入居金に6000万も払い…77歳で入った高級老人ホームをわずか2年で「退去」した私が、80歳になって抱いた“恐怖”
文春オンライン / 2024年12月31日 7時0分
平野悠さん 本人提供
コロナ禍中の4年前、当時私は76歳。家庭では30年も一緒に暮らしてきた妻ともどうも反りが合わず半年以上口もきかない日が続いた。
私は妻とは別居という形で、入居金6000万という高級老人ホームに単身我が身を委ねる決心をする。多少お金はかかるがまさに千葉県の鴨川湾が見下ろせる風光明媚、自室から眺める風景はどこまでも私を魅了した。
入居金に6000万も払ったが…わずか2年で退去
亀田総合病院が控える完全介護、どこまでも親切なスタッフ、いわゆる金持ち老人たちに囲まれての初めの1年は「よし、ここなら死ぬに限りなく充分だ」と思った。しかし、入居して2年目に入ると他の老人たちと距離をおくようになりだんだん自室に閉じ籠ってばかりになってしまい、ついには鬱症状まで出てしまう。
そしてこの老人ホームで、私はだんだん周囲から浮き上がる存在となり孤立を深めていく。小さな過疎の港町は海以外何もない。東京や千葉に映画やライブを見にゆくには往復4時間以上かかる。「映画や芝居が見たい! ロックのライブが見たい、友達とも一杯飲みたい、歌舞伎町の喧騒の中に戻りたい」と痛切に思った。
結局ホーム入居から2年、私は妻が住む自宅に帰った。
ついに恐怖の80歳になってしまった
2024年8月ついに恐怖の80歳になってしまった。
「これからの限りある老後をどう生き抜くか」が私の最大の課題となった。
80歳代から90歳へ向けて、どうやら私という生命体はまだ生きたがっているらしい。死への不安と怯えが交錯する。人間は誰しもいつかは死んでゆくという覚悟はもちろんあるが。
そんな中、ロフトグループの連中が私の80歳の誕生祝いイベントをしてくれることになった。
「結局は私の自慢話の会になってしまうのかな? それは嫌だな。かつて鈴木邦男さんは誕生会で、終始ニコニコしていたなあ。好きな人が来て好きにしゃべる、それがいいよな。鈴木さんの会のように、集まったみんなと素敵なコミュニケーションが生まれればいいな」と思い、祝ってもらうことに。
宴が終わると…
イベントには作家やミュージシャン、お世話になった昔の友人など、各界の予想外に多くの人たちが来てくれた。ただただ感謝である。しかし宴が終わり、圧倒的に混雑する歌舞伎町で孤立無援な自分をあらためて曝け出してみると、疲れが回ってがっくりしたのも事実だ。
評論家の鈴木邦男さんは2023年、79歳で亡くなった。老いたものにとって同年代の仲間の死はこたえる。明日は我が身かと思うことしきりで、友は死んでしまったが自分は生きているという一人取り残された孤独をひたすら感じる。
80歳でペットロスに
自宅に帰ってから2年。私にとって大きな悲しみは「猫の死」であった。
4匹いた我が家の猫たちだったが、この2年でみんな死んでしまった――。高級老人ホームに入る前から飼っていて、長い付き合いである。私がホームから帰るのを、まるで死なずに待ってくれていたかのようでもあるが、なんという喪失感なのだろう。
4匹とも20年近く生き抜いた猫たちだ。人間の年齢でいうと、私と同じ80歳を超えると思うと余計に悲しい。
いわゆるペットロスというものに80歳でなろうとは。この思いをSNSのフェイスブックに書いたところ、多くの友人から優しい言葉をかけていただいた。
「つらいですよね。家で待っていてくれる猫に勝るものはないです」
「我が家も経験あります。そのときは大泣きしました」
やはり人でも動物でも、愛する者の死は同じように悲しい。それも、今の自分のように80歳になると、さらに「死」というものへの感情が、自分自身の存在も含めて複雑に絡みあってくる。
「生命は尊いだと馬鹿言っちゃいけません。生命は尊くも醜くもありません。ただの自然現象です」とは私が尊敬する哲学者・池田晶子(2007年没)の言葉だが、実に衝撃的だ。
いっそ老いに挑んでみたい
「死」とは何か。この世の誰一人として、未だかつて体験したことのない「死」をなぜ恐れる必要があるのか。老いがもたらす、孤独感と肉体の衰弱。老いの中でそれとどう向き合うか。死を無視する強い意志、新しい生き甲斐を自ら作り出す必要があるのかもしれない。死については誰も知らない。最後の未知、最後の未来、死を無視する強靱な意志以外ない。
80歳となったいま思う。自分の目の前に進行していることは何なのか、自分の身に何が起ころうとしているのか。病院で親しい家族に見守られ「お父さん死なないで」と泣かれるくらいなら、むしろ孤立無援の死を選びたい。老いがもたらす不安や焦りを防ぐより、いっそ老いに挑んでみたい。
新しい生き甲斐が必要だ
東京に戻って2年たつが、新しい生き甲斐を求めて自分の暮らしを活性化したいと思う。それがたとえ一見、退屈なルーティンのようなことに思えても、反復することによって生き抜く勇気が必ず湧いてくるはずだ。
たとえばロフトグループは、いまは若い経営者に任せているが、その中の仕事の一つに映画製作がある。これに関しては私もかなり口を出すようにしている。映画というのは、いわば芸術作品であり、これは人任せにはできない。自分で良いものを目指して作っていくしかない。
80歳になっても充実して生き抜くには、生き甲斐こそ必要だ。そんな大事なことを猫の死は私に教えてくれたと思う。ペットロスはもう沢山だと思うのだが、悲しみを癒すには、やっぱりまた猫を飼うしかないのだろうか? それでも私のほうが早く亡くなってしまうのではという心配はあるのだが。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『 文藝春秋オピニオン 2025年の論点100 』に掲載されています。
(平野 悠/ノンフィクション出版)
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