「いま飲んでるから来い」ウルフルズ再開前夜、奥田民生に呼び出されたトータス松本が“いじくり倒された夜”
文春オンライン / 2025年1月12日 17時0分
©三浦憲治
奥田民生から「お前」と呼ばれるほど公私ともに親交の深いトータス松本。2014年のウルフルズ再開直前、ミュージシャンを辞めようか悩んでいた日々など、人生の節目には奥田民生の存在があった。(全2回の前編/ 続きを読む )
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「民生くんだけなんです『お前』って呼ぶのは」
――昨年10月に行われた民生さんの30周年記念ライブ「59-60」の初日、「ひとり股旅スペシャル@両国国技館」にはトータスさんもゲスト参加しました。ふたりで披露したウルフルズの「いい女」は、民生さんからのリクエストだったそうですね。
トータス そうそう。あの何日前かな、リハがあって、そこで決めました。そのときは急だったから、ハーモニカもハーモニカホルダーも持ってなくて、1回だけざっくり合わせて終わりだったんですよ。民生くんは風邪で、体調悪そうでしたね。鼻が詰まりまくってて、ゴホゴホしてるし。僕もうつされたくないから、あまり一緒にいたくなくて、早々に終わらせて帰りました(笑)。
――そうだったんですか。あの日は民生さんと関わりの深い人たちがゲストで登場しましたが、トータスさんから見て、民生さんはどういう存在なんですか?
トータス うーん、なんでしょうね。まあ友だちじゃないですか。仲間っていう感じはしないですね。僕のことを「お前」呼ばわりする人ってあんまりいないんですよ。民生くんだけなんですね、「お前」って呼ぶのは。
昔からそうですけど、日本のロックの歌詞でも、距離の近い女の子のことを「お前」って言うじゃないですか。もう少し距離があると「君」とかね。仕事場の年下の女の子にも、昔は「お前」とか言ってましたけど、もうそういう時代じゃないですよね。だからますます、「お前」と言うことも、言われることもなくなった。でも民生くんだけは「お前」って言いますから。年がひとつ上なんで、弟みたいに思ってるのかな。
――民生さんと初めて会ったのは、1996年4月に日清パワーステーションで行われたウルフルズのライブだったと、過去のインタビューで話していますよね。
トータス そうです、僕らのツアーの追加公演にゲストで参加してもらって。たぶんその日のパワステで初めて会ったんですよ。会ったときのことはまったく覚えてないけど、ステージで一緒に演奏したことは覚えてます。曲はなんだったかな。リハーサルとかもしたはずですよね……いや、記憶が完全に飛んでるな。
――そこから「お前」と呼ばれるくらい、近い関係になっていったわけですよね。どうやって距離が近づいていったんですか?
「ちょっと手伝ってくれないか」と言われてレコーディングに参加
トータス 同じ年の終わりごろかな、民生くんが(井上)陽水さんとふたりでユニットを組んで、一口坂スタジオでレコーディングしてたんですよ。そのころ僕らも『バンザイ』(96)の次のアルバム『Let's Go』の準備をしてて、民生くんと陽水さんの下のフロアでレコーディングしてたんですね。それで「ちょっと手伝ってくれないか」と言われて、僕とケーヤン(ウルフルケイスケ)が呼ばれて、「月ひとしずく」(97)にギターで参加したんです。
――民生さんと陽水さんも、『Let's Go』収録の「年齢不詳の妙な女」にアコースティック・ギターで参加していますね。
トータス ちょうど同じような時期だったんです、レコーディングが。たぶんそのときに「パワステではお世話になりました」みたいな話をしたんじゃないかな。あれ、違うか。その前のマキシ「ブギウギ'96」(96)の「骨と皮ブギウギ」で民生くんにドラムを叩いてもらったから、その前に一緒にレコーディングをしてたかもしれん。
でも「ブギウギ'96」のマスタリングは4月のパワステのあと、そのまま成田からマイアミに行ってやったはずだから、そうなるとパワステの前にレコーディングしてるはずなんですよ。いや、いきなりレコーディングに呼ぶはずないんですよね。あかん、完全に記憶が無茶苦茶になってる。
いろんなところで「ウルフルズはいい」って吹聴してくれてた
――民生さんはウルフルズの「借金大王」(94)が好きで、その前からライブでカバーしていたんですよね?
トータス そう。ライブでカバーしたり、いろんなところでウルフルズはいいって吹聴したりしてくれてたんです。『月刊カドカワ』の民生くんのインタビュー記事を見たら、居酒屋みたいなところで撮った写真に、ウルフルズの曲名を書いた短冊がメニュー名と一緒に貼られてたりとか。パワステも、参加してくれる数か月前のパワステに、自分でチケットを買って来てくれたんですよ。いきなり奥田民生が来たから、スタッフもみんなうろたえて。
――そのときは終演後に楽屋挨拶をするでもなく、っていうことですか?
トータス そう、いっさいなかった。(斉藤)和義くんと初めて会ったのは僕らのライブ後で、観にきた和義くんをスタッフが楽屋に連れてきてくれたんだけど、民生くんはまあ照れ屋ですから。
――経緯はともあれ、それからイベントなどでよく顔を合わせるようになって、麻雀もたびたび一緒にされたとか。
トータス よくやりましたね。それこそ96、97年ごろ、民生くんと長田(進)さんと、(斎藤)有太くんもおったかな。
――民生さんがそのころ一緒にやっていたバンド、GOZの面子に加わるようなかたちだったんですね。
トータス アウェイな感じでやってましたよ。嫌でしたね(笑)。でも当時は電話番号しかお互いに知らなかったもんな。電話で呼ばれて行ってたのかな。
グループLINEのおかげで密に連絡を取り合うように
――いまのおふたりを見たら、絶対馬が合うはずだと思いますけど、どうやっていまみたいに仲良くなっていったのか不思議ですよね。
トータス ほんとわかんない、僕も。でも長いことつかず離れずの関係で、それこそカーリングシトーンズを組むことになるきっかけのグループLINEができてからですよね。10年くらい前。(寺岡)呼人くんとか和義くんとか、吉井(和哉)くんにFLYING KIDSの浜崎(貴司)さん、あとKING(YO-KING)もそうだし。そこから密に連絡を取り合うようになったので、グループLINEのおかげです。
ほんとにどうでもいいことまでね。ラーメン屋に行って写真を撮って、こんなラーメン食ってるとか、この機材がなかなかええでみたいな情報とか、バンバンやりとりするようになって。それまでは数ヵ月とか、1年会わないとか普通でしたから。
――そのグループLINEは、どうしてできたんですか?
トータス 2013年だったと思うんですね。家にいて、寝る前に風呂入って、12時くらいに上がったら民生くんから着信があって。そのころはそんなにやりとりなかったですから、珍しいなと思ってかけ直したら、「お前、またウルフルズやるらしいな」っていきなり言われたんです。
「いま飲んでるから来い」と言われて
――ウルフルズは09年に活動を休止して、14年に再開します。その再開前だったんですね。
トータス ちょうどその活動再開の準備をしてたんですけど、まだどこにも漏らしてなかったのに、「え、なんで知ってんの?」って。それで「いま飲んでるから来い」と言われて、嫌やな、面倒くさいなと思いながら居酒屋に行ったんですよ。そうしたらそこに民生くんと陽水さん、呼人くん、Mr.ChildrenのJEN(鈴木英哉)、リリー・フランキーさんがいて、あと誰かいたかな?
「いよいよウルフルズやるらしいな」って、みんな酔ってるからいじくり倒されて、そうしたら呼人くんが「トータスくん、LINEやってる?」って言うんです。「疎いから全然わからへん」とか答えたら、呼人くんが僕のスマホに全部セッティングしてくれて、「トータスくんと民生くんとJENと俺、4人のグループLINEだからね」って。そこにあとから和義くんや吉井くん、KINGや浜崎さんが入ってきたんですよね。
黒澤映画で「自分が次に行きたいのはこっちかもしれんな」と…
――トータスさんと民生さんと言えば、音楽をやめて役者1本で活動していこうと考えていたトータスさんを、民生さんが引き留めた話があまりにも有名です。
トータス アルバム『9』(05)のツアーが終わったあとですね。あのころの活動のサイクルとしては、ツアーが終わると一休みして、次のレコーディングに向けて準備するという流れだったんです。年に1枚アルバムを出すような感じでしたから。それでツアーのあと、次はどうしようかと思ってたんですよね。
その前の『ええねん』(03)は、バンドを脱退していたジョンBが復帰した最初のアルバムで、僕らもわりとはしゃいでね。ガーッと高揚して、初期のウルフルズみたいな、わりと粗っぽいアルバムを作ったんです。それで次は趣向を変えて、じっくり腰を据えてウルフルズの音楽を作ろうと思ったのが『9』だったんですけど、ツアー最終日の日本武道館が終わったときに、メンバーが復帰したあと、一瞬バーッと上がった熱量がまたフラットに戻ったというか。
なんて言ったらいいかわからないけど、倦怠期が始まったような、なんかこう熱いものが感じられないような、そんな感じがしたんです。それで本を読んだり、映画を観たりして、とりあえずなにかインプットしようと。ところがしばらく観てなかったなと思って、『用心棒』とか『椿三十郎』とか、黒澤明監督の映画をDVDで観直したら、自分が次に行きたいのはこっちかもしれんなと思ったんですよね。
――そこに初期衝動のようなものを感じた、と。
トータス そうそう。曲はまったくできないんですよ。でも寝ても覚めても、三船敏郎の顔が浮かんでくるわけです(笑)。「桶屋、棺桶ふたつ。いや、たぶん三つだ」とか、三船さんのセリフ回しに完全に心をつかまれて。
だから音楽ではなく、こっちのほうが希望が見えるみたいな、変な感じになっていったんです。よっぽど疲れてたんでしょうね。心になんとなく隙間風が吹いてたときに、それを黒澤映画がパチッと埋めた。すごいんですよ、黒澤明は(笑)。
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〈 「音楽やめて役者になるとか、わけわからんこと言い出すんですよ」本気でミュージシャンを辞めようと思っていたトータス松本を引き留めた“奥田民生の言葉” 〉へ続く
(門間 雄介)
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