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「とりあえず3番くらいで」「イヤです。勝つために走るんです」柏原竜二が5区快走前夜、監督に言われて“カチンときた言葉”

文春オンライン / 2025年1月2日 17時0分

「とりあえず3番くらいで」「イヤです。勝つために走るんです」柏原竜二が5区快走前夜、監督に言われて“カチンときた言葉”

柏原竜二

〈 《山の神誕生前夜》「おまえが5区だ」「えっ今、誰に言った?」今井正人が2年生で箱根5区に指名されたワケ 〉から続く

 2009年、第85回大会の箱根駅伝は柏原竜二の独壇場だった。5区で8校をごぼう抜きし、総合優勝に大きく貢献。だがその陰には監督から言われたカチンとくる言葉があったという。(全2回の後編/ 前編 を読む)

◆◆◆

「3位でいいとかありえない。冗談じゃない」

 2009年の第85回大会、柏原が小田原中継所で待っていると、佐藤監督代行から電話がかかってきた。

「5分くらいの差で来る。とりあえず3番くらいで行ったらいいから。それだと明日チャンスが出てくるから」

 柏原は、その言葉にカチンときた。レースという真剣勝負において3位でいいとかありえない。冗談じゃない。

「イヤです。僕は、今日、勝つために走るんです」

 厳しいトーンでそう言った。佐藤監督代行は、困ったような口調で、こう伝えた。

「わかった、もういい。好きにしていいよ。でも、無理すんなよ」

 このことは、数年前の柏原の結婚式のときにもエピソードとして語られた。

「こいつは、人の話を聞かない。でも、走りは素晴らしかった」

 そう佐藤が言うと、場内には笑いが広がった。佐藤の指導経験から、ここまで言いきる選手はいなかったのだろう。このときの言葉を含め、柏原が与えたインパクトの大きさがうかがえる。

山で結果を出すために、トラックも坂もがんばる

 レースは、ややオーバーペース気味に入った。それでも勝算はあった。本番の朝、78分台で山を上る初夢を見たので、このくらいでもいけるかなと思っていた。

「9位からスタートしたのですが、順位を上げていくなかで僕が区間賞争いをするだろうなと思って気にしていたのが、山梨学院大学の高瀬無量さんでした。高瀬さんは、1年目、区間6位でしたが、2年目、山に特化しているのは聞いていたんです。5区をスタートしたときは2位でしたし、僕との差も4分以上ありました」

 高瀬は、猛烈な走りでトップの早稲田大学の三輪真之に追いついた。

 だが、その後、三輪に離されて一気に落ちていった。高瀬のまさかのブレーキ(区間22 位)が、柏原にとっては良い意味での誤算になった。

「高瀬さんは2年目なので、ジンクスに自分を当てはめてしまったのかなと思います。一度、山を走った選手は、『次どうしよう』『どうやって山を攻略しよう』って考えるんです。でも、そうじゃないんですよ。山で結果を出すには、山だけじゃなく、全部をパワーアップしないといけないんです。それは、2年目のジンクスからいかに逃れるかというテーマの答えと同じで、シンプルにトラックも坂もがんばってパフォーマンスを上げていくしかない。山を走ることを複雑怪奇に考える必要はないんです」

「最後の10本目だけ出しきるのは違う」

 柏原は、そのために「練習が大事だ」と言う。

 ケガをせず、1日1日のトレーニングをしっかりこなす。ただ、与えられたものをやるだけではなく、これはなんのためにやるのか、自分の頭で考えてやっていく。

「考えないと成長しません。よく、10000メートル10本とか、1本目から9本目までペースを刻んで進めたあと、最後の1本とか、ラスト400メートルとか、上げて飛ばす人がいますけど、僕はそういうのが大嫌いです。ラストだけ上げるとアドレナリンが出て、出しきったとか、やりきったと感じて、その感覚だけで満足して終わってしまうんです。最後にフリーで出しきる練習ならいいですけど、そうではなく1本目から9本目まで余裕があって、最後の10本目だけ出しきるのは違う。だったら最初から全体のペースを上げて、パフォーマンスを高めていったほうがいい」

「絶対に後ろにつかずに前に出よう」と決めていた

 高瀬に並ばれた三輪は、「プランどおりだった」と柏原は見ていた。追いつかれることをイメージをしていたので、それまで力を使わずに、追いつかれても引き離されないことを重視していた。

 一方、高瀬は三輪に追いつくまでにかなり力を使っていた。

「並んでから突き放していく。早稲田の戦略勝ちというか、さすが早稲田は賢いなと思いましたね」

 高瀬に戦略勝ちした三輪に柏原が追いついたのは、19 ・23キロメートル地点だった。

 このとき、いちばん頭を使い、考えた。

「ここで横についたら逆に離されるだろうか」

 おそらく、三輪も柏原の足音を聞きながら考えていただろう。後ろについてくるのか、それとも突っ込んでくるのか、と。

「僕は、絶対に後ろにつかずに前に出ようと決めていました。今、後ろにつくと自分のリズムが狂ってしまうと直感したからです。リズムが合わないと後ろについてもマイナスになってしまう。自分のリズムで上ること、それは終始一貫していました。もうひとつそう決めたのは、下りが嫌いだったからです。下りに入って勝負するのは分が悪いので、勝負するなら下る前だと踏んでいました」

読みどおりのレース展開で優勝を勝ち取る

 レースは、柏原の読みどおりに動いた。1回抜いたあと、下りで三輪に追いつかれて、20・82キロメートル地点で抜かれた。下りは無理せずついていき、元箱根の平地での勝負に切り替えた。前半からハイペースで入っていたので、足がもう限界だったのだ。

「元箱根の平地では、『ここで引いたらダメだ』と思っていました。三輪さんを抜き返してからは、いっさい、後ろを振り向かなかったです。それをすると三輪さんに『こいつ、不安なんだな』と思われて、気持ちを回復させてしまうからです」

 歯を食いしばり、必死の形相で走り続けた。最後の直線に入ると、視界がパっと開け、まぶしかった。大鳥居をくぐってからはほぼ日陰だが、ここに出ると太陽に照らされ、しかも道路が白いので一気に明るくなる。

 大歓声の花道を駆け抜け、ゴールラインの先に仲間が待っているのが見えた。

「やっと終わる」

 そう思い、ホッとした。ガッツポーズでゴールテープを切り、東洋大学初の往路優勝を実現した。

今井さんが見ていた景色を見ることができた

 ゴールしたとき、自分の時計を止めたら77分と出ていたので、「あっ、77分台だ」と驚いた。だが、どこかで自分が時計を止めていた可能性があるので、信じていなかった。様子を心配して見にきた佐藤監督代行から、

「いやーおまえ、77分台出ちゃったよ。びっくりだよ」

 と言われ、それを聞いたとき、「ああ良かった」と嬉しさがこみ上げてきた。

「やったと思いましたね。でも、この結果で、自分が今井さんを超えたという意識はなかったです。今井さんと一緒に走っていたら、どういうことが起こったんだろうって思いましたが。ただ、今井さんが見ていた景色を見ることができたのは嬉しかった。こういうことだったのかと思いました」

 ひとつひとつのシーンは、あまり覚えていなかった。鮮明に残っているのは、小田原中継所だけだった。思い返せばレースは、すべて苦しかった。宮ノ下から小涌園までの坂を始め、最高到達地点からの下りなど、苦しくないシーンはひとつもなかった。

「突っ込んで入ったまま最後まで行ったので、本当にきつかった。でも、優勝できて良かったです。それで報われたと思いました。1年目は、実力というよりいろんな運が重なって勝てたんだと思います。ただ、あえてひとつ結果を出せた要因があるとすれば、5区を走った誰よりも勝ちたいという気持ちが強かった。それは自信をもって言えます」

 初めての箱根駅伝で、柏原は区間新記録で総合優勝に貢献した。

(佐藤 俊/Webオリジナル(外部転載))

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