを伝えて、視聴者を驚かせた。
テレビのコメンテーターを務めていた映画監督の大島渚は、「浅利選手の金メダルも素晴らしいが、増田さんの解説も金メダルだ」と絶賛した。
箱根駅伝はなぜ、愛されるのか。
2024年1月に第100回の節目を迎えた箱根駅伝は、日本のお正月の風物詩となっている。なぜこれほど愛されるのだろうか。増田はこう感じている。
「お正月、1月2日から、寒空の下、前に向かってひたむきに走る選手の姿と、選手たちを後ろ側で支える人々の物語が、1年の初めにふさわしいんだと思うんです。それが伝わってくる日本テレビの中継の素晴らしさもありますね。坂田さんとともに箱根駅伝完全生中継を作り上げた初代ディレクター田中晃さん(現・WOWOW代表取締役会長)から何度も聞いたのは、『選手への愛とリスペクト』というフレーズでした。
実際の箱根駅伝を走る選手たちは、一人ひとり、いろんなものを背負っています。中継をみていると、彼らが、どんな困難を乗り越えてきたのか。誰に支えられてきたのかが伝わってきます。いつのまにか、自分と重ね合わせて、応援したくなるんだと思います」
小説『俺たちの箱根駅伝』に描かれた、選手たちの家族の物語
箱根駅伝と縁が深い増田は、小説『俺たちの箱根駅伝』をどう読んだのか。
「『俺たちの箱根駅伝』でも学生連合チームの一員として、選手ひとりひとりのバックグラウンドが描かれていて、何度も泣いてしまいました。私たちって、家族や学校、会社など、ある種のチームのなかで生きていますよね。その場所で、うまくいかないこともありますけれど、困難に対して純粋に立ち向かっていく姿は、強く美しいものでした」
伝える側である増田は、「アナウンサーが持つ言葉の力」にも感銘を受けたという。
「今作に登場する辛島アナウンサーの実況は素晴らしかったです。読んでいると、辛島さんの声色が浮かび上がってきました。辛島さんは、箱根を走る選手たちは、それぞれに人としての物語がある、という考えを持っていました。そのうえで、選手のバックグラウンドは伝えるけれど、プライベートには踏み込まない、というスタンス。
一方で私の解説は、陸上競技に詳しくない視聴者にも楽しんでもらいたいという気持ちが強くて、ついつい踏み込みすぎてしまって……。陸上競技ファンのなかには、『うるさい』と感じる方もいらっしゃるかもしれません。家に帰って、録画した映像をみたら、私でもそう思うときもありますから(笑)」
30年以上も陸上競技の魅力を伝え続ける増田が、大切にしているのは、「走っている選手の後ろには家族がいる」という信念だ。マラソン中継の解説をしながら、涙をこらえることができなかったこともあった。
「2024年1月の大阪国際女子マラソンで、前田穂南選手が見事な走りを見せて、19年ぶりに日本新記録が誕生しました。このとき、お父さんが32キロ地点から、所属する天満屋のユニフォームと同じピンク色のウェアを着て、並走していたんです。それを見ると、涙があふれてきてしまって。しかも、お父さんはサッカーをしていましたから、前田選手と並走できるくらいのスピードで、まるで忍者のように速くて(笑)。家族に支えられての『日本新記録』が本当に素晴らしかったです」
夢破れた選手を率いる甲斐監督と、名伯楽・小出義雄監督
学生連合チームは、本選に出場することが叶わなかった選手たちで構成されている。夢破れた選手たちをもう一度、目標に向かわせることは難しい。「それをまとめあげた監督の手腕にも感激した」と増田は話す。
「甲斐監督の言葉で、『メンタルが七割』というセリフがよく出てきますが、池井戸さんは陸上競技をよくご存じだな、と感じました。日々の地道な練習の積み重ねが大切で、そのためにはメンタルが重要になってくる。さらには、競技本番で大勝負をかける場面でも、メンタルが大事になります。選手は一人ひとり性格が違うので、指導者のメッセージの伝え方はとても難しいんです。ましてや、一度、挫折した選手たちですから。甲斐監督が、どんな声がけをするのか。読者の皆さんは、その部分も楽しんでもらいたいですね」
甲斐監督の選手指導を読みながら、増田さんは故・小出義雄監督のことを思い出したという。
小出監督は、1997年アテネ世界陸上・金メダリストの鈴木博美選手、2000年シドニー五輪・金メダリストの高橋尚子選手ら多くのトップアスリートを育てあげた名伯楽。増田は、小出監督に誘われて、過酷な練習を何度も取材していた。
「練習中に小出監督が言っているのは、1キロ毎のスプリットタイムと、『Qちゃん(高橋尚子選手)、いいね』ばかりでした。周りからみたら、簡単に見えるかもしれないですが、そうではないんです。小出監督はすべての朝練習に立ち会って、徹底的に選手を観察していました。そのうえで『具体的な指導は練習を終えたあと!』と決めていました。短い声掛けの裏側には、私たちから見えない部分での選手観察があったんです。甲斐監督の、学生連合チームの選手たちへの『声がけ』は、選手をしっかりと見つめていたからこそ、なのだと思いました」
忘れていた選手時代のピュアな気持ちが蘇る
東京陸上競技協会の会長を務める増田は、今年の箱根駅伝も1区で選手たちの力走を見届けるという。
「1月1日はニューイヤー駅伝、2日の箱根駅伝を見て、実家に帰省するというのが私のルーティンなので、今年も楽しみにしています。
小説をこれから読む方には、ネタバレにもなるので具体的にお話しできないのですが、いろんな場面で涙と感動があふれる物語ですので、ぜひ読んでいただきたいです。選手たちの『心の思い』の描かれ方がとても美しくて。『俺たちの箱根駅伝』を読んでいると、現役を引退してから忘れてしまっていた選手時代のピュアな気持ちが蘇ってきました。ランニング中も登場人物を思い出して、それぞれの選手の気持ちをイメージしながら走っていますよ。
目標に全力で挑むときの心のありようは、年を重ねるにつれて忘れてしまうんですが、池井戸さんはきっと『青春時代の心』をお持ちなんだと思います。そうじゃないと、こんな小説は描けないと思うんです」
増田明美(ますだあけみ)
1964年、千葉県生まれ。 私立成田高在学中に、長距離種目で次々に日本記録を樹立。82年2月に、マラソンの日本最高新記録(当時)を樹立。メダル候補として出場した84年ロス五輪では途中棄権。92年に引退後は、スポーツジャーナリスト、解説者として活躍している。
(増田 明美/文藝出版局)
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