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「もう死ねば解決じゃん」「飛び降りちゃおう」「首絞めちゃおう」気鋭のミュージシャン・4s4ki(アサキ)を苦しめていた“ある疾患”

文春オンライン / 2024年12月29日 11時0分

「もう死ねば解決じゃん」「飛び降りちゃおう」「首絞めちゃおう」気鋭のミュージシャン・4s4ki(アサキ)を苦しめていた“ある疾患”

〈 「もう帰れ!」「ルールを覚えられない…」人気急上昇アーティスト・4s4ki(アサキ)が人と同じようにできない自分に落ち込んでいた学生時代 〉から続く

 作詞・作曲のほか編曲やトラックメイクも一人でこなし、舞台音楽でもその才能を発揮するなど今最も注目を集めるミュージシャンの4s4ki(アサキ)。その才能は海外でも注目を集めているが、順風満帆の音楽人生ではなかった。20代前半のころ、心身の不調で初めて病院に通うと……。(全4回の2回目/ ♯1 、 ♯3 、 ♯4 を読む)

◆◆◆

自傷癖を抑えるために入れたタトゥー

――最初は、いつ頃、どんなきっかけで病院に行ったのでしょうか?

4s4ki ちゃんと通い始めたのは20歳か21歳くらいのときでした。自傷癖があって。

――いわゆる“リストカット”ですね。

4s4ki 厳密に遡ると、自傷癖はたぶん中学生のころからで。何かから逃げようとする度に、「もう死ねば解決じゃん」と思ってしまっていたんです。大きく切ってしまったりはなかったんですが、ときには「飛び降りちゃおう」とか「首絞めちゃおう」と考えちゃう癖もちょっとあったんです。

――たしかタトゥーを入れたりピアスを開けたのも、同じ頃だと聞いていますが。

4s4ki はい。その頃、もう自傷癖があったので、傷つけたくなったら氷で冷やすのを試したほうがいいよ? とお医者さんに言われたので、それを忘れないように、メモ書きみたいな意味で氷のタトゥーを入れて、そこからどんどん増えていきました。

 好きなモチーフもあれば、衝動的に入れたものもあって。自分が好きなシンメトリーを表現したり、二面性を表現したものもありますね。この縫い目の模様は、もう自分の腕を縫うようなことが起きないように、という気持ちを込めて入れたんですが、そうやって入れたところは不思議と本当に切らなくなって。

 それでも、イライラしたり落ち込むと、自分の身体を衝動的に傷つけてすっきりしようとしていたので、あるとき、もう誰かに助けを求めたくなって、友だちに付き添ってもらって精神科を受診して、“統合失調症”と診断されたんですが。

――どのような症状だったのでしょうか?

4s4ki まずは解離性障害みたいな症状が結構ありました。例えば、短い時間の記憶が無くて、その間、何をしているのか分からない。あとは過集中ですね。

――これまでで一番シリアスだった状態は?

4s4ki 今年(2024年)の3月、長時間じゃなかったけど、一時、意識不明の状態になったことがありました。それで予定していたライブもキャンセルせざるを得ない事態になってしまって……。その時は、本当にファンの皆様、関係者の皆様に、すごくご迷惑をおかけしてしまいました。

ADHDに境界性人格障害と摂食障害が併発

――それって、意識を取り戻したときは?

4s4ki もうパニックですよ。救急車で目が覚めたんですけど、何も訳が分からなくて。そのときの事がきっかけになって、まずはちょっと体を休めるために入院をしようということになって。その入院生活でいろいろな検査やテストをしていくうちに、ADHDだということが分かったんです。

――つまり、それまではADHDだと分からない状態で精神疾患を抱えていらしたわけですね。

4s4ki そうですね。精神科に通っていたとき、統合失調症のほかにも、いろんな種類の疾患を指摘されて、「そんなにあるの?」と思っちゃって。お薬の種類もすごく多かったんですが、それが逆効果になっちゃって、もう薬に頼らないと一生生きていけないのかと鬱になってしまったり、薬がすぐに効かないと、衝動的に過剰接種をしてしまったりとか。

――衝動的な行動と薬が繋がると過剰摂取の危険があるんですね。

4s4ki いま、私はADHDのほかに、境界性人格障害と摂食障害という精神疾患を診断されているんですが、どちらもADHDと併発することが多い病気らしいんです。いま思うと、「あれはそういうことだったのか」という節もいっぱいあって。

もしADHDじゃなかったら…

――ADHDはご自身のクリエイティヴにどう影響してきましたか?

4s4ki 何度も出してしまっていますが、ひとつには過集中。全く出来ないときとの差が激しいんですが、過集中が良い方向に作用すると、作業が進むときは鬼のようなスピードだし、とにかく大量に曲が出来上がります。反対に、全くレコーディングができない日もあれば、どんなに頑張ってもどれが自分の正解なのか分からなくなっちゃう時もあるんですけど。

 以前は、レコーディングのときに大泣きして何も喋れない、みたいなときもあったんです。一方で、トライする意欲はあっても、正解が分からなくなっててパニックしたりフリーズしちゃうときもあって……でも一方で、もしADHDじゃなかったら、私はいまのように曲を作って、人前で歌ったりしていなかったかもしれなくて。

――4s4kiさんは3歳でエレクトーンに触れて、10歳になる以前から作曲を始めていらしたそうですが、何がきっかけだったのでしょうか?

4s4ki 特にそう意識して始めたわけじゃなくて、友だちから、「エレクトーン習ってるんでしょ? なんか弾いてよ?」みたく言われて適当に曲を作って弾いたり、友だちの家のピアノを弾いているうちに楽しくなって、という延長からだったと思います。最初に本格的に作った曲が何だったのかも覚えていなくて。すぐ忘れちゃうんですよ。楽譜も読めないので、いまだに私のピアノの弾き語りは、毎回感覚で弾いているから、自分のレパートリーですら伴奏が違って。

――作詞については、最初にいつ頃書いたのか、覚えはありますか?

4s4ki それはたぶん高校生のころ。そこも自分が作詞作曲を一緒に始めた時期を明確に覚えていなくて。気付いたら、自然と作詞と作曲がガッチャンコ(=合体)していた感じで。

続かないバイトを転々としてDTMを購入

――曲が貯まってくると、「誰かに聴いてほしい」という欲求は自然と湧いてきたのでしょうか?  

4s4ki はい。そこはえげつないほどの衝動性がはたらいて。めっちゃ恥ずかしいんですけど、「私、絶対天才だから、これ世界中のみんなが聴かないとヤバいはずだわ」とマジで思ったんです(笑)。だからデモを作るためにDTM(=デスクトップミュージック)いう手段を知って。それこそ機材を買うためにアルバイトも鬼のような勢いで始めたんですけど、まともに続いた仕事がなくて。

 どこでも「要領が悪い」とすごく怒られて。実際、何も覚えられないし、基本的に全ての行動が遅いし、メモを取ってもそのメモを無くしちゃうし。だからとりあえずお給料がもらえるまで頑張って働いては辞めてを繰り返していろんなバイトを転々としていましたね。あとは日雇い。それで何とか機材を揃えて、すぐにいろんなレーベルや事務所にデモを送り始めて、路上ライブも始めました。

――DTMのノウハウは覚えられたのですか?

4s4ki そうですね。興味のあることは加速度的に覚えられるみたいで。でも、最初は大変でした。私、0か100かみたいな思考なので、デモを送るのであれば、もうプロのCDみたいな、どこに出しても恥ずかしくない売り物みたいなクオリティじゃないと送りたくない! と考えちゃって。もちろん、当時のクオリティなんて世間的に見たら全然低かったんですけど、とにかく出来ることの100%じゃないと送りたくなかったことが作用して、DTMのやりかたを猛烈に覚えましたね。

――つまり、衝動性が良い形で創作に繋がった面もあった?

4s4ki そう。それだけは、私にとってADHDの良いところでした。

――例えば疾患に詳しくない人から見ると、疾患に対する薬を飲むと、眠気や意欲が減退してしまうのではないか? といったイメージもあると思うのですが、そのあたりはどうでしょうか?

4s4ki まさに私も最初はそれが怖くてお薬を積極的に飲めなかったんです。曲を書けなくなっちゃうんじゃないか、と思って……。

撮影 深野未季/文藝春秋

〈 「出来ない自分が悪いんだ」「自分は結局こういう性格なんだ」生きづらさを感じていたミュージシャン・4s4ki(アサキ)がADHDと診断されて気づいた“よかったこと” 〉へ続く

(内田 正樹)

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