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地方の一大名だからこそ戦国武将の生き方がシンプルに見えてくる…前田利家・利長父子の大河小説!

文春オンライン / 2024年12月25日 6時0分

地方の一大名だからこそ戦国武将の生き方がシンプルに見えてくる…前田利家・利長父子の大河小説!

『銀嶺のかなた』安部 龍太郎(文藝春秋)

加賀藩の礎を築いた前田利家・利長父子

「この小説を書くまでは、前田利家という人物は、賤ケ岳の戦いで柴田勝家方から秀吉方に寝返ったイメージが強かったのですが、実際にいろいろと調べて書き始めたら、すごく人間味にあふれる、スポーツマンタイプの武将で。危機的な場面での胆力も大いに発揮したし、信長に対しての忠誠心もすごく篤かったんです」

 直木賞受賞作『等伯』をはじめ、戦国時代を舞台にした歴史小説で定評のある著者の最新長編は、加賀120万石の礎を築いた、前田利家・利長の父子の物語だ。冒頭、北陸方面では一向宗や上杉謙信らが、天下布武を目指す信長と激しく対立。利家はその前線基地として能登を拝領し、国持大名として歩みはじめる。

「戦国時代の親子は、子は親に従属するものだという考え方があって、父の利家と息子の利長の関係性も、従来はそのように考えられていました。けれど利長は非常に優秀で、利家が叩き上げで中堅企業ぐらいの社長までになった人物だとすれば、利長は最初から本社の社長室勤務――つまり信長に近習に取り立てられたことで、若い頃に信長の先進的な考え方を理解し、蒲生氏郷や堀秀政のような優秀な仲間とさまざま議論をしてきた。信長、秀吉、家康と権力者が変っても前田家が生き残ることが出来たのは、その判断のおかげとも言えるでしょう」

 さらに執筆を進めていくうちに、利家が敵前逃亡したと伝えられる賤ケ岳問題に対しても新たな確信をもった。

「古戦場を歩き回って、豊臣方の根城があった場所、北側にある惣構えという巨大な堀の存在などを詳しく調べれば調べるほど、前田勢が敵方からいきなり逃げたということはありえない。おそらく利家にとって許しがたい戦況が生じたため、武将としてあるべき行動をとったまでなんです」

 はたして賤ケ岳ではいったい何が起きたのか……その後、秀吉によって領地をさらに加増され、前田家は押しも押されもせぬ北陸の雄となっていく。

「これまでの古い歴史観ではなく、大航海時代を見据えた新しい価値観や歴史観を背景にして、信長と秀吉、あるいは利家と利長といった人々がどのように動いたか。それをどのように捉えるかが、自身が戦国時代の歴史小説を書くときの大事な心構えです。今回の利家と利長は地方の一大名でしたが、だからこそ、その生き方をシンプルに解釈できたのかもしれません」

 苛烈な戦国時代、厳しい自然環境の中でも「粘り強く誠実に自分の道を進んでいく」彼らの姿は、現代の私たちにも勇気を与えてくれるはずだ。

安部龍太郎(あべ・りゅうたろう)

1955年福岡県生まれ。90年『血の日本史』で単行本デビュー。2005年『天馬、翔ける』で中山義秀文学賞、13年『等伯』で直木賞を受賞。著書多数。

(「オール讀物」編集部/文藝出版局)

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