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「ダメ。ゼッタイ。」でもなく、厳しすぎる社会的制裁でもなく…“薬物乱用問題”を解決するたった一つの方法

文春オンライン / 2025年1月7日 6時0分

「ダメ。ゼッタイ。」でもなく、厳しすぎる社会的制裁でもなく…“薬物乱用問題”を解決するたった一つの方法

©AFLO

 2024年5月、京都府内にある依存症回復支援施設入寮者が、覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕された。本来、再使用は依存症の回復過程ではよくあることで、むしろ失敗を通じて課題が明確になり、真の回復へと近づく。

厳しすぎる社会的制裁は正しいのか?

 ところが、一部メディアはその容疑者を実名報道した。私は強い憤りを覚えた。というのも、私自身、実名報道された違法薬物の依存症患者を多く担当し、デジタルタトゥの影響を嫌というほど痛感してきたからだ。なにしろ、年余にわたる断薬を達成しても、仕事には就けず、アパートの賃貸契約もできない。厳しすぎる社会的制裁だ。

 この実名報道については、すでに依存症支援団体4団体が共同で抗議声明を発表し、警察に質問状を送っている。だが、その回答には唖然とさせられた。曰く、「公表に公益性があると判断した」。

 この場合の公益性とは一体何なのか?「治療は無駄」「回復施設はヤバい」と国民に知らせることか? だが、国際的な潮流を考えれば、伝えるべきはむしろその反対ではないのか? 事実、国連麻薬特別総会は、「本来、健康と福祉の向上のためになされるべき薬物規制が、薬物使用者を孤立させている」と宣言し(2016年)、国連人権高等弁務官事務所が、「薬物問題の犯罪化は、医療アクセスを妨げ、人権侵害をもたらす」との声明を発表している(2023年)。要するに、実名報道に正義はない。

 思うに、実名報道するメディアや、それを許容する社会は、長年展開されてきたキャンペーン「ダメ。ゼッタイ。」に象徴される、薬物乱用防止啓発で毒され、感覚を鈍麻させられている。

 かつて私は、文部科学省からの依頼で、全国高校生薬物乱用防止ポスターコンクールの審査員を引き受けた。絵心など皆無の私だが、薬物依存症専門医という名目で文部科学大臣賞選考に関わったのだ。

 衝撃的な体験であった。本当にこの作品が地方予選を勝ち抜き、各都道府県で知事賞に輝いた作品なのかと訝(いぶか)しむほど、どのポスターも画一的かつ没個性的で、コピペしたように似ていた。しかも、描かれている姿は、目が落ちくぼみ、頬がこけた、ゾンビのような薬物乱用者が、両手に注射器を握りしめ、口角からよだれを垂らして、まさに背後から子どもたちに襲いかからんばかり、という醜悪なものだったのだ。

病気の予防に「ダメ。ゼッタイ。」でよいのか

 まるで戦時下の風刺画だと思った。敵国の人物を意図的に「悪人」風に醜く描くことで、人々の無意識に嫌悪感や憎悪、敵意を刷り込む、という洗脳法だ。だが、病気の予防は戦争ではない。あのポスターに描かれていたのは「薬物依存症」という病気の当事者だが、同じやり方を他の病気――例えばハンセン病やHIV感染症――の予防啓発で使えるだろうか? まず許されまい。

 審査の場で私はこう思った。これら一連のポスターこそが、「ダメ。ゼッタイ。」普及運動の成果なのだ、と。なにしろ、子どもにとって薬物は身近なものではない。その無垢な心に一体どんな情報を与えたら、あのようなポスターができあがるのか。それは、推して知るべし、だ。

 通常、健康問題の予防啓発コピーは毎年更新され、時代の価値観に合わせて表現や重視すべき理念に変更を加えるものだ。薬物とて例外ではない。実際、乱用薬物は様々に変遷し、乱用者の背景も変化する。30年あまり同じコピーを使い続けていること自体がナンセンスだ。

 例えば、財団法人麻薬・覚せい剤乱用防止センター設立とともに、最初に「ダメ。ゼッタイ。」なるコピーが使われた1987年当時、薬物といえばシンナーと覚醒剤が二大乱用薬物だった。ところが、90年代後半にはシンナーは影をひそめ、その後しばらくは覚醒剤の一人勝ちとなった。そして2010年代には、危険ドラッグが社会問題となり、その乱用禍が沈静化すると、今度は大麻事犯者が急増した。ただし、依存症臨床現場から見ると、大麻患者は増加しておらず、単に警察が躍起になって逮捕しているだけで、むしろ近年とみに患者が増えているのは、多くの国民が使用経験を持つ、処方薬や市販薬の依存症、いわゆるオーバードーズだ。

 すでに述べたように、国際機関は厳罰政策の限界を認識している。1961年の「麻薬に関する単一条約」以降展開された、国際的に協調した厳罰政策の結果、皮肉にも違法薬物消費量、ならびに、薬物使用者の新規HIV感染者数や薬物過量摂取死亡者が増加した。また、当事者を医療や支援から疎外し、密売組織に巨利をもたらし、国家にも統制困難な事態を生み出した。

人が依存症になるのは快楽ゆえではなく……

 ハームリダクションが登場したのはまさにそのような状況だった。ハームリダクションとは、人々の薬物使用を減らすのではなく、薬物使用による二次被害の低減を重視する公衆衛生政策だ。具体的には、注射器の無償交換サービスや注射室設置、麻薬代替薬物の投与、違法薬物自己使用・少量所持の非犯罪化(違法ではあるが、刑罰は与えない)などの取り組みがある。

 ハームリダクションの有効性には、すでに多くのエビデンスがある。例えば、薬物使用者におけるHIV新規感染者や過量摂取死亡者を激減させ、断薬治療につながる者を増やし、さらに、国民全体の違法薬物経験率まで低下させた、という報告がある。

 人が依存症になるのは薬物がもたらす快楽ゆえではなく、薬物が生きづらさと苦痛を緩和するからだ。それゆえ、回復過程とは、失敗と紆余曲折がデフォルトの、文字通りの「七転び八起き」だ。

「ダメ。ゼッタイ。」では人は依存症から回復できないし、その気運に満ちた社会では、安心してSOSも出せない。

 2025年は、「ダメ。ゼッタイ。」はダメ、を社会に広めていく必要がある。

◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『 文藝春秋オピニオン 2025年の論点100 』に掲載されています。

(松本 俊彦/ノンフィクション出版)

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