〈トランプの保護主義は正しい。しかし…〉トッドが語る米国産業が復活できない理由「優秀で勤勉な労働者の不足はすでに手遅れ」
文春オンライン / 2024年12月27日 6時0分
エマニュエル・トッド ©文藝春秋
ウクライナ戦争が長期化する中、トランプ氏が再びアメリカの大統領に就任する意味とは――。『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』(文藝春秋刊)を上梓したフランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッドが、2025年の世界を分析する。
「世界から尊敬されている」という西洋の自惚れ
――今回、出版された『西洋の敗北』はどんな本なのですか。なぜこの本を書いたのですか。
トッド 西洋の人々が「ロシアによるウクライナ侵攻」の意味をきちんと理解していない、と私は感じていました。
「ロシアが攻撃を仕掛けて西洋側が攻撃を受けた」と西洋の人々は見ていた。しかし、欧州やNATOがロシアに向かって東方に拡大していたことが、この戦争の背景にあります。ロシア人たちは「自分たちが攻撃を受けてきた」と感じているわけです。ですから、ロシア人たちは「自衛のための戦い」をしていると考えています。
私は西洋人のこうした思考のメカニズムに不安を感じ、本書によって「誤った現実認識」を訂正しようとしたのです。
本書では、実際に、欧州とNATOがロシアに向かって拡大していき、それをロシア人たちが「自分たちへの攻撃」と感じてきたことを描いていますが、本書のテーマは「西洋の虚偽意識」です。西洋がいかに間違ってきたのかを章ごとに追っています。
ロシアの実力を過小評価し、ウクライナ人の真の動機を見誤り、東欧諸国の反露感情を理解せず、自らが直面する「西洋の危機」、すなわちEUに訪れている危機、さらには最も根本的な危機である、米国社会が直面する長期にわたる危機を認識できていませんでした。
本書では、章ごとに世界中を見渡し、「西洋の虚偽意識」がいまやその頂点に達したことを描いています。つまり、「西洋は世界から尊敬されていて、西洋が世界を主導している」と西洋の人々は思い込んでいるわけですが、実は「その他の世界」は西洋に無関心で、むしろロシア側につき始めている、ということです。「大西洋」は自らが「世界全体」を支配していると誤って思い込んでいるのです。
「究極の要因」としてのプロテスタンティズムの崩壊
この戦争を分析して、ロシアが勝利するだろう、と私は確信したわけですが、本書の真のテーマは「ロシアの勝利」ではなく「西洋の敗北」です。すなわち「米国」を含む「アングロサクソン世界」の「内部崩壊」です。英国に対して残酷な章があります。米国には3つの章を費やして、いまやフィクションでしかない「米国の経済力」を始め、「米国のパワー」がいかに幻想でしかないのかを描いています。
そして、その衰退の「究極の要因」として、宗教的要素、すなわちプロテスタンティズムの崩壊を指摘しました。このプロテスタンティズムこそが、世界に君臨する英米を支えてきたのです。そのプロテスタンティズムが崩壊し、「宗教ゼロ状態」に至ることで、道徳面、教育面、知性面での「退行」が起こりましたが、こうした「退行」が、結果として、ウクライナ戦争での米国の「無力さ」「失敗」「敗北」に繋がっています。
2つの「西洋」とは?
この本では2つの「西洋」を語っています。「広義の西洋」と「狭義の西洋」です。まず軍事的観点や覇権主義の観点から見ると、「西洋」とは「米国の支配圏」です。欧州と極東、とくにドイツと日本を含みます。他方、文化面――すなわち価値観、権威や不平等や民主主義への態度――から見ると、日本とドイツは米国と大きく異なります。これは「家族システム」の違いに由来しています。
「狭義の西洋」とは、もともと「自由主義(リベラル)」という政治的価値観によって規定された「西洋」で、英米仏からなります。「西洋の敗北」とは、究極的には、これまで世界を支配してきた「自由主義的(リベラルな)西洋」の崩壊を意味しています。米国が世界各地で引き起こしている「戦争」や「紛争」とは何を意味しているのか。私はこう見ています。ドイツや日本のような国々を支配し続けるためにこそ、米国はこうした国々を戦争や紛争、とりわけロシアとの戦争に巻き込んでいる、と。
真の脅威はロシアではなく米国
なぜ私はこの本を書いたのか。まず「歴史の現実」を理解したい、という歴史家としての思いからです。私は長年研究を続けてきましたが、その成果を一冊の本にまとめて、いま起きている危機を理解することは、研究者としての喜びです。同時に、「西洋の一市民」として書いた本でもあります。私は西洋人であり、フランス人です。事態の鎮静化に貢献するために、「真の脅威はロシアではなく米国であること」を米国の同盟国や従属国の人々に明らかにしようとしました。ロシアは安定化に向かっている国で、「主権」という考えに基づいて、自らの政治的空間の保全を目指しているだけなのです。世界の中心にあって崩壊しつつある米国は、我々すべてを吸い込もうとしています。つまり、EUの敵は、ロシアではなく、ますます危険な方向へと我々を引きずり込もうとしている米国なのです。
保護主義は正しくとも、産業を担う優秀で勤勉な労働者がいない
――2024年のアメリカの大統領選では、ドナルド・トランプ氏が当選しました。さっそく「関税を引き上げるぞ」という発言を繰り返していますが、これをどう見ていますか。
トッド 私は基本的に保護主義に賛成です。ですから、第一次トランプ政権の保護主義に(全面的な賛同ではありませんが)肯定的でした。しかし実際、保護主義政策はトランプが始めたものではなく、オバマ政権時にまで遡れますし、バイデン政権も保護主義政策を引き継ぎました。自国の産業を守るには、ある程度の保護主義が必要なのです。
しかし問題は、保護主義政策が効果をもつには、輸入品に関税を課すだけでは不十分であることです。「優秀で能力があり勤勉な労働人口」が必要なのです。私が見るに、米国はすでに手遅れです。この本では、米国のエンジニア不足を指摘していますが、問題の一部にすぎません。技術者や質の高い労働者も不足しています。トランプの高関税から実際に「利益」を引き出すには優秀な労働力が必要なのに、今日の米国はこうした労働力を欠いているのです。すると、トランプの高関税は、実際には供給の困難、生活水準の低下、インフレの悪化など、さまざまな問題を引き起こすだけでしょう。私はこの分野の専門家ではありませんが、労働力の劣化がもはや不可逆な状態にある以上、トランプの保護主義は失敗するだろうと見ています。
米国の国内産業の復活を妨げているのは「覇権通貨ドル」
「経済を守れ!」「産業を守れ!」「国内でモノをつくれ!」と繰り返すトランプは、ある意味、優れた直観の持ち主ですが、「保護主義の理論」をきちんと理解できていない。数日前にトランプが(米ドルに頼らない「脱ドル」を進めれば、加盟国に100%の関税をかけると)BRICSを脅迫して「ドル覇権」を死守しようとした時に、そのことが露わになりました。むしろ米国の国内産業の復活を妨げているのは、この「覇権通貨ドル」なのです(ある国の天然資源の豊かさは経済の他の分野の発展を妨げる力にもなることを「オランダ病」と言いますが、米国はいわば「スーパーオランダ病」に苦しんでいるわけで、経済を阻害する「天然」資源は、ここではドルです)。「ドル覇権」が「抽象的な記号でしかない通貨記号(=ドル)」と「外国からのモノ」との交換を可能にしているのです。
だからこそ米国では、高学歴者ほど、産業やモノづくりの就職につながる科学やエンジニアの分野ではなく、抽象的な通貨記号であるドルという富の源泉に近づくために、金融や法律の分野に進んでいます。
「保護主義の理論」に対する無理解とドル覇権を維持する態度は、トランプの経済政策が失敗に終わる兆候です。高学歴者たちの進路選択、ひたすらドルという抽象的な貨幣にこだわる姿勢、ドル覇権を何としてでも維持するという意思は、トランプ個人の失敗だけでなく米国自体の失敗でもあります。
トランプの過大評価
人々がトランプを歴史的要因として過大評価しているように感じます。まずトランプの当選を選挙民たちによる一つの「躍進」「快挙」と見ようとしました。しかし実際のところ、今回の選挙でのトランプの得票数は、前回負けた時とそれほど変わりません。トランプは評価された、選挙に勝つことで歴史的人物として評価された、と人々は考えていますが、今回起きたのは、トランプに対する新たな熱狂ではなく、民主党支持層の崩壊、敵陣営の信頼の失墜です。
また今回トランプが勝利したのは、前回とは大きく異なる国際情勢においてです。米国が史上最も重大な戦争、すなわちロシアとの戦争で敗北しつつあるなかで国家のトップに就いたのです。つまりトランプは、産業面でも、軍事面でもロシアにコケにされる国の大統領なのです。ロシアは、西洋諸国全体よりも大量の兵器を効率的かつ迅速に製造できる生産力を見せつけました。人々は、トランプの今回の勝利を前回と比較し、「今回、トランプは真の躍進を遂げた」と語っていますが、真実ではありません。
現在トランプは、米国の国家機関を真に掌握しようとしています。上院も下院も共和党が過半数を押さえ、最高裁も支配下に置き、スーパーパワーのトランプ大統領が登場しつつあり、ロシアとの交渉に乗り出し、世界中で「米国の敵」を選定しようとしています。
しかし現実はどうか。歴史的に見て、「トランプは敗北の大統領になるだろう」と私は確信しています。彼の大統領としての役割は、ロシア、さらにはイランや中国に対する軍事上の敗北、産業上の敗北を、要するに「世界における米国覇権の崩壊」をいかにマネジメントするかにあります。これは、トランプ自身が望んだこと、選んだことではなく、世界がトランプに強いていることなのです。(訳・文藝春秋編集部)
※このインタビューの動画は、「文藝春秋Plus」にて2025年1月上旬に配信予定です。
【「 文藝春秋 電子版 」では、トッド氏の最新対談をお読みいただけます】
E・トッド×成田悠輔「日本は欧米とともに衰退するのか」
トランプ再選と英国政治の混乱は「西洋の敗北」の始まり。はたして日本は……
〈 「ウクライナ和平交渉は“可能”でない上に、“必要”でもない」と歴史人口学者・トッドが断言するワケ 〉へ続く
(エマニュエル トッド/文藝春秋 電子版オリジナル)
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