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世界中の登山家が避ける“冬のアラスカ”で突然意識を失った日本人登山家(41)の運命は…6歳の娘は「お父さん、死んだ」とつぶやいた

文春オンライン / 2025年1月5日 11時10分

世界中の登山家が避ける“冬のアラスカ”で突然意識を失った日本人登山家(41)の運命は…6歳の娘は「お父さん、死んだ」とつぶやいた

アラスカの山中で、雪で埋まりかけた雪洞入口から外をのぞく(栗秋正寿撮影)

「まるで戦場だな……」

 登山家・栗秋正寿は、雪洞から外をのぞいたとき、そんなことを思った。

 雪洞とは雪面を掘って作ったシェルターのことで、文字通り雪でできた洞窟のような形状をしている。雪洞内は気温こそ氷点下ではあるものの、無風・無音で平和そのもの。ところが数メートルの雪の壁を隔てた外界では、気温は零下40℃ほどにもなり、加えて猛烈な風が荒れ狂っている。風速は50mを超えているのだろうか。

 ときおり爆発したような音が聞こえる。雪崩の発生音かと思いきや、そうではなかった。巨大な氷の塊が飛んできてどこかにぶち当たっているようだ。もしくは、あらゆる方向から吹き付ける風が互いに激しく衝突し、空気が一瞬にして破裂しているようなのだ。

「なにかひとつアクシデントがあるだけでもう終わり」という場所

 まさに銃弾が飛び交う戦場の最前線。外に出たらとても生きてはいけない。その最前線に塹壕を掘ってじっと身を潜めている気分である。戦場と違うのは、自分以外、周囲に誰もいないことだ。半径80km圏内が無人地帯なのだから。

 なにかひとつアクシデントがあるだけでもう終わり。ここはそういう場所なのである。

 2014年3月11日、41歳だった栗秋はアラスカのハンター(4442m)という山の標高3100m地点にいた。アラスカは最高峰のデナリでも標高6190m。ヒマラヤより2000m以上低いが、緯度がずっと高く北極圏に近いため、気象条件はヒマラヤより悪いといわれる。

 特に冬の気象は最悪で、栗秋が遭遇した極低温・暴風はこの時期では珍しいことではない。ひどいときには零下50℃、風速70m超にもなるという。登山の難易度は夏の比ではなく、かつて冒険家の植村直己がデナリで遭難したのも2月だった。

 栗秋は、世界の登山家の誰もが避けるこの「冬期アラスカ」の専門家だ。2014年のこのときまでにすでに14回の冬期単独登山を重ねており、デナリとフォーレイカー(5304m)の冬期単独登頂も果たしていた。フォーレイカーの冬期単独登頂は世界初だった。

 ハンターは、それまでに栗秋が登ったデナリやフォーレイカーと比べて標高はいちばん低いものの、登山の難易度は逆にいちばん高い。その証に、栗秋はデナリやフォーレイカーは数回の挑戦で登頂を成功させている一方、ハンターは7回も登頂に失敗しており、2014年のこのときで8度目の挑戦だった。

 この極悪な環境での登山を成功させるために栗秋が採った作戦が“巣ごもり”である。冬のアラスカの大自然に無理して挑戦したところで人間が太刀打ちできるものではない。栗秋は天気が悪いときには雪洞にこもって時を待つ。天気が回復したスキに歩みを進め、悪天候の周期がまわってきたら再び雪洞を掘ってこもる。この繰り返しで山頂に迫るのだ。

 当然、それには時間がかかる。栗秋の登山は短くても2カ月、長いときは3カ月近くにおよぶ。年明けに入山したまま音沙汰がなく、春先にひょっこり下山してくるというのが栗秋のいつものやり方だ。

 クマの冬眠を思わせるその登山スタイルは、地元アラスカでも類を見ず、驚異と畏敬の念を持って受け入れられている。極寒環境での耐久力から「ジャパニーズ・カリブー(トナカイ)」との異名もとっている。

アラスカの雪洞を「世界でいちばん平和に眠れる場所」という栗秋

 8度目の挑戦となる2014年のこのときも、1月27日に入山して以来すでに44日が経過したが、行動できたのは22日間のみ。残りの22日間は雪洞から出られない日々が続いている。

 だが栗秋はそんな状況を楽しんでもいた。もともとすんなり登れる山とは思っていない。この厳しい環境下でも、待てば登山が可能になるタイミングは巡ってくる。今までもそうやってきた。たったひとりで待つことは自分にとっては苦ではない。

 いや、むしろ楽しい。たとえ外が零下40℃でも、雪洞の中は雪という断熱材に覆われているようなもの。住み慣れた空間は快適で、静かで誰にも邪魔されないため、日本にいるときよりぐっすり眠れている。

 ときには12時間寝てしまうこともある。いまやアラスカの雪洞は「世界でいちばん平和に眠れる場所」だ。外は戦場だというのに、この対比は極端なものだなと自分でも思う。

「父になり 早く下りたい 吾を知る」

 ヒマなときには雪洞内で川柳を詠んだりもする。ノートとペンだけで時間をつぶせる川柳は、孤独な環境下での貴重な娯楽だ。あれこれ思いを巡らし、言葉を選ぶ作業は、刺激の少ない雪洞内で自分を見つめ直す機会にもなるようだ。6年前に娘が生まれて以来、こんな言葉が出てくるようにもなった。

 遠く離れた放送局から入ってくる英語のラジオ番組も大きな楽しみのひとつ。カントリーミュージックやジャズを好んで聴いているのだが、日本にいるときより本場アメリカの音楽トレンドに詳しくなった。誰もいない山中にこもっているというのにおかしなものである。

 そんな日々が続き、日程の半分しか行動できていない。しかしそれは想定内のこと。山頂に達することができるかどうかは運次第だが、まあなるようになるのだろう。

「お父さん、死んだ」「え? なに?」「お父さん、死んだ」

 ところが今回、栗秋は軽い異変を感じていた。登山序盤からどうも体調がすぐれない。下痢が続いており、こんなことは今までになかった。雪洞でじっとしていると耳鳴りがし、食欲もいまひとつだ。頭がボーッとする感覚もある。

 だが熱はない。風邪をひいたわけではなさそうだ。体調が悪く感じるのは雪洞にこもっているときだけで、天気が回復して行動している間は不調は消える。バテやすいようなことも特になく、体力はいつもどおり十分に感じる。

 何か変な気もするが、考えてみれば自分ももう41歳。長年登山を続けていればこういうこともあるのだろう。さして気にとめることはなく、栗秋は雪洞内で夕食のパスタを食べ始めた。明日も天気回復の見込みはない。ここでの巣ごもりはまだしばらく続きそうだ。そんなことを考えていた次の瞬間、栗秋は突然、“落ちた”――。

▼▼▼

 そのとき、福岡に住む栗秋の娘・蒼子(当時6歳)は「お父さん、死んだ」とつぶやいた。

「え? なに?」

 栗秋の妻・聖子は娘の唐突なひと言に訳もわからず聞き返した。

「お父さん、死んだ」

 蒼子はそう言うばかりである。アラスカにいる夫のことを思うと何か不吉なものを感じはしたが、意味がわからない。

 年端もいかない子どもの言うことである。いちいち気にしていては登山家の妻などやっていけない。聖子はそれ以上娘に聞くことはせず、忘れるようにした。

〈 半径80kmが無人の“冬のアラスカ”で突然の失神…現地民から「日本のトナカイ」と畏敬される登山家を襲った“唯一の想定外”「あの時は1つだけいつもと違うことを…」 〉へ続く

(森山 憲一)

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