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〈写真多数〉「もう家に帰れないと諦めています」「行政も頑張ってるけど」…能登半島地震から1年、現地を訪れて聞いた“リアルな惨状”

文春オンライン / 2025年1月1日 6時10分

〈写真多数〉「もう家に帰れないと諦めています」「行政も頑張ってるけど」…能登半島地震から1年、現地を訪れて聞いた“リアルな惨状”

目立つ悪路(2024年1月撮影)

 2024年元日に発生した能登半島地震から1年が過ぎた。

 昨年の1月に現地を訪れ、多くの方に話を聞いた際、生活を取り戻すために欠かせない水道、電気、ガスの復旧が強く待ち望まれていた( 現地ルポ記事 参照)。また、発災から2週間が経っていたため、一般ボランティアのニーズが高まっていたことも記憶に新しい。しかし、道路事情の悪さが全ての障害になっていた。

道路復旧が進まなかった“ワケ”

 道路復旧が進まなかった要因は複数あるが、その一つとして、北陸地方では道路啓開計画が未策定であったことを指摘した( 道路啓開記事 参照)。“道路啓開”とは、とにかく車両が通行できる最低限の交通路を切り開くこと。緊急車両を通行させ、人命救助することを至上目的としており、インフラの機能回復を目的とする“道路復旧”とは大きく意味合いが異なる。道路啓開は、命を繋ぐ道を切り開くものである。

 日本では、全国どこで巨大地震が発生してもおかしくないため、総務省が国内の全ての地域に道路啓開計画を策定するよう求めていた。例えば策定が完了している伊豆半島では、巨大地震が発生した際、自治体からの連絡が無くても民間業者が速やかに道路啓開に着手することになっている。

 その一方で、計画を策定してこなかった地域もあった。業務の優先順位を理由に策定を後回しにしてきた北陸地域を襲ったのが、今回の能登半島地震だった。発災後、すぐに動ける状態だった七尾市にある建設会社は「何日経っても県から発注がこず、勝手に道路を直すわけにもいかない」と、悔しい思いを語っていた。

 私は部外者ではあるが、道路に関わる者として同じく悔しい思いを抱えていた。道路は日常生活に欠かせないものだが、その重要性が最も高まるのは災害時である。しかしながら能登半島地震では、道路が役に立たなかったのだ。

 発災から1年が経ち、道路事情はどこまで改善し、復旧・復興に役立っているのか。私は再び現地を訪れた。

復旧・復興に向けて着実に前進している一方で…

 まず最初に訪れたのが、輪島市だ。2024年1月中旬の段階では、対向車と譲り合いながら通行するしかない箇所や、大きな段差が残る箇所も多く、輪島市に到達するのも困難な状況だったが、現在では道路の仮復旧が進み、全線2車線が確保され、スムーズに市街地まで到達できた。

 しかし、中心市街地では、倒壊したままの建物が目立つ。

 上の写真だけを見ると、大きな進展が無いように見えるが、全焼した朝市は解体が進み更地になっていた。

 朝市周辺で行方不明者の捜索活動を行っていた京都府警の拠点だった駐車場は瓦礫置き場に変わり、全国から集結した消防や自衛隊の拠点だった駐車場やグラウンドには、仮設住宅が建ち並んでいる。

 復旧・復興に向けて着実に前進している一方で、発災直後から何も変わらない景色も混在しているといった状態だ。

 SNSでは、倒壊家屋がそのままだと発信する人がいれば、こんなにも復旧が進んでいると主張する人もいる。どちらか一方が正解なのではなく、「どちらも入り混じっている」というのが、震災から1年が過ぎた能登半島の現状だろう。

 続けて、輪島市中心街から海沿いに伸びる国道249号を北東に走り、輪島市深見町を目指す。

 地震により国道249号が分断され、私が前回訪れた2024年1月14日の時点では孤立していた地域だ。

 当時は路面に大きな段差が生じてアスファルトが剥がれ落ち、無残な状態になってしまった国道を歩いて深見町に入ったのだが、現在は復旧が進み、自動車で走ることができた。

 といっても1車線を確保するのがやっとで、片側交互通行が実施されている区間もある。

 道路沿いの斜面が崩壊した現場では、崩落した土砂や樹木の上からコンクリートを吹き付け、これ以上崩壊が進まないようにして仮復旧している箇所があった。

 大胆な方法だが、一刻も早く道を通そうと奮闘しているのが伝わってくる。

 しかし、道路が復旧したからといって、町が平静を取り戻しているわけではなかった。

「もう家に帰れないと諦めています」

 この地区に住む男性(72歳)に話を聞いたところ、地震により孤立状態となった深見町の全住民は避難を余儀なくされた。ほとんどが石川県の粟津温泉に行ったが、夏頃、道路やインフラが復旧してからは、深見町へ帰って来る人も多かったという。

「帰るって言っても、自宅やないよ。マリンタウンの仮設住宅」

 自宅に帰ることができた住民は少ない。また、仮設住宅も抽選に当たった人しか入れない。かといって避難先にいつまでもいることもできず、居場所を確保するために苦労している人もいるそうだ。

 男性に、現在最も困っていることを聞くと、真っ先に「道路」という言葉が返ってきた。

 国道は復旧したが、国道から自宅までの道はまだ手つかずのままだという。

 自宅に車で帰れないため、暮らしに必要なものを取りに行くこともできない。道路が直っていないから、電気や水道も復旧しない。発災から1年が経つが、道路を復旧させる見通しも立っていない。

「もう家に帰れないと諦めています」と男性は寂しそうな表情を浮かべた。

橋という橋に段差が…

 珠洲市宝立町鵜飼は、地震の揺れに加えて津波被害が大きかった地区だ。3メートルの津波が押し寄せ、家や車が流されて旅館の前に積み重なっていた光景は、忘れることができない。

 そして印象的だったのが、マンホールや橋の隆起だった。

 今回の能登半島地震では、被災したほぼ全域で橋梁に段差が生じ、交通の支障となった。実際に被災地を訪れた人なら「橋を見たら減速」は記憶に新しいだろう。橋という橋に段差が生じていた。

 また、多くの地域でマンホールや雨水の集水枡が路面から飛び出していた。これは、地震に伴う液状化現象により、中空で軽いマンホール等が浮き上がるためだ。この鵜飼地区では、その現象が特に顕著にみられた。

旅館の前に積み重なっていた家や車はどうなったか

 約11か月ぶりに訪れると、津波によって流されてしまった車は撤去され、一部の家屋は解体されていた。その一方で、1メートル以上も浮き上がったマンホールや、大きな段差が生じた橋は、そのままになっていた。

 漁港の近くで船舶の作業をしていた男性に話を聞いた。最も困っていることを聞くと「こんなこと言うともっと困ってる人に申し訳ないけど」と前置きしたうえで、「あの橋が通れないことですね」と話してくれた。

 鵜飼漁港の近くにある橋は、橋桁が1メートル近く持ち上がり、通行止になっている。この上流に架かる橋も通行止になっているため、何キロも迂回しなければならないという。

 橋を架け替えるという話も出ているが、見たところ工事は始まっていない。男性の苦労は、しばらく続きそうだ。

4.9メートルの津波が襲った白丸地区

 能登町白丸地区では、今回の地震で最大4.9メートルの津波が襲い、火災も発生した。1月に取材した際には東日本大震災の被災地を思い出さざるを得なかった。

 しかし、津波と火災により沿岸部は壊滅的な被害を受けていたにもかかわらず、2024年1月14日の時点、つまり震災発生から2週間程度で集落内の道路が概ね通れるようになっていた地域だ。

 当時、津波に破壊された建物や車が打ち上げられていた海岸には、現在、フレコンバッグが並べられ、沿岸部の景色が大きく変わっていた。倒壊した家屋の撤去が進み、更地が目立つ。海辺で作業していた男性に話を聞いた。

 前回訪れた際、白丸地区の道路復旧が早かったことについて話を聞くと、意外な返答があった。

独自に行われた道路啓開

「支援団体の人たちが道を開けてくれた」

 発災の翌日、1月2日に民間非営利団体である災害支援NGOが能登町に駆け付け、3日には白丸地区にも物資を届けてくれた。5日にはダンプで重機を持ち込み、瓦礫で塞がっていた道路を開けてくれたというのだ。

 1月2日や3日といえば、道路啓開が進まず、消防や自衛隊といった救助機関であってもなかなか被災地に入れなかった。そんなタイミングで民間の支援団体が現地に物資を届け、5日には重機を持ち込み道路啓開を独自に行っていたというのだ。

 道路啓開は通常、国や県が業界団体に依頼し、自衛隊や消防、警察とも連携しながら地元の土建業者が中心となり実施される。民間団体であるNGOが、命の道を切り開く道路啓開を独自に行っていたということに、驚きを隠せなかった。

 いち早く駆け付けた支援団体が住民の要望を聞き、それを元に必要な物資を持ち込んだり、重機で道路啓開を実施してくれたという。NGOの人たちは、昼は支援活動を行い、夜は住民と話し合いをして要望に沿った活動をしてくれた。寒い中で作業を続け、車の中で寝泊まりする彼らの姿を見て、男性は少しでも暖まってもらおうと被災した自身の建屋を提供した。NGOの活動は現在も継続しており、農業や林業といった生業の支援にシフトしているという。

「行政も頑張ってるけど、今のことだけで精いっぱい。先まで見てない」と男性は言う。

 発災から時間が経ち、復旧・復興の主体は市町といった地方自治体が担っている。しかし、能登半島の自治体は、どこも規模が小さい。職員の数が限られ、専門的な知識や災害対応に長けた職員も少ない。全国の自治体から応援の職員もきているが、受け入れる側の規模から限界もある。

 また、小規模な地方自治体では予算も限られる。男性は、町の職員に要望を伝えに行くが、予算を理由に断られることが多いという。「町が財政破綻しないか心配だ」とも話す。こうした事情から、職員は精いっぱい頑張って疲労しきっているが、復旧が思うように進まない現実があるようだ。

〈 4.9メートルの津波が襲い、火災も発生…甚大な被害を受けた能登町白丸地区が“恐るべきスピード”で道路啓開できた“意外な理由” 〉へ続く

(鹿取 茂雄)

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