秘仏の扉を開いたのは破天荒すぎる男たちだった!? 新・直木賞作家が近代日本文化の黎明期に迫った感動作!
文春オンライン / 2025年1月8日 6時0分
世界最古の木造建築として、日本初の世界遺産に登録された奈良の「法隆寺」。その建造物や宝物の多くが、国宝や重要文化財に指定されている。なかでも聖徳太子の姿を模して造られたと言われる「救世観音像」は、「夢殿」に収められ、「秘仏の扉を開けば直ちに仏罰が下る」と封じられてきた。
しかし、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた明治時代、その価値を世界に知らしめるため、フェノロサや岡倉天心らは、秘仏の固く閉ざされてきた厨子を開いた――これに関わった男たちの葛藤と矜持を描いた、感動の歴史小説『 秘仏の扉 』。作者の永井紗耶子さんに話を聞いた。
◆◆◆
秘仏を未来に繋ぐために「開いて、守る」
永井 私はミッションスクールの出身で、聖書や西洋美術、ミサ曲も含めた西洋音楽については、自然と浴びるように生きてきました。けれど、日本の文化については、歴史小説や古典文学でたくさん読んできましたが、自国の文化なのに、今の自分の日常との繋がりが薄い……。どこかで途切れてしまった感覚がずっとあったんです。その断絶を探っていった時、明治時代の神仏分離と廃仏毀釈が、大きな影を落としているのではないかと思いあたりました。
もともと日本には神様と仏様が同居する独特の「緩さ」があった。しかし、明治維新という強烈な改革の中、いきなり「国家神道」と政府に言われても、ついていけない人たちもたくさんいたはずです。だから、廃仏毀釈の名のもとお寺や仏像を破壊するような、ひどい出来事が何故、どのようにして起こってしまったのかずっと疑問で、それを知りたくもありました。
今回、いろいろと執筆にあたって調べていくと、世界遺産となっている法隆寺が当時どれだけ苦境に立たされていたのかを知り、本当に驚きましたし、国宝になった法隆寺の献納宝物についても、知られざる物語があったことを知りました。あの苦難の時代にあって、1000年以上も前から繋がってきた大切な秘仏を、外に向かって開くことで守り、次の世代へ引き継ごうと必死になった人たちがいた。さらにここから先の文化芸術を育てようとした人たちがいたことを、小説『秘仏の扉』では改めて描いています。
破天荒すぎる人物たちを弁護するような気持で
――物語の中では秘仏開帳に関わった主な人物として、教科書でも知られるフェノロサと岡倉天心(覚三)、当時宮内省図書頭だった九鬼隆一、後の東京国立博物館初代館長となる町田久成、夏目漱石を撮影した有名な写真師・小川一真らが登場します。それぞれ驚くほど破天荒なエピソードの持ち主でしたね(笑)。
永井 そこはすごく書くのが難しかったです。特に岡倉天心については、女性読者の方には絶対に共感してもらえない……。実際に側にいたら大変、困った人物なのですが、作者として愛情を込めて書くことだけは決めておこう。この人にはこの人なりの筋があるということを忘れずに書こうとしたものの、それはものすごい難しい弁護団のような気持でした(笑)。
天心は長年の妻がありながら、義姉の娘(姪)を妊娠させて自殺未遂に追い込み、上司ともいえる九鬼隆一の妻・波津子とも長年不倫関係を続けます。が、女遊びのひどさは九鬼も同様で、波津子の妊娠中に女中に手を出したり、現代でいえばモラハラとしか思えない行動で、完全に人権を無視している。九鬼と天心の失脚の原因となった波津子を、ファム・ファタール(悪女)として捉える見方もありますが、私は彼女がメンタルを病んでも仕方がない状況だったと思います。
それに比べるとアメリカに戻って不遇な境遇下、同じ志をもつ女性と恋に落ちてしまい、結果、地位も妻も友人も捨てたフェノロサは「ああ、これは聞いたことある」というパターンでしょうか(笑)。ただ、奥さんにとっては大迷惑ですが……。町田久成は芸者さんの持つ琴を手に入れるために、その芸者を落籍して琴のみもらい受け、あとはその身を自由にしたという逸話が残っていて、かなりストイックかと考えていたんですが、自分が出家する時に、妻も一緒に出家させてしまったり、やはり一筋縄ではいかない人物でしたね。
町田の影響で、フェノロサと彼の友人で大資産家のビゲローは、三井寺(園城寺)子院・法明院の桜井敬徳師から戒を授けられ、三人のお墓は実は三井寺にあります。こちらの墓所を実際に訪ねたのですが、山門で訊ねても今では訪れる人もいないようで、鬱蒼とした樹々に囲まれた奥の方にひっそりお墓がありました。彼らが法隆寺の文化を守ろうとしたのは、たかだか150年前ですが、そこで守られたのは1000年以上前から繋がってきたものです。それを現代に伝える物語を書いたことで、これからさらに1000年先まで受け継いでいくバトンをもらったような気もしています。
見る者によって印象の変わる「美」とは何か
――実際に奈良の法隆寺にも行かれて、夢殿の救世観音像もご覧になったそうですね。
永井 念願の秘仏を見る前までは、「ウワァーッ!」って感動するかと思っていたんですけど、実はそうはなりませんでした(笑)。むしろ「ヘエーッ?」という感じで、結果として夢殿の周りを何周も歩き回るという不思議な行動を取ってしまいました。ただ、それくらい分かりやすくないからこそ、逆にずっと人々はこの秘仏に対して、ずっと畏れを抱いてきたのかもしれません。
作中でも、この秘仏をフェノロサは「まさに国の宝……東洋の、世界の宝です」と評しますが、九鬼隆一は「これは……恐ろしいものだ。開かぬ方が良かった」と表現しました。同じように文化調査に関わって、同じ仏像を見ていても、人によって印象がまったく違うことにこそ深みがあって、そこからこの時代の文化的な背景、行政上の出来事、同時代の事件、さらにそれぞれの家族事情などが、浮かび上がってくるのではないかと思います。
私自身がこの作品を書きながら知ることも多く、執筆中に「東京国立博物館創立150年記念 特別展『国宝 東京国立博物館のすべて』」に行った時には、初代館長である町田久成の胸像が入口にあることに今更ながら気付いて、国宝そっちのけで写真を撮ったり(笑)。フェノロサに関しても名前はもちろん知っていましたが、その後の経歴や日本へもう一度戻ってきたこと、ボストン美術館に日本の美術品が大量にあるのは、ビゲローを通じてだったことなど、どんどん自分の中で答え合わせができました。
昨年、東京国立近代美術館で開催された『重要文化財の秘密』展を観る機会もあったのですが、岡倉天心が設立に尽力した東京美術学校で育てた日本画家たち、あるいはそこで教えていた黒田清輝に育てられた洋画家たちの作品で埋め尽くされていました。文化史というのは、歴史の中で戦争史や政治史に比べると、なかなか前面には出てこないけれど、私たちが今、美術として接しているものは、いろんなドラマを経て繋がってきたものなんですね。
グローバルな時代だからこそ時代を考える
永井 今、私たちはグローバル化の流れの中で、インバウンドを受け入れて、日本文化を知ってもらいたいということを、積極的にやっています。そんなことを問うのは無粋かもしれませんが、それが正解か不正解かはまだ分かりません。価値観っていうのは絶えず変わっていく。日本はこれまで秘する文化というのが伝統的にあったように思いますが、それも変わりつつあります。たとえば門外不出でどんどん廃れていく地方文化を、たまたま思い付きでインスタに上げたら、海外の人たちからすごくアクセスが増えて、伝統芸能や工芸品が持ち直したというような話を聞いたこともあります。
おそらく、明治時代に法隆寺の住職に就いた千早定朝が、秘仏の扉を開くことを認め、宝物を国に献納するという決断をした「開いて、守る」行為もそれと同じで、この作品を書き終えてからも、改めてまちがったものではなかったと思います。さらに言えば、当時の日本は開国して海外と繋がることで、自分の国を守ることに繋げようとした――こうして時代というのは、大きく変化していくのではないでしょうか。
明治期以降の文化の変化というものは、私のこれからの小説でも変わらないテーマになるだろうし、江戸やその前の時代も面白いし、変わらず関心はあります。ただ、人間が想像できる範囲のノスタルジーって、100年ちょっとに及ぶものなんじゃないかと、最近、思ってもいて……。私たちの祖父母が江戸を好きだったとすれば、今の人たちはそれと同じように明治30年~40年頃のカルチャーを、レトロモダンなものとして憧れを持っているような気がします。
この時代でいちばんネックなのは、女性の活躍の可動域がかなり狭まってしまうことですけど、そこで頑張って権利を獲得した人や、障害を跳ね除けて活躍した女性たちの資料も、だいぶ出てきています。大同生命の創始者の広岡浅子さんや、『虎に翼』のモデルとなった三淵嘉子さんの出てきたのも明治末期以降です。この時代を扱いながらエンターテイメント性ある、今の読者に共感をもってもらえる小説をこれからも書いていきたいですね。
永井紗耶子(ながい・さやこ)
1977年、静岡県生まれ神奈川県育ち。慶應義塾大学文学部卒業。新聞記者、フリーランスライターを経て、2010年、「絡繰り心中」で小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。20年、『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』で本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞を受賞。22年、『女人入眼』が第167回直木三十五賞候補。23年、『木挽町のあだ討ち』で第36回山本周五郎賞、第169回直木三十五賞受賞。他の著書に『横濱王』『きらん風月』など多数。
(永井 紗耶子/文藝出版局)
外部リンク
この記事に関連するニュース
-
昭和を生きた一家が目撃した東京…直木賞候補作・荻堂顕『飽くなき地景』
文春オンライン / 2025年1月7日 6時0分
-
この藩主「名君」か「暗君」か…直木賞候補作・木下昌輝『秘色の契り 阿波宝暦明和の変 顛末譚』
文春オンライン / 2025年1月7日 6時0分
-
科学と地方ミステリー…直木賞候補作・伊与原新『藍を継ぐ海』
文春オンライン / 2025年1月6日 6時0分
-
新たな一年に思いを巡らす静寂のとき。京都・木津川の古刹「浄瑠璃寺」「岩船寺」の新春特別公開
IGNITE / 2024年12月29日 18時0分
-
【奈良ホテル】日本初の世界遺産「法隆寺」で1400年以上の歴史を体感 奈良ホテルプラス『法隆寺 ご案内ツアー付き宿泊プラン ~朝食付~』について
PR TIMES / 2024年12月24日 15時0分
ランキング
-
1NHKが「紅白歌合戦」で受信料に言及のびっくり "スタエン抜き"でも盛り上がった印象だが…
東洋経済オンライン / 2025年1月8日 13時0分
-
2藤井聡太七冠、叡王奪還に向け好発進 叡王戦本戦トーナメント1回戦勝利 8冠独占目指す
産経ニュース / 2025年1月8日 17時44分
-
3三井住友銀行「初任給30万円」に引き上げに氷河期世代から恨み節…《実績あげた社員に還元して》の悲痛
日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年1月8日 15時3分
-
4元ラブホテル従業員が明かす“不思議な出来事”。女性客から「仕事が終わったら、会いませんか?」誘いに応じると…
日刊SPA! / 2025年1月8日 15時48分
-
5一人ぼっちの母親と2人で新年を迎えるはずが…母のベッドで目撃した「とんでもない光景」に赤面!
女子SPA! / 2025年1月8日 15時45分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください