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「中学生の頃、性行為中に電気コードで彼女を縛って…」経験人数1000人超えの“カリスマ緊縛師”(40)が語る、「縛り」に目覚めた“意外なきっかけ”

文春オンライン / 2024年12月29日 17時0分

「中学生の頃、性行為中に電気コードで彼女を縛って…」経験人数1000人超えの“カリスマ緊縛師”(40)が語る、「縛り」に目覚めた“意外なきっかけ”

プロ縛師の鵺神蓮さん ©山元茂樹/文藝春秋

 カリスマ緊縛師としてその名を轟かせている鵺神蓮(やがみ・れん)さん(40)。近年、緊縛が日本の“文化”として世界的な注目を集めており、鵺神さんもグローバルな活躍を見せている。

 とはいえ、世間的には緊縛が身近な存在とは言い難い。なぜ彼は、そんな世界に自ら足を踏み入れることになったのか。幼少期の家庭環境や、初めて「縛り」に目覚めた中学時代、「縛り」の道に入ったきっかけなどについて、話を聞いた。(全2回の1回目/ 2回目 に続く)

◆◆◆

「ザ・昭和の父親」のもとで育った幼少期

――鵺神さんは、幼少期から少し変わった性癖をお持ちだったそうですね。

鵺神蓮さん(以下、鵺神) 当時は気づいてないですけど、幼稚園や小学校の頃から人と違っていたなと思います。要は、加虐行為によって性的興奮を覚えてしまうんです。好きな人や信頼してる人に対しても、そういう行動を取ってしまう。私は人よりも倫理感や罪悪感が薄いのかもしれません。

――その性癖は、ご自身の生い立ちが影響している?

鵺神 そんなに特殊な生い立ちでもないんですけどね。両親はいたって普通で、共働きで料理屋を営んでいました。親父は料理人で、ザ・昭和って感じの男で。 兄弟もいなかったので、子どものときは1人で遊ぶことが多かったです。

――お父さまはどんなところが「ザ・昭和の男」だったのですか。

鵺神 小学校高学年の時、親父が突然、私のことをバーンって1発ビンタしてきたんです。そしてそのあとに「殴るぞ!」って言ったんですよ。

 私が「もう殴ってるじゃないか!」って反論したら、親父が手のひらをパーにして「馬鹿野郎。これは“張る”っていうんだ。殴るってのはな、拳で殴ることを言うんだよ。辞書を引け、バカ!」と怒られました。

 とにかく日本語に厳しくて細かい男でしたね。「だから勉強ができないやつはダメなんだ」とよく言われてました。

母親は銀座のお姉さんで、彼女もいわゆる“昭和の女”だった

――豪快ですね。

鵺神 ある日、親父に前蹴りされて、その勢いでふすまを破って倒れたことがあったんです。すごく痛がりながら涙目で睨んだら、私に向かって親指を突き出しグッドポーズをしたんですよ。普通の父親なら、息子がそんなふうになってたら「大丈夫か?」の一言くらいあるでしょ(笑)。

 私に柔術を習わせたりしていたので、息子と思う存分戦うような“親子げんか”がしたかったんだと思います。スパーリングパートナーみたいな。戦ったうえで、しっかり叱りたかったのかなと。

――そういうとき、お母さまはどうされていたのでしょう。

鵺神 親父と私の“親子げんか”が始まると、母親は被害の及ばないところへスッと音も立てずに消えていく。それまでお茶を飲んでテレビを見ていたのに。

 母親は銀座のお姉さんで、彼女もいわゆる“昭和の女”。そういう家庭環境で育ったのが原初体験というか、自分の性格に影響を及ぼしている部分はあるかもしれませんね。

「当時付き合っていた女性と行為をしているとき…」中学生で初めて縛りに目覚めた“きっかけ”

――学生時代はどのように過ごしていたのですか?

鵺神 中学生になってからは二面性のある生活でしたね。その頃はまだ親父が怖くて。「清く正しく」という考えの人なので、静かに過ごしているように見せていました。

 一方で、学校では自由闊達。喧嘩ばかりの毎日です。いじめをしている奴を成敗していました。

――正義感が強かった?

鵺神 いや、正義のヒーロー的な感じではなくて。どちらかといえば、「なんで弱い相手と戦ってんだよ、やるなら俺とやろうぜ」という。勝てる相手にわざわざ暴力をふるうやつが許せなかったんですよ。

 だから「俺と戦って、生きるか死ぬか、Dead or Aliveを楽しもう」という感じで、いじめっ子にけんかをふっかけていました。

――初めて縛りに目覚めたのが中学生のときだったそうで。

鵺神 当時付き合っていた女性と行為をしているときです。そのときは夏だったんですけど、バックの体勢でしている最中に、背中に置いていた手が汗でずるっと滑ってしまったんですよ。そうしたら、自然と彼女に関節技をかけるような形になってしまって。

 そのときに彼女の中がぎゅっと引き締まったので、興奮してしまったんです。そのあとも、部屋にある電気コードで彼女を縛ってみたりしていました。縛りに目覚めたきっかけは、おそらくそのときだったのかなと。

経験人数は1000人超え…奔放な生活を送っていた10代

――目覚めるのが早いですね。

鵺神 実は小学4年生のとき、上級生の女子2人に「お小遣い500円あげるから」と言われて図書室の暗がりに連れて行かれたんです。なにが始まるんだろうと思っていたら突然、私の上にまたがられました。

「じっとしててね」と言われたので抵抗せず、手のひらに500円を握りしめながら行為が終わるのを待って……。自分の意思ではないので性的興奮もなく、幸い心の傷にもなりませんでした。

 自分の意思で初体験をしたのは中学生の頃で、13歳か14歳のときですね。

――10代の頃はかなり奔放な生活を送っていたという話も聞きました。

鵺神 当時はまだガラケーの時代だったので、iモードの出会い系で女の子とたくさん出会ってました。オンラインでもオフラインでも無双状態で、経験人数4桁はいってるんじゃないかな。

――出会い系で出会った人とも「縛り」をしていた?

鵺神 いや、その頃はあまり縛ってなかったですね。

「17歳のときに付き合ってた恋人が自殺した」鵺神さんが恋愛するのをやめてしまったワケ

――当時、お付き合いしていた人はいなかったのですか。

鵺神 その頃から、恋愛することをやめてしまったんです。まともに恋愛するのが嫌になった理由には、17歳のときに付き合ってた恋人が自殺してしまったこともあります。

――どうして自殺してしまったのでしょうか。

鵺神 彼女が違法薬物に依存していたんです。私は高校を中退してから絵描きの道に進んで、絵の先生と一緒に色んな場所を回っていて。

 ちょうど全国を回っていて私がいないときに、薬物依存で入院していた彼女が自ら命を絶ちました。

 それ以降、恋愛はしなくなりましたね。私のことを好きと言ってくれる女性がいても、「こちらが恋愛感情を持つことはないから」と断るようにしています。

「興味あるんだったら、あなたも来てみる?」“女王様”に誘われてSMバーで働くことに…

――10代でいろいろな経験をするなかで、「縛り」の道に入ったきっかけは何だったのですか。

鵺神 iモードで無双してた18歳くらいのときに、出会い系で「女王様」と自称する女性の書き込みを見つけたんです。当時の私はイケイケだったので、「『女王様』とは言っているけど大したことないだろうし、自分ならイケるだろう」と思って会ってみました。

 ところが、実際に会ったら彼女は本物の女王様で、まるで歯が立たなかった。話を聞いてみると、彼女はSMバーの関係者だったんです。別れる前に、「興味あるんだったら、あなたも来てみる?」って誘われて、それがきっかけで池袋のSMバーで働くことになりました。

――SMバーで働いてみていかがでしたか?

鵺神 当時のSMバーは今よりも入場料が倍以上で、簡単には立ち寄れないシークレットな場所でした。来ているのは、本当にSMが好きな人たちや、遊びに慣れてる人ばかり。そして、お金を持ってる人が多い。

 お店では、お金持ちのおじさんが女の子と親密になっていくのを目の当たりにしました。それまでイケイケだったけど、私にはお金もないし、肩書きもなかったから、「どう頑張っても、このおじさんたちには勝てない」と感じて。それが悔しかったので、お金や肩書きでは覆せない技術を身につけようと思ったんです。

「おじさんに財力も権力も社会的地位も敵わないけど…」縛りの技術を習得するようになった理由

――その技術が「縛り」だった。

鵺神 そうです。「縛る」ことに関しては、お金も肩書きも関係ないから、そのおじさんたちと対等になれますよね。財力も権力も社会的地位も敵わないけど、この分野なら自分は彼らに勝てるんじゃないかなと。

――そこから縛りを積極的に覚えるようになったんですね。

鵺神 ただ、元師匠であるお店のオーナーは教えてくれなかったんです。職人気質なので、「見て盗め」と言われて。

 昔から「芸は見て盗め」って言われていますけど、盗むほうにもある程度のレベルが必要なんですよ。だから、素人の私がいくら見ても、ただの真似事になってしまって技術が身に着かない。

 皿洗いや配膳などの雑用をしながらほかの人の縛りを見てましたけど、全然ダメで。結局、半年ほど経った頃、元師匠のお弟子さんから縛りを教えてもらえるようになりました。

――すぐに縛師としてデビューしたんですか?

鵺神 デビューしたのは2011年で、だいぶ時間が経ってからなんです。池袋のお店を1年ちょっとで辞めて、そのあとは別のことをやりながら縛りを学んでいたんですけど、デビューするにあたって、「こんないい加減な技術のままではダメだな」と考えて。

 アマチュアから抜け出すために、師匠に頼みこんでなんとか弟子入りしました。でも弟子入りから1年半で、破門になってしまって。

――なぜ破門に?

鵺神 きれいな言い方をすると、方向性の違いです。音楽グループの解散みたいな表現ですけど(笑)。そこから独立して活動していくことになります。そしてその後、独自の緊縛方法「責縛」を生み出すことになるんです。

撮影=山元茂樹/文藝春秋

〈 「今までの性行為はなんだったの?」と感じる女性も…経験人数1000人超え“カリスマ緊縛師”(40)に「縛られた人」が見せた“驚きの変化”とは 〉へ続く

(桃沢 もちこ)

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