「部活、夏休み…日本人って“青春”が好きですよね」10代の頃アメリカに住んでいた市川紗椰が語る、岡村靖幸とのまさかの“出会い”
文春オンライン / 2024年12月28日 11時0分
左から市川紗椰さん、岡村靖幸さん
岡村靖幸さんの人気対談連載『 幸福への道 』の書化を記念し、「岡村ちゃんファン」代表として市川紗椰さんをゲストにお迎えしました。いつもは岡村ちゃんがゲストを質問攻めにしますが、今回は市川さんが質問を繰り出す展開に。
『週刊文春WOMAN2025創刊6周年記念号』 より、一部を編集の上、紹介します。
岡村 4年前、テレビ番組の『関ジャム』で僕の特集があったときに出演されてましたよね。
市川 はい、ファンの一人として番組に参加したんです。
岡村 そのときはお話ができず。
市川 離れて座ってましたから。
岡村 ああ、遠くのほうに市川さんがいらっしゃるな、って。
市川 同じ空間にいるはずなのに、テレビを観てるみたいな感じで私は座ってました。
「あっっ! 幻の曲の人だ!」
市川 私はもともとアメリカに住んでいて。日本の音楽は、いとこが聴いていたものしか知らなかったんです。でも、日本に引っ越すことになり、日本の音楽をもっと聴こうと。当時、音楽配信ソフトをよく利用していて、日本の曲もそれで探して。でもフィットするものがなかなか見つからず、唯一、バービーボーイズの曲はいいなと思って聴いてたんです。
すると、バービーのリストに「Out of Blue」という曲が交じってて。あれ? 声も音も違う。この曲はバービーじゃない。誰の曲かはわからない、幻の曲。でもすっごくカッコいい曲だなって。
その後、日本のCD屋さんに行ったとき、岡村さんのPVがモニター画面に流れていたんです。あっっ! 幻の曲の人だ! そこからめちゃくちゃ聴くようになったんです。それが20年くらい前、高校生の頃でした。
岡村 ……。
編集部 どうですか、岡村さん。……もしもし、聞いてます?
岡村 ……いやあ、今日はやりづらい。いつもは僕がホストだからインタビューするんです、この対談は。
市川 ですよね。ファンが目の前にいるのは、ちょっと(笑)。
岡村 『関ジャム』みたいに黙ってるしかなくなります、僕は。
市川 あのときも、岡村さんがやりにくそうにしているのを感じながら、さらにやりにくくしましたから、私が(笑)。
20代の頃は、日本人になりたくて仕方がなかった
岡村 どういう音楽を聴いて育ったんですか?
市川 もともとはクラシックなんです。4歳からバイオリンやっていたので。その後、60~70年代のクラシックロックを聴くようになって。クリーム、ビートルズ、レッド・ツェッペリンとか。
岡村 ご両親の影響ですか?
市川 父がロック好きで、ギターやバンジョーを弾いたりするので、私もバイオリンと同時にギターも習ったり。だから、スミスとかデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズなんかもよく聴きました。
岡村 お父さんがアメリカ人、お母さんが日本人。家では英語を?
市川 そうですね。
岡村 じゃあ、英語のロックの歌詞もバーンと入ってきます?
市川 はい。ですから、逆に日本語の歌詞はなかなか入ってこなかった。日本に来るまで日本語は得意じゃなかったので。
岡村 僕も5歳ぐらいまでイギリスにいましたが、たった5歳なのに結構引きずったんです、日本語がしゃべれないということを。「はつか」とか「ついたち」とかなかなか覚えられなくて。
市川 わかります。「はつか」はいまだにちょっとだけ緊張します、言う前に(笑)。
岡村 「ようか」とかね(笑)。楽しかったですか、アメリカの生活は? 日本と違って多民族国家じゃないですか。イギリスもそうだったんです。ヨーロッパの人たちだけじゃなく、インド・パキスタン系、中国系、アフリカ系。
市川 私はデトロイトという街にいたんですが、学校はユダヤ系がいちばん多かったんです。その次がアフリカ系。アジア系は、学年に私を入れて4人ぐらい。ほとんどいなかった。でも、自分がアジア系だと気づいてなくて、小学生の頃は。というか、自分が日本人という意識もなかったんです。
岡村 ということは、思春期は?
市川 アメリカです。
岡村 がっつりアメリカで育った。それで日本に戻ってくるとカルチャーがあまりにも違うでしょう?
市川 日本に「戻る」という感覚がまずなかったんです。親戚がいるので毎年日本へは遊びに来てましたけど。だから、「帰国子女」と言われたとき、意味がわからなかった。私、初めて日本に住むんだけどなって。なので、いまだに海外にいる気分です、私は。
岡村 自分の居場所ではないと?
市川 そういうわけではないんです。何でしょう、たぶん、私は日本好きの外国人なんです、言ってしまえば。ただ、20代の頃はずっと、日本人になりたくてなりたくて。でも、やっぱり自分はアメリカ人なんだなと開き直ったのが30になってからでした。
部活、夏休み…「日本の青春」に憧れる
編集部 岡村さんの青春をテーマにしたラブソングは、日本の高校を経験していると、すごく甘酸っぱいものがこみ上げてくるんです。その辺の感覚は市川さんにも?
市川 いえ、私にはそういった体験がないので重ならないんです。アメリカの学校やインターナショナルスクールで過ごしていますから。
だからこそ、日本の「青春」といわれるものに憧れるというか。なんだろう、恋愛に対してものすごくウブな男の子が、変にプライドが高くて、自意識過剰で、不器用で、駆け引きとかも全然できなくて、みたいな、そういう微妙な感じに、たぶん憧れてるんだと思うんです。
こんな言い方をすると失礼かもしれませんが、日本人って「青春」が好きですよね(笑)。私は、そういう「青春」にとらわれてる感じが、逆に好きなんです。
編集部 岡村さんは「青春」は好きですか? ……もしもし?
岡村 ……うん。好き。
全員 あはははは。
岡村 でも、アメリカにもハイスクールものってあるじゃないですか。ジョン・ヒューズ監督の一連の映画がそう。『ブレックファスト・クラブ』とか『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』とか『フェリスはある朝突然に』とか。あと、ジョエル・シューマッカー監督の『セント・エルモス・ファイアー』も。ああいう青春映画が僕は大好きなんです。
市川 今の映画タイトルを伺って、「青春もの」というジャンルに私は入れてなかった(笑)。そういった映画は「カミング・オブ・エイジ」(成長譚)ってアメリカでは言うんです。だから、私の思う「青春」は、部活とか夏休みとか、そういった日本の文化に凝縮されている感じがするんです。
※市川さんから見た日本社会の独特さや岡村さんの楽曲の魅力、岡村さんが歌詞を書く上で大事にしていることなどについて語った全文は、 『週刊文春WOMAN2025創刊6周年記念号』 でお読みいただけます。
写真=杉山拓也
ヘアメイク=マスダハルミ(岡村)
おかむらやすゆき/1965年兵庫県生まれ。音楽家。86年デビュー。TV Bros.(東京ニュース通信社)で連載中の「あの娘と、遅刻と、勉強と」を書籍化した『あの娘と、遅刻と、勉強と 3』(東京ニュース通信社)と、映像作品『アパシー』が発売中。ウィンターツアー「芸能人」開催中。
いちかわさや/1987年愛知県生まれ、米国デトロイト出身。16歳でスカウトされ、雑誌『ViVi』『25ans』の専属モデルを経て、現在はMCや執筆等、多岐に渡って活躍中。音楽・読書・アニメ鑑賞・鉄道・相撲と趣味は幅広く、様々な分野のカルチャーに精通している。
(辛島 いづみ/週刊文春WOMAN 2025創刊6周年記念号)
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