科学と地方ミステリー…直木賞候補作・伊与原新『藍を継ぐ海』
文春オンライン / 2025年1月6日 6時0分
伊与原新氏 ©新潮社
〈 「ちいさな集まり」の煌めき…直木賞候補作・朝倉かすみ『よむよむかたる』 〉から続く
きたる1月15日、東京築地の料亭・新喜楽にて第172回直木三十五賞の選考会が開かれる。作家・伊与原新氏に、候補作『藍を継ぐ海』(新潮社)について話を聞いた。(全5作の2作目)
◆◆◆
科学と地方とミステリー
北海道、本州、四国、九州と日本列島全体を舞台とする短編集だ。
「最初に書いた『祈りの破片』にはモデルがいて、長岡省吾さんという、広島平和記念資料館の初代館長です。地質学者で、原爆投下後、被爆地の岩石や瓦が変質していることに気付き、収集調査を始めた方。集めた物を自宅の押し入れに溜めて、周囲からは変人扱いされたようですが、それが原爆資料館の最初の展示品となったのです。彼の存在を世に知らしめたいと考えたのですが、小説として表現するにあたり、舞台を長崎に変えました。謎の空き家に沢山のガラクタが保存されている、というミステリーに仕立てたのです」
この空き家担当の役所の青年の成長物語にもなっているところが伊与原さんらしい。
「当初、彼をたんなる目撃者として描くつもりだったのですが、担当編集者から、やる気のない公務員が使命感を抱くに至る話の方がいい、と言われて。成長物語にしたことによって、“継承”というこの本を貫くテーマが浮かび上がってきたんです」
「狼犬ダイアリー」は、都会から吉野の村に引っ越した若きウェブデザイナーが、周囲に心を開いていく話だ。
「ニホンオオカミが大好きで、調べるうちに“狼混”という言葉に出会い、これを使いたい一心で書きました」
山口の離島で地質を調べ続ける女性研究者の話が「夢化けの島」だ。科研費が獲れそうな派手で時流に乗ったプロジェクトに食指が動かないという人物造型は作者の自画像なのだろうか。
「僕は研究者時代、大きなプロジェクトを仲間とやるのが好きでした(笑)。でもこの話の主人公みたいな研究者は周囲に少なからずいて、彼女が地道に積み上げているような知見があればこそ、大きなストーリーをもつ研究が成り立つことが今では分かります」
作者一番のお気に入りは「星隕つ駅逓」だという。北海道の遠軽に落ちた隕石をめぐる悲喜劇だ。
「専門家もアマチュアも一緒になって流星や隕石の情報を交換している掲示板があるんです。役に立たないことに心血を注ぐマニアたちが好きで、彼らの間の空気感をなんとか伝えたいと思ったことも執筆の動機の一つです」
表題作「藍を継ぐ海」は徳島の海岸で産卵したウミガメの子を育てようとする女の子と、年老いた祖父の物語。
「僕自身は地磁気が専門だったんです。磁場を利用して生きる生物にも興味があり、今回はウミガメを書きました」
科学によって見えてくる、人生の真実と大切なものを描いた好編五作だ。
伊与原 新(いよはら・しん)
1972年大阪府生まれ。神戸大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻し、博士課程修了。2010年『お台場アイランドベイビー』で第30回横溝正史ミステリ大賞を受賞。19年『月まで三キロ』で第38回新田次郎文学賞、静岡書店大賞、未来屋小説大賞を受賞。他著に『八月の銀の雪』『オオルリ流星群』『宙わたる教室』『ルカの方舟』『博物館のファントム』『ブルーネス』など多数。
(「オール讀物」編集部/オール讀物 2025年1・2月特大号)
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