松坂大輔から引退時に「あとは頼む」→返した言葉は…「松坂世代」最後の現役選手・和田毅(43)が語る“同期への思い”「やっぱりすげぇ、と思っちゃいますね」
文春オンライン / 2024年12月28日 6時0分
和田毅さん ©文藝春秋/杉山拓也
〈 「あれから6年。ボロボロの状態で、もう『野球をやめなさい』と…」元ソフトバンク・和田毅(43)が引退を考えた“きっかけ”〈妻と娘、王貞治の反応は…〉 〉から続く
プロ生活22年、日米通算165勝。元福岡ソフトバンクホークスの和田毅さん(43)が、今季をもって現役を引退した。1980年生まれの「松坂世代」最後の現役選手だった和田さんが、同期に抱いていた思いとは?(全3回の2回目/ はじめ から読む)
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「松坂世代」最後の現役選手
――和田さんは「松坂世代」の最後の砦。松坂大輔さんが2021年に引退するとき、「あとは頼む」とおっしゃったとか。
和田 僕も体がボロボロでしたけど、松坂世代の最後の現役選手として頑張れるだけ頑張ろうと。ただ、大輔には「やれるだけやるけど、松坂世代の先頭は大輔だからね。そこは俺、負えないから」と言ったんですよ。そして「野球は出来るだけ頑張るけど、大輔は引退しても世代のトップというのは頼んだよ」とも。
僕らの同期でプロ入りした選手は94人もいる。チームのエースや主軸として活躍した選手は多くいますけど、でもその中のトップはやはり大輔。僕はいつも「松坂は太陽だ」って表現しているんです。僕らは惑星のように大輔の周りを回っている。だから大輔がいなくなっちゃうと、僕らを照らしてくれなくなるので、それは困る。僕の中の松坂世代はそんなイメージですね。
甲子園で撮った、松坂大輔とのツーショット
――やはり松坂さんが1998年の夏の甲子園でPL学園相手に延長17回を投げ切った姿はそれだけ強烈だったんでしょうか?
和田 いや、その前からです。だって、その前の年の甲子園で投手の最速記録は確か143km。それがいきなり大会前に大輔が150kmオーバーを記録していたし、(新垣)渚も150kmを出していた。僕らの世代、すげえ、って(笑)。だから開会式の前に、大輔や渚に一緒に写真を撮ってもらいましたよ。将来、子どもが生まれたときに「パパはこんな凄い人たちと投げ合ったんだよ」と自慢できると思って(笑)。
でも、大輔や渚と写真を撮りたい人がいっぱいいて、大輔はその列をヒョイヒョイ交わしていたんですけど、僕はグイっと引き止めて「写真お願いします」って。もう無理やりです。後に、大輔にツーショットの写真を見せたら「覚えていない(笑)」と言われましたけど。
甲子園で僕らの準々決勝は、横浜高校対PL学園の次の試合だったんです。なかなか試合が終わらず、みんな戸惑っていましたけど、僕は観客席の壁の隙間から試合をのぞき見していました。「おお、すげえ」って。次の登板で調整しなきゃならないのに(笑)。
「22年間現役を続けられたのは、松坂世代の仲間たちの存在が大きかった」
――松坂世代というワードは野球界を飛び越えているように思います。起業家や企業人に「松坂世代です」とか「松坂世代の一個下です」と自己紹介されることも。でもそれは、球界で活躍した人のボリュームが多いから定着したのだと思います。
和田 たしかに、杉内俊哉、館山昌平、木佐貫洋、藤川球児、久保康友など各チームのエースとして何人も頑張っていたし、村田修一、東出輝裕、小谷野栄一、森本稀哲など多くの野手はそれぞれのチームの顔にもなっていましたからね。みんな手が付けられないほどの負けず嫌いなんですよ。だから僕も登板がぶつかった時は、絶対に先にマウンドを降りないと思うし、同級生の打者と対戦したときは、必ず押さえてやると燃えましたね。
僕が22年間現役を続けられたのは、大輔を始めとする松坂世代の仲間たちの存在が本当に大きかった。投手野手、あるいはセ・パ関係なくそれぞれの活躍がお互いに刺激になって、みんなも頑張れたんだと思いますね。
いつか12球団の監督になって戦う日が来るかも?
――今は20人以上の松坂世代が、各球団でコーチや監督になっています。いつかみんなが12球団の監督になって戦う日が来るかも。和田さんはソフトバンク監督で(笑)。
和田 藤川球児が阪神の監督になり、平石洋介も楽天で監督したし、可能性はゼロではないですよね。12球団揃いそう……。そうなったら、試合前の監督挨拶はどうなっちゃうんですかね。日ハムの新庄監督がやられているようにハイタッチでもするのかな。でもそのたびに、お前には絶対負けたくないと毎試合思うだろうなあ。
まあ、こんな妄想が出来るだけでも、松坂世代を引っ張った松坂大輔はやっぱりすげえ、と僕は思っちゃいますね。
メジャーの経験は今までの価値観をがらりと変えた
――メジャーにも松坂さん、藤川さん、多田野数人さん、そして和田さんと4人が行かれました。メジャーはずっと目指していたんですか?
和田 プロに入った時から視野に入れていました。メジャーで通用する選手になりたいという思いでその前の9年間やっていたので。2012年からボルティモア・オリオールズに入団し、そして2014年にはシカゴ・カブスに移籍しました。
ただ移籍してすぐの春キャンプで肘を痛めてしまい、トミー・ジョン手術(左肘靱帯再建手術)を受けたので、オリオールズ時代はファームで過ごすことが多かったです。カブス時代は5勝しましたけど、肩や太ももを痛めメジャーとマイナーを行ったり来たり。でも、米国時代の4年間で、僕の価値観はがらりと変わりましたね。
マイナーには、なかなかチャンスに恵まれずもがいている若い選手が大勢いましたし、球団のスタッフや裏方さんと接する時間が増え、彼らのサポートの有難さがしみじみ分かったんです。僕らの活躍はすべてこういう人たちに支えられているって。それまでの僕は、自分やチームが勝つことしか考えていなかった。
メジャー時代の体験は本当に貴重だったし、あの4年間があったからこそ今の自分がいるとも思っています。だから、ソフトバンクに戻ってからの8年間は、若い選手を良い方向に導くのも自分の役目、手助けしたい、という思いでやってきました。
メジャー時代の意識変化は、 先に挙げた 人生のターニングポイントに加えてもいいかな。
撮影=杉山拓也
〈 「長嶋茂雄さんを失望させることはしたくなかった」現役引退・和田毅(43)が振り返る、プロ生活22年で“一番怖かった”試合《41歳で自己最速を更新》 〉へ続く
(吉井 妙子)
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