「天皇制を倒さないといかん」と共産党入りし、「3番目ぐらいの新聞に行ったほうが早くトップに」と読売新聞に…98歳まで現役だった渡辺恒雄の「一貫した行動原理」とは
文春オンライン / 2024年12月24日 6時0分
渡辺恒雄氏 ©文藝春秋
ナベツネが死んだ。読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏である。98歳になっても存在感を示していたから「衝撃」ニュースでもあった。では読売新聞はどう報じたか。死去翌日の12月20日朝刊を見てみよう。
『渡辺恒雄氏死去 98歳 読売新聞主筆 現実路線 各界に影響力』(1面)
『戦後、言論界を牽引 主筆の責任、最後まで』(総合2面)
『歴代首相と深い親交 与野党に幅広く』(政治面4面)
『米中韓要人と交流』(国際面9面)
『球界発展 情熱注ぐ 歴代G監督と本音議論』(スポーツ面19面)
『スポーツ・活字振興 尽力』(社会面30面)
渡辺恒雄氏が“ナベツネ”になった瞬間
いかがだろう、功績を伝えるこのボリューム。Xデーに備えて周到な準備をしてきたのかもしれない。この日の紙面を見るだけでも、読売にとって一国の指導者かあるいはそれ以上の存在であったことがうかがえる。「各界の関係者からは、その功績をしのび、別れを悼む声が相次いだ」(社会面)なんて、まさしく“偉大なる指導者”の死を伝える紙面だ。
ナベツネってなんであんなに偉そうなのか、いや、偉いのか? 「たかが新聞記者」がなぜ政界にも影響力を与える存在になったのか。
原点は大学時代だった。太平洋戦争を体験したナベツネは戦後、日本共産党へ入党した。その理由を、「戦争中、『天皇陛下のために死ね』とか、『天皇陛下万歳』とか、日常茶飯事のようにやらされていた。二等兵で引っ張られて、あの地獄のような軍隊へ行った。それというのも、とにかく天皇制、全体主義が悪いからだ。だから戦争が終わって生き残ったら、天皇制を倒さないといかんと真面目に考えていた」と語っている(「独占告白 渡辺恒雄 戦後政治はこうして作られた」安井浩一郎・新潮社)。
天皇制打倒を考えていたナベツネ。戦争と軍隊への嫌悪から共産党に入ったが、組織の規律や統制を重んじる党に反発して脱党。読売新聞に入社する。その頃の読売は関東のブロック紙で全国紙の朝日新聞や毎日新聞に及ばなかった。なぜナベツネは読売を選んだのか?
「朝日や毎日より...」
「朝日、毎日のような大きいところに行って手間暇かかるよりは、三番目ぐらいの新聞に行ったほうが早くトップになれる」(「渡邉恒雄 メディアと権力」魚住昭・講談社)
なんと入社当初から社内制覇の戦略を練っていたのだ。共産党では挫折したが、そこで学んだ権力掌握術を読売新聞社内での権力闘争や出世闘争に利用したのだ。転んでもただでは起きないナベツネである。
ジャーナリストの魚住昭氏は、こうしたナベツネの「社内政治」の起源について、彼が大学生の共産党時代に「『ごく限られた少数者が多数を思い通りに動かせる』という政治の妖しい力に魅入られてしまったことだろう」とも著書で指摘している。学生時代から「政治」への萌芽はあったのだ。
読売に入社後、その野心的でエネルギッシュな姿勢は政界にも向けられた(当然の流れにすら思える)。政治記者として自民党副総裁や衆院議長を務めた大野伴睦や中曽根康弘元首相らに食い込む。
鳩山家の「子守り」として懐に入る
大野に信頼されたナベツネは、大野と入閣推薦候補を選定する作業をしたりするなど記者の域を超えた暗躍をする。鳩山一郎に食い込む際には幼い孫(由紀夫、邦夫)を背中に乗せて馬になってあやして気に入られたという。人の懐に飛び込むのが天才的だったナベツネ。よくナベツネの茶目っ気や憎めないキャラを褒める人もいるが、人心掌握のためにそうした振る舞いが身についていたという見方も必要ではないだろうか。
「渡邉恒雄回顧録」を監修した御厨貴・東大名誉教授が、今回朝日新聞に語っていた内容が興味深い(12月21日)。御厨氏は長時間インタビューをして。ナベツネはいつから今のナベツネになったのか?
《盟友の中曽根さんが総理を終えた後に、禁欲さがなくなった。読売の社長の地位をいかに維持するかということに変わった。昭和が終わったぐらいの時期からお座敷取材を始める。政治家と会うことを、純粋にネタを取って記事を書くというよりも、読売内の権力を維持し、他の新聞社を脅すことに使った。》
一方、魚住昭氏は共同通信の評伝で20年以上前のナベツネの言葉を紹介した。
「世の中を思う方向にもっていこうとしても力がなきゃできないんだ。俺には幸か不幸か1000万部ある。それで総理を動かせる。政党勢力も思いのまま、所得税や法人税の引き下げも読売が書いた通りになる。こんなうれしいことはないわね」
新聞を武器に世を動かそうとした
遂に権力を握ったナベツネは新聞を武器に世を動かそうとした。「憲法改正読売試案」の発表(1994年)、政府の審議会や有識者会議などへの参加、2007年の自民党と民主党の大連立構想の主導などなど、数え上げたらキリがない。
私は常々「読売の社説はナベツネの顔を思い出しながら読むと面白い」と提唱してきた。わかりやすい例もある。2015年の12月に「新聞の軽減税率」問題があった。朝日新聞の社説は《私たち報道機関も、新聞が「日常生活に欠かせない」と位置づけられたことを重く受け止めねばならない。》と新聞の税優遇にどこか気まずそうだった(2015年12月16日)。
しかし読売の社説はまったく照れがなかったのだ。《新聞と出版物は、民主主義の発展や活字文化の振興に貢献してきた。単なる消費財でなく、豊かな国民生活を維持するのに欠かせない公共財と言える。こうした社会的役割を踏まえ、日本でも、新聞と出版物に軽減税率を適用すべきである。》(2015年12月13日)
亡くなる直前まで社説に目を通した
これはナベツネが言ってるに違いない、と思って読めばよいのだ。そういえば訃報を伝えた読売に注目すべきことが書かれていた。毎年恒例の元旦の社説についてだ。
《渡辺氏はかつて自ら筆を執り、近年も細かく指導を続けていた。今年も12月12日、老川祥一論説委員長が病室を訪ねて元日社説の草稿を説明した際、渡辺氏は眼鏡をかけ直して熟読し、「それでよい」とゴーサインを出した。》
やはり昇天直前まで社説に関わっていたのだ。読売とはナベツネそのものなのである。権力者となったナベツネの言動には論じることが多すぎるが、一方で新聞記者魂を感じたのが「西山事件」(1972年)だった。
西山事件で見せた記者魂
毎日新聞記者だった西山太吉氏が「沖縄返還協定の密約」に関する外務省機密電文を省職員に持ち出させたとして逮捕起訴された事件だ。その裁判に渡辺氏は西山氏のために出廷し証言した。
あの件について「メディア・ジャーナリズムは、いくら機密と彼らが主張しようとも、政府が持っている機密を色々な手を使って取りに行かなければいけないのでしょうか」と問われた際に、ナベツネは「取りに行かないと駄目なんだよ、それは。何をやろうと」ときっぱりと答えていた(2020年のNHK 「BS1スペシャル」)。
先述の御厨貴氏もナベツネは「書かない記者」を非常に嫌い、あるべき記者像を追い求めたと述べている。ナベツネから学ぶことがあるとすればこの姿勢ではないか。対象に近づくなら忖度しないで書く。「たかが野球選手が」が印象的なナベツネだが「たかが新聞記者、されど新聞記者」なのである。
今も「書かない記者」はたくさんいるのだろうか? 最近ならSNSでの「オールドメディア論」についてナベツネはどう思っていたのだろう? 情報が閉じられた時代は政治家の懐に飛び込めば出世できたかもしれないが今の時代でもトップ記者になる自信はあるのか? そんなことを含め、一度でいいからナベツネに近づいて根掘り葉掘り質問して怒られてみたかった。
(プチ鹿島)
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