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《「第2の小室さん騒動」勃発!》捏造手紙を入手…天皇の伯母・池田厚子さん(93)養子縁組に「あれは家の乗っ取りです」

文春オンライン / 2025年1月13日 7時0分

《「第2の小室さん騒動」勃発!》捏造手紙を入手…天皇の伯母・池田厚子さん(93)養子縁組に「あれは家の乗っ取りです」

昭和天皇の四女の池田厚子さん

 この春、突如明らかになった天皇の伯母(93)の養子縁組。だが、養子となったカバヤCEOは以前から「皇族の親戚になりたい」と漏らしていた。そして、縁者たちに届いた挨拶状には“捏造”の痕跡が――。すべてを知る旧華族の最重鎮、鷹司尚武氏が重い口を開いた。

◆◆◆

違和感のある挨拶状

〈謹啓 皆様には益々ご清祥のことと……〉

 梅の花が散り、春の気配が漂い始めた今年の3月ごろ、政財界の大物たちに丁重な手紙が届いた。とある高齢女性と、とある実業家夫妻の「養子縁組」を知らせる挨拶状である。

 挨拶状は数百以上の宛先に送られ、内容も数種類が存在した。とりわけ縁の深い“高貴”な人々に宛てた手紙には、女性の“直筆”による特別な一文が添えられていた。

〈基弘 阿久利を いく久しく よろしくおねがい申しあげます 池田厚子〉

 池田厚子さん(93)は、昭和天皇の第四皇女だ。上皇の実の姉であり、今上天皇の伯母にあたる。養子にとった夫妻の引き立てを願ううやうやしい一文である。

 だが、手紙を受け取ったある男性は、開封して「違和感を抱いた」と語る。

「どこか、おかしいのです。厚子さまの文字は、こんな形だったでしょうか?」

 厚子さんの“直筆”には、第三者による細工があった。数少ない人々にだけ送られた直筆付きの手紙の“原型”がいま、小誌のもとにある。

 厚子さんの直筆を演出するために切り貼りし、その痕跡を消した上で本人からの挨拶状として体裁を整える――これは一見、怪文書のようですらある。

 4月、厚子さんが養子縁組をしていたことは各メディアで広く報じられた。だが、養子となった実業家夫妻は多くを語っていない。

 さかのぼれば天皇家の系譜に連なるこの養子縁組には、重大な疑惑が横たわっている。

「岡山にとっては『宝』のような方」

 順宮(よりのみや)厚子内親王は1931年3月7日、昭和天皇と香淳皇后の第4子として生まれた。

「21歳だった52年、旧岡山藩主の池田家当主・隆政さん(2012年没)と結婚。皇籍を離脱し、池田厚子さんとなって岡山市に移住しました」(皇室ジャーナリスト)

 以来、72年の時が過ぎている。

「池田家の生業は牧場運営。天皇の娘が地方で『牧場主の夫人』になるのは当時、異例のことで、『お国入り』の際は市民パレードもあったそうです」(同前)

 厚子さんは2017年まで伊勢神宮祭主の役目も担う一方、結婚後に開設した池田動物園の運営に携わり、夫亡き後は園長を務めてきた。子供はおらず、池田家の後継ぎは未定だった。

 岡山の老舗商店主が語る。

「岡山にとっては『宝』のような方です。以前は後楽園で厚子さんを囲む『園遊会』もあった。ただ、ここ数年はお姿をみません。動物園の敷地内にご自宅があり、お手伝いさんに身の回りを任せているそうです」

野津家と池田家は、先々代の頃からの付き合い

 その厚子さんと養子縁組をしたのが野津(のづ)基弘(もとひろ)氏(52)と妻の阿久利氏の実業家夫妻である(なお野津氏は縁組後に池田基煕(もとひろ)と改名したが、時制が前後する本記事では野津氏と表記する)。

 野津氏は食品企業グループ「日本カバヤ・オハヨーホールディングス」の代表者(CEO)だ。学校経営など幅広く手掛け、売上高は連結1200億円にのぼる。岡山県を代表する企業グループであり、野津家をトップにいただく非上場企業でもある。

「傘下の『カバヤ食品』では駄菓子『ジューC』が有名。『オハヨー乳業』も『ジャージー牛乳プリン』などヒット商品多数です。ただ、HD名にも冠して主力だった『カバヤ食品』の資本の70%を今年売却したと報じられ、経営の異変も見てとれます」(経済部記者)

 米「ザ・オックスフォードアカデミー」卒業後、父の跡を継ぐ形で経営に参画。グループ各社の社長を経て、16年に持ち株会社に移行してトップに就任した。

「野津さんは大グループを継いだ地場の有力者です。奥様の阿久利さんは古風な美女で、お子さんはいません」(岡山の財界人)

 野津家と池田家の付き合いは長い。

「先々代の頃から野津家とカバヤが、池田動物園に資金援助などをしてきた。現在も動物園の役員に野津氏やカバヤ系の人物が名を連ね、実質的な影響下にあります。一方、動物園は億単位の資金難で、池田家や厚子さんが私財で補ってきましたが、立て直しが課題です」(同前)

 全くの他人とはいえ、経済的な縁から養子縁組にも至った、というのだが――。

「天皇陛下の従弟になりたい」

「本当に、厚子さんの意思を尊重した養子縁組なのでしょうか。野津夫妻は厚子さんを利用し、その意思を歪めてしまっているように映るのです」

 声を潜めてそう明かすのは、当のカバヤHD関係者である。

「野津氏はかねて、上流社会での社交に並々ならぬ思いを持っています。そこで、会社ぐるみで池田家への養子入りを目指してきました。社内で幹部を集めて『家』のことを話し合う会議を設け、社員が業務として取り組んでいます」

 上流志向を隠さぬ野津氏は、時折こうも口にしてきたという。

「天皇陛下の従弟になりたい」

「俺が皇族の親戚になって日本を救う」

別の養子候補が浮上していた形跡

 小誌は、カバヤHDの社内会議の議事録をはじめ、重要資料を複数入手した。資料と証言をもとに、その過程を辿ってみよう。

 まずは16年7月の社内資料だ。この時点で、池田家の〈後継問題の現状〉と題したメモが存在した。そこには〈厚子様の意向が決め手だが〉〈当方に「よろしくお願いします」の言質を得ているとはいえ(略)先行きは不透明〉〈当方の『継嗣・経営一体化』プラン〉などの記載がある。翌17年1月の会議資料には、厚子さんへの訪問について〈まだ不透明な段階なので様子を見た方が良い〉。21年の手書きのメモは〈厚子様に“神戸の人が良い”と言われている〉とあり、別の養子候補が浮上していた形跡もある。

 細心の注意を払いつつ、少なくとも8年前から養子縁組に関する取り組みを継続してきたことを窺わせる。

 積年のアプローチの末に作成された、〈令和5(23)年3月5日〉付けの養子縁組の「合意書」には以下のような記述が。

〈池田厚子,野津基弘は以下のとおり合意する〉

〈夫婦養子として養子縁組する〉

〈甲(厚子さん)がお亡くなりになったとき、池田家の当主と祭主を承継する〉

〈甲がお亡くなりになったとき、池田家の財産を承継する〉

 この「合意書」には厚子さんと野津氏の署名、捺印がある。

 ところが――。

 養子縁組に「合意」したはずの3月から7カ月が過ぎた23年10月8日。池田家の親戚筋の複数人が厚子さんを訪問し、“事件”が起きた記録がある。

記憶や判断に衰えが…

 カバヤ側が保管するこの訪問時の録音を起こしたメモによると、次のようなやり取りがあったようだ。

親戚・女性 いただいたお手紙には、この方が厚子様の養子になられると書いてありますが。

厚子様 うかがっておりません、全然。

親戚・女性 ご存じではない?

厚子様 全然、存じません。(略)

親戚・男性 お手紙の中には厚子様が野津基弘様を養子にお迎えしたいと。

厚子様 全然、申しておりません。何にもそんな話はございません。

 養子縁組の合意後にもかかわらず、厚子さんは親戚に対して縁組の存在自体を「知らない」と語っていたというのだ。

 池田家関係者が語る。

「厚子さんは高齢なりに心身の変化もあり、当然記憶や判断にも衰えはあります。それに元皇族で、自分の意見を表立ってはっきり言いにくい立場。ですから真意はわかりませんが、最近に至るまで、養子であるはずの夫妻が訪問しても、『あの人たちは誰ですか』と口にすることもあるそうです」

 実際に、この日に訪問した池田家親戚筋の男性が取材に応じた。男性は苦々しい表情で証言する。

「確かにそうしたやり取りがありました。厚子さまは、『動物園の話はお願いしたけれど、養子の話はしておりません』とはっきりおっしゃった。それを聞いた僕らとしては、養子縁組に疑いを持っています」

 一方、カバヤ側もこの事態を重く見ていた。当時の記録にこうある。

〈10/8発言を打ち消すため、「知らない人たちがたくさん来て面倒だった」というような主旨の録画を残す〉〈今後、親戚筋の方の再訪については、会わせない〉〈厚子様が10/8の面談で不快感を感じたという対応に統一し、今後は会わせない〉〈厚子様の返答を我々は説明できない〉

 厚子さんの“意思”そのものを、会社ぐるみで結論から作り上げているように映る記録だ。

手紙の“直筆”を演出する細工

 そして、疑惑の本丸がここに――。

 養子縁組から1年が過ぎ、今年3月になって広く送付されたのが、冒頭に紹介した手紙である。

 別のカバヤ関係者が言う。

「野津夫妻の指示のもと、手紙は会社側が文面を起案・作成したものです。縁のある経営者らを中心に大量の送付先リストも作成し、送付も秘書室などが担いました」

 その過程で施されたのが、手紙の“直筆”を演出する細工だ。小誌が入手した原本は、不可思議なものだ。

 まず、手紙の右側にはワープロ打ちで、厚子さんの一人称の挨拶がある。

〈向春のみぎり 皆様には益々ご清祥のこととお慶び申し上げます〉

〈さて 本年弥生の佳き日 野津基弘・阿久利を夫婦養子として迎えましたことを謹んでご報告申し上げます〉

 日付は〈令和六年 二月吉日〉とあり、〈本年弥生〉とのズレは、試行錯誤の跡をうかがわせる。

 問題はそこに続く“直筆”部分だ。完成版では〈基弘 阿久利を いく久しく よろしくおねがい申しあげます 池田厚子〉と、厚子さんが一筆したためたように読める。

 だが、この原本では「基弘 阿久利を」「いく久しく」「よろしく」「おねがい」「申しあげます」「池田厚子」と、数センチ大の6枚の紙片を順番に貼りつけている(下の写真)。あたかも一筆書きしたかのようにみせる意図があったことが窺える。

 切り貼りした紙片の周囲には修正液を乱雑に、何度も重ねて塗った跡が残る。

 こうした工作を経て、実際に関係者のもとに届いた手紙では、不自然な痕跡はすべて抹消されていた。前出の関係者が声を潜める。

「直筆部分は、無関係に書かれた厚子さんの直筆や、会社側がリードして“練習”させて書かせた文言を切り抜いて作ったと聞いています。控えめに考えても、本人の意思をあらわす作成方法には思えません。むしろ直筆を装った偽造、捏造のたぐいと言っても過言ではないでしょう」

全ての挨拶状に入っていたわけではなかった

 取材と資料を総合すると、この直筆は全ての挨拶状に入っていたわけではないことが分かっている。厚子さんの直筆は、きわめて限られた人々、とりわけ皇室とつながりの深い人々に対して添えられた。

「旧華族の当主らによる親睦団体である『霞会館』の主要なメンバーには直筆部分を入れて送付した。野津氏が霞会館入りを熱望しているのは社内では有名な話。直筆付きの手紙は旧華族だけでなく、秋篠宮家などを含む宮家にも送られた可能性があります」(同前)

 各所に養子縁組の挨拶を済ませ、天皇の従弟になりおおせた野津氏は、さらなる悲願成就に邁進していく。

 今年5月26日に岡山県で開かれた「全国植樹祭」。天皇が臨席されることで知られる行事だ。野津家を知る地元老舗企業の会長が話す。

「植樹祭の機会に、陛下に縁組をお披露目しご挨拶するそうだ、というお話が漏れ聞こえていました」

 実際に、野津氏は水面下で動いていた。

「カバヤHD側から、岡山県に対して、一般観覧ではなく『来賓』や『皇族の親族』の立場で参加したい、との旨の伝達が再三、あったのです」(地元行政関係者)

 天皇は25日夜、伯母にあたる厚子さんの自宅を「私的に訪問」している。この場面でも「野津氏側は『家族としてご一緒に陛下をお出迎えしたい』と宮内庁に同席を要望していたようです」(同前)

 だが、いずれも実現しなかった。宮内庁からは、「玄関の外においでください」との案内があったとされる。

野津氏の並々ならぬ意欲

 6月に開かれたカバヤの社内会議。その議事録は、天皇や上皇になんとしてでも接触したいという野津氏の並々ならぬ意欲を物語る。

「もう家族なんだから」

「だから、こちらが家族として“『礼儀と道理』をもってやれば、何でもやっていいよ”って」

「礼を尽くして何か注意されたら気を付けていけばいいと思う訳よ」

「俺らと対等なのは松永侍従長(ママ)ではないです」

 更に、霞会館への入会や行事に呼ばれることを「目指す」として、こう語る。

「前提は『家族だから』で、十分条件は“そういう会に呼ばれて行く”っていうものが我々のブランド、ま、ブランドっていうつもりはないけど、“立場っていうものがそこまで上がっていく”って話になってくる」

 霞会館に所属し、池田家にも近い旧華族の当主は戸惑いを隠さない。

「僕のところにも『いく久しく』という手紙が届きました。野津氏は、霞会館に入りたがっていて、押しが強く、肩で風を切って歩くタイプの方という印象。池田家の跡取りについて懸念があったのは事実ですが、野津氏の養子の話は降ってわいたようなものでした」

 いわくつきの養子縁組に対する懸念は、この国のエスタブリッシュメントの頂点にも届いていた。

「あれは家の乗っ取りです」

 鷹(たか)司(つかさ)尚武(なおたけ)氏(79)。霞会館理事長であり、鎌倉時代以来の名家「五摂家」の1つである鷹司家の現当主だ。養母の鷹司和子さん(故人)は、上皇と厚子さんの姉である。旧華族の最重鎮は、野津氏による疑わしい言動と厚子さんの現状を、どう捉えているのだろうか。取材を打診すると、静かに、こう口を開いた。

「手紙は私にも届きました。お仕えしてきた厚子さまを巡る今回のことが、本当に残念でなりません。様々な問題が耳に入ってはおります。あの手紙が偽物だという見方も。何が事実なのか、証拠があることなのか。養子縁組が法的に済んでしまったのであれば、何かできるのか……。仮に、すべて聞いている通りであれば、あれは家の乗っ取りです」

「警察呼びますよ。人に見られたくないんですよ!」

 小誌はカバヤ・オハヨーHDに事実確認と見解を詳細に質問した。すると、すべての設問に対して「不正確。」と一言ずつ回答があるのみだった。

 では正確な事実とは何なのか。野津氏は一体、何を考えているのか。

 10月下旬の夕刻。表参道をカジュアルな装いで闊歩する野津氏を直撃した。

 記者をみとめた野津氏は表情を歪め、手を開いて無言で記者を制止する。

――なぜ、厚子さんの手紙を切り貼りしたのです。

「離れてください」

――大事なことでは。

「回答しましたよね?」

――正確な事実とは。

「警察呼びますよ。人に見られたくないんですよ!」

 皇室に連なる人間としての矜持からか、慣れた様子で人払いすると、表参道の雑踏に消えていった。

「厚子様に、ご確認とご了承を頂いたもの」と主張

 再度同社に質問状を送付すると、代理人弁護士から受任通知が届いた。主に次のように回答があった。

「池田厚子様と基煕氏及び阿久利氏が養子縁組を行うに至り、厚子様を支えていきたいと考え、当社も協力できる範囲でサポートを行わせて頂いています。(霞会館には)入会申込みを行っておりません。(養子縁組の)合意書に関しては、守秘義務があるのでお答えできません」

 厚子さんと池田家の親戚との間で交わされた「存じません」事件などについては、

「池田家のご親戚に当たる方と厚子様がお会いされたことについて報告を受けておりますが、その際の会話の内容については、基煕氏が意見を申し上げる立場にないと考えております」「(厚子さんの「誰ですか?」発言は)事実ではありません。基煕氏及び阿久利氏は、定期的に厚子様とお会いになっていますが、厚子様がそのような発言をされたことはありません」

 直筆の細工、野津氏の振舞いについてはこう答えた。

「厚子様に、お送りするご挨拶文とお手紙について、ご確認とご了承を頂いたものをお送りしております。厚子様から頂戴しましたお手紙をご挨拶に添えており、文章そのものを改変したものではありません」

「(植樹祭前後の言動は)事実ではありません。(親戚の懸念は)親戚の方々からはお祝いの言葉を頂戴しております。(旧華族の重鎮らの懸念は)そのような声は届いておりません。根拠のない誹謗・中傷に対しては厳選(ママ)に対処する所存です」

 一方、宮家への“直筆”送付や天皇の厚子さん訪問時の対応について宮内庁に問うと、こう回答があった。

「お答えは差し控えます」

 岡山県にも植樹祭での野津氏の要望について質問すると「個別の参加申込みや問合せ内容については、公表しておりません」と言うのみだった。

小室さん騒動の再来か

 厚子さんは何を思うのか。岡山市の山のふもとにある池田動物園内には、今も園長である厚子さんの居宅があるという。記者は取材の最後に訪問した。

 小雨そぼふる中、人出もほとんどない園内を抜けると、山肌に立つ瀟洒な建物が現れる。インターホンも見当たらず、庭を掃除していた女性に声をかけた。

――厚子さんにお伝えしたいことがございます。

「私たちには分かりません。動物園の事務所に」

 事務所に来意を伝えると、園の担当者から電話があった。

「直接お会いいただくことはできません」

 翌日、園に手紙を持参して改めて面会を願い出たが、音沙汰はなかった。

 園そのものが野津氏やカバヤの影響下にある以上、厚子さんの意思を第三者が確認する術は非常に限られている。

 折しも、結婚後の女性皇族の身分保持や旧宮家の皇籍復帰など、皇室制度の見直しが議論されている。小室圭さんと眞子さんの結婚を巡り、親類の金銭トラブルなどが騒動を呼んだのは記憶に新しい。降嫁した皇族にまつわる今回の不可解な動きは「第二の小室さん騒動」ではないのか。

 類例を見ない結婚ではあったが、小室さん夫妻は互いの意思で結ばれた。ひるがえってこの養子縁組はどうか。

 厚子さんの真意は、工作の痕跡も生々しい、偽装された直筆にあらわれうるものなのか。皇室への接近の野心を隠さない野津氏には、真相を語る責任がある。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年11月14日号)

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