「お、何食ってるの? 美味そうなものを食ってるじゃないか」70年前、大勝軒で“つけ麺”が誕生した瞬間
文春オンライン / 2025年1月4日 10時0分
つけ麺が初めてメニューとして提供されたのは1955年4月1日。現在も営業を続ける『大勝軒(たいしようけん)』(中野区中野)でのことだった。
「つけ麺」はそもそもまかない食だった
メニュー名は「特製もりそば」で、考案したのは同店の店長を務めていた山岸一雄(1934-2015)。原型は調理中に茹で上がった麺をザルから丼に移す際に残ってしまった麺を器にとっておき、ラーメンスープと醤油を湯飲み茶わんに入れたものにつけた、忙しいときのまかない食だった。山岸は信州出身だったので、日本そばの食べ方を応用した“中華版ざるそば”にしていたのだ。もちろん、商品化の野心などなかった。
それを見た常連客が興味を示したのをきっかけに研究を開始し、冷やし中華の酸味と甘みをヒントに味を調整。麺の食感を活かした日本そばと、中華の風味を併せ持つ独自の食べ物に仕上げていく。つまり、客のリクエストでたまたま生まれたメニューだったのだ。ラーメン一杯35円に対し、5円高い40円で提供された。
山岸は自著である『東池袋大勝軒 心の味』で、当時をこう振り返る。
〈ある日空いた時間を狙って、いつものように少し隠れて陰のほうでまかないを食べていた。すると、常連客の一人が厨房をヒョイとのぞき込んだ。そして、言った。
「お、何食ってるの? 美味そうなものを食ってるじゃないか。今度、それを俺にも食わせてくれよ」
しかも、そう言ったのは一人だけではなかった。〉
『大勝軒』は町中華だったがつけ麺の人気により……
「特製もりそば」はすぐに評判となり、1961年、独立した山岸が東池袋で『大勝軒』を開業すると、ラーメンと人気を二分するメニューに急成長。当初はカレーライスやカツ丼なども提供する町中華だった同店だが、客の大半がラーメンかつけ麺を注文するため、メニューをこの2種に絞り込まざるを得なかったほどの行列を生む。
山岸は後年、“ラーメンの神様”と称されるようになった業界のレジェンドだが、中華界への影響という点から見れば、つけ麺の考案者としての功績も大きく評価されるべきだろう。
麺をスープにつけて食べる画期的な中華の新メニューを、より多くの人に知らしめたのは、つけ麺というわかりやすい名称を引っ提げて1974年に登場した『つけ麺大王』である。矢継ぎ早のチェーン展開をしたこともあって、つけ麺は一躍ブームとなっていく。
ただし、『つけ麺大王』は関東ローカルの店舗展開をしていたため、一気に全国的な人気に結び付いたわけではなく、同店の躍進に陰りが見え始めると、短期間で店が減り始め、つけ麺ブームは去ってしまったかに思われた。
独立開店した山岸の弟子たちが活躍を始め、風向きが変わった
だが、ここからがしぶとい。つけ麺の可能性を見逃さなかった者たちがいたのだ。関東各地の町中華店主たちである。『大勝軒』はもともと町中華店なのだから、客との相性がいい。作業的には麺を締めて冷やす工程が加わるため手がかかるが、新メニューの開発に熱心な店や、客の要望に応えることに前向きな店が見よう見まねで導入。味のレベルにはばらつきがあったものの、徐々につけ麺を扱う店が増えていった。とはいえ、中華丼やタンメンのように町中華の定番に育つのはまだ先だ。
世間にインパクトを与えたのは、つけ麺のうまさを肌で知る職人たちだった。独立開店した山岸の弟子たちが活躍を始め、独自の味を追求する一部の店主が、『大勝軒』風ではないつけ麺を考案し、評判を取っていく。そして、それらの店で修業した面々が自分の店を持ち、なおも工夫を重ねる。さらに、つけ麺の専門店が生まれ、その成功に刺激されて新たな店がまたできる、という好循環が生まれていった。
彼らは多彩なメニューのひとつとしてつけ麺と向き合う町中華店とは比較にならないほど、味にこだわって他の専門店としのぎを削る。その成果は着実に客に浸透。全体のレベルアップを加速させた。いまではスープも『大勝軒』風の甘酸っぱいものばかりではなく、魚粉を効かせたもの、トマトを使った洋風タイプなど多様になり、行列の絶えない専門店が各地にできている。
それでも、つけ麺がどんなものか、全国の人が理解するようになり、スーパーで麺やスープが販売され、自宅で作る人が現れたのは今世紀に入ってからのことではないだろうか。
つけ麺はなぜここまで普及したのだろうか?
このように、つけ麺の特徴は、関東ローカルな食べ物から、ゆっくりと時間をかけて全国に広まっていった点にあると私は思う。そこが、戦前から存在し、戦後まもなく全国に普及、高度成長期に専門店が大量にでき、70年代以降、たびたびブームを巻き起こしてきたラーメンと決定的に異なる点だ。
テレビや情報誌が取り上げる頻度もラーメンとは比べ物にならないほど少なかったつけ麺は、外食産業の激しい競争をくぐり抜け、半世紀以上かかって“日本オリジナルの食文化”として定着してきた。
客の好みや時代に合わせ、進化をやめなかったのが勝因だが、ルーツである「特製もりそば」も過去のものにはなっていない。地域や客層に合わせて味を変えることを弟子たちに許していた山岸に、「おまえは俺の味を変えるな」と命じられた『お茶の水、大勝軒』がレシピを受け継ぎ、頑固に味を守っている。
では、つけ麺がここまで普及したのは、彼ら職人だけの功績なのか。私は、考案者の山岸が存命なら、町中華や専門店に通い、つけ麺が好きで食べてきた客たちこそが最大の功労者だと言うと思う。
70年前、常連客のリクエストに端を発したつけ麺の歴史は、脈々と受け継がれてきた無数の名もなき客たちの胃袋の歴史でもあるのだ。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『 文藝春秋オピニオン 2025年の論点100 』に掲載されています。
(北尾 トロ/ノンフィクション出版)
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