「すべて俺のせいだ」子分の暗殺を指示→懲役13年→刑務所内で自殺未遂…「伝説のテキヤ」尾津喜之助が服役中に良心の呵責に負けた理由
文春オンライン / 2024年12月29日 17時10分
写真はイメージ ©アフロ
〈 「暴力団の親分と直談判して」新宿の“劇場乗っ取り計画”を阻止…過激な団体を結成した「伝説のテキヤ」尾津喜之助が“鬼熊”と呼ばれたワケ 〉から続く
戦後新宿の闇市でいち早く頭角を現し、焦土の東京に君臨した“伝説のテキヤ”尾津喜之助。アウトローな人生を歩んでいた彼は、どのようにして「街の商工大臣」と称されるようになったのか?
ここでは、ノンフィクション作家のフリート横田氏が、尾津喜之助の破天荒な生涯を綴った『 新宿をつくった男 戦後闇市の王・尾津喜之助と昭和裏面史 』(毎日新聞出版)より一部を抜粋・再構成して紹介する。(全4回の4回目/ 1回目 から読む)
◆◆◆
親分衆への対抗勢力結成を目論んでいた高山春吉
尾津個人としては商売がふたたび軌道にのり、街としては震災復興事業がひとまずの完了を見、帝都復興祭がとりおこなわれた昭和5年ごろ、事件が起こる。
関東尾津組組長である尾津喜之助の片腕として名を売っていた、高山春吉という子分がいた。小柄な男ながら子分のなかでも頭1つ抜けていて、胆力も腕力もあって、このころ台頭してきていた。
ただ、才走るあまり、独断専行の気質を持っている男だった。名馬はことごとく悍馬より生じるという。尾津は、俺ならいずれ御すことができると放任していたが、それはやせ我慢に過ぎなかった。
高山はやがて、「関東兄弟分連盟」なる組織を作る。各組を横断して、幹部級の子分たちの横のつながりを目指す親睦団体の形をとっていたが、あきらかに親分衆への対抗勢力の結成を目論んでいた。
尾津は高山に刺客を放つが…
尾津は、他の親分たちから目に余るものがあると忠告を受けはじめた。連盟はひそかに、都内各地の親分の庭場を侵し、各露店から、なにかの名目を付けて金銭をとってもいるらしい。それでも尾津はしばらく、沈黙をつづけた。
そんな折、高山の兄弟分にあたる井口という男が、高山の妻と密通、2人して駆け落ちしてしまった。腹を立てた高山は井口を追うのではなく、尾津のもとへ怒鳴り込んできたのだった。「子の不始末は親の不始末」というわけだ。どうこの落とし前をつけるのだと親分に凄む子分。下剋上の機運高まり、事ここに至ってはもう放置してはおれない――。
ある日、ついに尾津は刺客を放つ。
数人の男たちが高山宅に躍りこむや、気配を察知した高山は即座に2階へ駆けのぼり、暗闇でぎらぎらと白刃を振って追ってくる男たちを、階上からハシゴを突きだし突き出ししながら防ぐ。
刺客たちがひるんだ隙に、小さな身体を生かして屋根から屋根へと跳ね、逃げ失せてしまった高山。その後の行方は杳(よう)として知れない。暗殺は失敗した。失敗して、どこかほっとしている自分に気付く尾津だった。
「指を3本つめますので、許してください」高山からの詫び状を受け取るが…
ところがある日、便りが届く。
「指を3本つめますので、許してください」
高山の詫び状だった。
「仕方ない、水に流そう」
尾津は傾きかけた。しかし親分衆が掣肘(せいちゅう)を加えてくる。会合に尾津が出向いた際、どう始末をつけるのだと皆に詰め寄られるまでに至った。関東兄弟分連盟はすでに、既存の親分たちに公然と対抗の意志を示していたのだ。
「尾津よ、高山は身体は小さいが執念深い男だ。今度の件で俺たちに恨みを含んでいるに違いない」
尾津はとっさに言い切った。
「きっと……俺が制裁する」
花小路へふたたび刺客が差し向けられ、高山は殺される
会合の翌朝、後悔はしたが――酒をだいぶ飲んでいたので、大きいことを言ってしまった。しかし公的な場での発言、子分たちも聞いている。もう後戻りはできない――。
詫びを入れてきている以上、高山の居所はとっくに割れている。ほどなく、子分ら主導で高山の潜伏先であった山形の花街・花小路へふたたび刺客が差し向けられ、高山は、殺された。
下手人2人はその場で出頭し逮捕。のちに総勢7名もが逮捕されたが、実行犯とともに、殺人教唆の罪で逮捕されたメンバーのなかに、のちテキヤ組織としては最大規模となっていく極東会の創立者、関口愛治が入っていた。尾津と関口は兄弟分の関係である。ここからみても、尾津組直系の子分はそれほどいなかったとやはり推測される。
「周囲の人に迫られて仕方なくやった」と振り返る尾津
人の生涯を物語として眺めたとき、あかあかと燃え上がる赫奕(かくやく)の一時期と、湿り気の多い陰鬱の一時期が入り乱れて終幕へ向かってゆく。このあたりのくだり、じつに暗くて、湿っぽい。戦前戦後を走っていく1人の男を追う筆者の足も、ときどき重くなって、このあたりはまたいで越えてしまいたい。
殺人という行為に宿る暗さのことではない。事件を捉える尾津自身の暗さをまたぎたい。本人はこの殺人を、執念深い親分衆から迫られたものと後年まで捉えている。右に記した事件の顛末も尾津にきわめて距離の近い媒体を出典としており、「周囲の人に迫られて仕方なくやった」という、尾津にとっては他責的な推移をしたのかはなんともいいきれない。
加えて、親分の意を汲んで暴力行使へと進んだ配下たちに、責任の一端を担わせてさえいる。後年、「私の苦しい胸の中を、子分たちは察することができない」とまで回想している。
戦前の尾津に限らず、戦後の暴力団組織も「子分が勝手にやったこと」「自分は指示をしていない」と言う指導者たちは珍しくなかった。尾津喜之助は、侠客・幡随院長兵衛を自任した男だったはずだが、この点では右の暴力団上層部の発言となんら変わるところがない。
高山を許す気があったのに、なぜ殺人を行ってしまったのか
高山を許す気が尾津の心に兆していたのは本当と思える。だが上意下達、絶対服従の組織にあって、親の意を汲まない殺人などまず行われない。指示は曖昧、しかし高山拒絶の意思表示は明確、こうした場面はなかったか。
任侠、義のために云々と言っても、最終的に入獄して泣きを見るのはいつでも組織内で下層の人々。こう思うときふと、ある思いに駆られる。
勇ましいことを言って死地に大勢の若者を差し向け、敗北すると現場の隊長クラスに簡単に自決を強い、自分たちは腹を切ることなく戦後も生きたこの国の軍隊組織上層部がオーバーラップしてくる。
我々の国の組織は、表社会も裏社会もそうした体質を作りたがり、それは昔から現在まで宿痾(しゅくあ)として残り、隙あらばいつでも地下茎のように広がろうとしていないか――。
それでも首の皮一枚、尾津喜之助には救いがあった。並の親分とは少々、違っていた。
今回の殺人教唆事件で自首をした尾津の人間性
尾津はまもなく、自首したのだった。
筆者も気を取り直して、もう一度、追跡を続けよう。
組織や親を守るため、子分が望んで死地に向かうのを、泰然と見送る態度こそ大親分だというナルシシズムは、他の親分並みに尾津も持っていたが、もうひとつ、「自己批判したがる性質」も持っていた。
内省の結果、いったん何かを決意すると、築き上げたもの全てを突然投げうってでも正しいほうへ向かおうとする、「苛烈な道徳心」がここで顔を出した。喧嘩が強かったと伝わるのも、ここに一因があったかもしれない。瞬間的に捨て身になれる強さ。しかしそれは自己消滅さえいとわない危うさと背中合わせでもある。
今回の殺人教唆事件では、もっとも保持すべき尾津組をなげうってでも、下した決断を他の親分たちから二度見されようとも、えい、と自首してしまった。この自己批判気質と、リーダーとしての脆弱さは、首の皮一枚分、人として信用に値する。
「すべて俺のせいだ」監獄のなかで知った悲劇とは?
昭和7年6月13日、尾津は殺人教唆の罪で13年の懲役刑を言い渡され、宮城刑務所に収監された。縛について間もなく、さらなる内省の沼に沈んでいかざるを得ない一事が尾津の耳に入る。
高山を刺し殺した子分は、東北から上京後、尾津のもとでテキヤとなっていた。青森には老いた両親を残してきていた。息子が人を殺めて入牢したと聞いた故郷の老夫婦は、日々、心労が積み重なっていった。そんなある日、男が訪ねてくる。男は言う、「息子さんの刑を軽くすることができます。ただ……そのための運動費がかかるのです」。
純朴な両親は家、田畑を売って金を作り、男にそっくり渡した。この詐欺師が姿を消し、息子の刑もなんら変わらないことがわかったときの老夫婦の無残さは、目も当てられなかった――自首後、服役していた尾津は、これを監獄のなかで知る。
「すべて俺のせいだ」
すぐに自殺しようとしたが、未遂に終わる。癇癪玉と自己批判気質、苛烈な道徳心、怒りっぽいわりにすぐに反省する素直さ、大胆なようで、自死しかねない神経の細さを同居させていたのが尾津喜之助だった。
(フリート横田/Webオリジナル(外部転載))
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