読売主筆・渡邉恒雄氏の墓石に刻まれた「“親友”中曽根康弘元首相が書いた一文」とは?《写真あり》
文春オンライン / 2024年12月22日 6時0分
渡辺恒雄氏
2024年12月19日に98歳で死去した渡邉恒雄氏は、中曽根康弘元首相との深い親交が知られている。渡辺氏は中曽根氏の追悼記事で、自らの墓碑銘を中曽根氏に書いてもらったことを明かしている。
◆◆◆
濃密な時間を共有してきた
2019年11月29日、中曽根康弘元総理大臣が101歳で亡くなりました。
訃報に接した時、本当にがっかりしました。中曽根さんは僕より8年上。初めて会ったのは60年以上も前、僕が30歳前後のヒラ記者の頃です。爾来、僕らは何事も相談し、何かあれば必ず電話で報告し、お互いのプライバシーなく付き合ってきました。家族同士も仲がよく、お孫さんとも僕は親しい。7年前に蔦子夫人が亡くなった時も僕はショックを受けたし、僕の妻も2年前に逝ってしまった。そして、今度は中曽根さんだ……。
そんな濃密な時間を共有した人がこの世からいなくなってしまったのだから、思い出すだけで本当につらい。だから、あまり考えないことにしているほどです。
2年ほど前に、こちら(読売新聞本社の主筆室)に来て、お会いしたのが最後でした。全然ぼけてなくて、頭脳は明晰でしたが、足腰が弱り、耳もほとんど聞こえなくなっていました。僕は筆談しかないなと思い、筆と紙を用意していましたが、中曽根さんの秘書が横について“通訳”してくれました。僕が言う言葉を、秘書がはっきりした声で中曽根さんの耳元で伝えてくれる。それで自由に普通の会話ができたのです。
その後、補聴器をつけても耳が聞こえなくなってしまい、足腰もさらに弱って車椅子で生活するようになったと聞きました。最後は都内の病院に入院していたそうです。僕も足が弱くなり、耳が遠くなったりして、お見舞いに行けずじまいでした。考えてみると、僕も中曽根さんの症状をそっくり辿っているかのようです。僕の方が8年下だから、まだしばらくは持つのかもしれないけれど。
中曽根さんが書いてくれた墓碑銘
実は中曽根さんのおかげで僕の墓はもうできているんです。僕の親父が死んだ時に建てた「渡邉家之墓」が都内の寺にあるのですが、その敷地の隅の方の土地が空いており、2年ほど前に思い立ってそこに僕の墓を建てることにしました。墓碑銘は中曽根さんにお願いしたら、3日で書いて送ってきてくれました。
これがその実物です(「終生一記者を貫く 渡辺恒雄之碑 中曽根康弘」と書かれ、額装された和紙を見せる)。中曽根さんが書いてくれたこの字を、墓石に彫ってもらいました。「終生一記者を貫く」という文言は、僕からお願いした。そういう墓が欲しいと、自分で思っていたからね。中曽根さんが書いてくれたその墓に、僕は入ることになるわけです。
飲み会よりも読書会
1956年に最初に中曽根さんと会った時のことは今も鮮明に覚えています。当時、初代の科学技術庁長官に就任したばかりで、原子力委員会の委員長もしていた正力松太郎さんに「中曽根君に毎日会いたまえ」と言われて、会いに行ったのです。僕は当時ヒラ記者で、政治部長の命で読売新聞の社主でもあった正力さんのところに頻繁に出入りし、いろいろ情報をもらっていました。
正力さんと中曽根さんを結びつけたのは原子力の平和利用でした。正力さんは公職追放中からそれについて考えていて、読売新聞でも原子力の平和利用をテーマに「ついに太陽をとらえた」という連載キャンペーンをやっていた。一方、中曽根さんはもともと野党で、最初は民主党で改進党などを経て、保守合同の時に自民党と合併するまで政務次官も常任委員長も縁がなかった。しかしながら彼は原子力について勉強したんだ。改進党時代にハーバード大学の夏期セミナーに行く途中、アメリカの原子力産業の勃興を見た。そして帰国後、原子力の平和利用について考えるようになった。そこを正力さんが自分の後継者として見込んだんだな。
ただ当初、僕は中曽根さんとは肌が合わないと思っていた。スタンドプレーが多く、「憲法改正の歌」なんか作っていたので、タカ派のイメージがあった。しかし実際に会ってみると、そのイメージは覆された。非常に謙虚で、しかも質素で勉強家だった。
※本記事の全文(約1万字)は「文藝春秋 電子版」でご覧ください(渡辺恒雄「 わが友、中曽根康弘・元総理との60年 」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
・ 大野伴睦に入閣を依頼する
・裏切りの「白さも白し富士の白雪……」
・「風見鶏でいいじゃないか」
・総理をあきらめた瞬間、気持ちを切り替えられる
・田中派にポストを握られても腐らない
・政局を生き抜いた一代の傑物
・「ベルサイユ宮殿のような家」が3K
(渡邉 恒雄/文藝春秋 2020年2月号)
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