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「うんちを綺麗に拭けず、生理用品の交換もできないので…」重度の知的障害がある5歳下の妹が生まれ、ヤングケアラーになった女性が直面した“介護とイジメ”の実態

文春オンライン / 2025年1月25日 10時0分

「うんちを綺麗に拭けず、生理用品の交換もできないので…」重度の知的障害がある5歳下の妹が生まれ、ヤングケアラーになった女性が直面した“介護とイジメ”の実態

月まるさん

 障害や病気のある兄弟姉妹がいる子どものことを「きょうだい児」という。きょうだいの世話をするために進路が制限される、きょうだいの障害が理由でイジメを受けるなど、過酷な幼少期を過ごす人も多い。

 月まるさん(40代女性)も、5歳下の妹に重度知的障害と自閉症があったことをきっかけに、日常的にお風呂やトイレの世話をするようになり、妹を理由に学校でイジメのターゲットになったという。「きょうだい児」の過酷な境遇について話を聞いた。(全3回の1回目/ 続き を読む)

◆◆◆

――家族構成から教えていただけますか?

月まる 父は会社員、母は専業主婦で、私は長女です。2歳下に弟がいて、5歳下の妹に重度知的障害と自閉症がありました。

――妹さんの障害がわかったのは?

月まる 私が7歳のときには妹は療育手帳(知的障害者に交付される手帳)を持っていたようですが、もっと前から妹に障害があることは子どもの私でもわかっていました。

 私が小1の11月に初めて妹に名前を呼ばれたことはよく覚えています。そのとき妹は1歳10カ月で、弟と比べても発語が遅いのは幼いながらにも理解していましたし、癇癪を起こすこともあったので。

 ただ両親からは妹の障害の説明は受けていなかったので、なんとなくしかわかっていなかったですね。

「なんでこんなに体の大きい子のお風呂の世話を毎日しなきゃいけないのだろう」

――妹さんのお世話はいつ頃から始まったのでしょうか。

月まる お風呂は私が小学校低学年の頃からずっと1人で入れていました。5歳差なので、妹のお風呂の世話をするのはありうると思うのですが、中高生になって妹も大きくなると「なんでこんなに体の大きい子のお風呂の世話を毎日しなきゃいけないのだろう」と、面倒に感じるようになりました。

――お風呂の世話とはどういうものなんでしょう。

月まる 妹の知的レベルは3歳くらいで止まり、たとえば「お腹を洗って」と言ってもおへそ付近しか洗えないので、私が全部洗っていました。それが、大学2年生で一人暮らしを始めるまでずっと続きました。

「確認してあげないとうんちがパンツについていることが…」

――思春期の女子には負担が大きいですよね。他にも日常的にしていたことはありますか?

月まる 大きかったのはトイレですね。自分でトイレには入るんですが、うんちを綺麗に拭けないので、確認してあげないとうんちがパンツについていることがあるんです。なのでトイレのたびに拭いてあげていました。妹の生理が始まってからは、生理用品の交換もできないので、生理の時期には必ず待機してパンツをはく前に交換してあげていました。

――家にいるときはずっと妹さんのことを見ている必要がありそうです。

月まる そこまでではなくて、リビングの真横にトイレがあったので、妹がトイレに入ったら気をつけておくぐらいです。トイレを流すのも好きで、止めないと永遠に流しちゃうので、1回目に流す音が聞こえたらすかさず見に行っていました。

 私がいない時間は母がやっていたのでしょうが、家にいる間は「お姉ちゃん行って」という感じで。「普通」の家ではそういうことはないと知ったのは、大人になってからです。

――世話をすることが当たり前だった。物を壊されるというのもよく聞きますが。

月まる 教科書をぐちゃぐちゃにされたり、カバンにマジックで落書きされたりとかは日常茶飯事でしたけど、実年齢も精神年齢も離れていたので「あーあ」ぐらいにしか思っていませんでした。「妹の手に届くところに置いていた私が悪かったな」と。振り返ってみれば、子どもの頃の私はすごく「いい子」だったと思います。

 妹が失踪したときもちゃんと迎えに行きましたし。

――失踪?

月まる 妹の中学は家から電車で数駅離れていました。知的障害が重いので送り迎えは必須なんですが、「なんとか一人で行けるようにしたい」という母の方針で、学校の先生に駅まで送ってもらい「1号車の後ろのドア」など場所を決めて家の最寄り駅でピックアップしていました。

 でもある日、母が妹を見つけ損ねてそのまま電車に乗ったままになってしまって。

――それは大変です。

月まる 結局1時間くらい先の駅で、どうやって改札を出たかわからないんですが駅の外のコンビニでパンの袋を勝手に開けてしまって保護されました。

 それで警察から家に電話があって「迎えに来てください」と。

――それを月まるさんが?

月まる 母に「あんたが帰りに迎えに行ってきて」と言われ、私の大学から1時間半くらいかかる場所だったのですが、行くしかなくて。

母に言われた「あんたが欲しいって言ったから産んだ妹」

――いわゆるヤングケアラーだったわけですね。

月まる どうも弟が生まれたときに、私が母に「妹が欲しい」と言っていたようで、「欲しいと言ったのだから、世話をすべき」とずっと言われていました。妹が生まれたことは嬉しかったですが、母からは「あんたが欲しいって言ったから産んだ妹」という言い方をずっとされていました。

――かなり強烈なお母さんという感じがするのですが……。

月まる 思い返せば、2歳下の弟が生まれたときから母との関係は歪だったと思います。「自分のことは自分でやりなさい」という感じが強すぎるというか。

 3歳頃のときに雪道を歩いていた日のことは今でも覚えています。母は弟を抱っこしていて、私は歩いていたのですが長靴に穴が開いて、雪が入って足が冷たくて痛さで泣いていました。でも母は寒いから歩きたくないのだと思いこんで、怒るばかり。しかも家に着いて足がしもやけ状態になっているのを見ると、今度は「なんで言わないの」とさらに怒られました。

――父親はそういう時どうしているんですか?

月まる 父は企業戦士で毎日帰ってくるのが深夜でした。父は異性ですし、妹のケアに関わることもほとんどありませんでした。

 ただ父はきょうだい自体は平等に扱う人で、母との関係が苦しさの主な原因だったと思います。

――母親への違和感はいつ頃から覚えるようになったのでしょうか。

月まる 小学校の途中までは、穏やかに暮らしていた記憶があります。それが変わったのは、私が小学校6年生、妹が小学校1年生のタイミングで、妹が障害児の教育に強いと言われる学校に通うために家族で引っ越すことになったとき。小学校5年生の3学期に突然「転校するから」と言われました。

――月まるさんは引っ越しはどういう気持ちだったんですか?

月まる 「あと1年で卒業だから転校したくない」とは言ったのですが、「妹のことが大変だから」と一蹴されました。「どうせ中学受験するんだから今の学校の友達とずっと一緒なわけじゃないし、大したことじゃないでしょ」と。

――小学生にとっての転校は大人が考える以上におおごとですよね。

月まる しかも、私立の小学校から公立の小学校に転校したら激しいイジメにあったんです。

「お前の妹、指も舐めててめっちゃ汚かった」

――どんなことがあったのですか。

月まる イジメのきっかけは妹でした。妹がスーパーで癇癪を起こしてひっくり返っていたところを、たまたまクラスの人に見られたんです。

 それで次の日に「お前の妹、スーパーでひっくり返って騒いでたし、指も舐めててめっちゃ汚かった。お前も汚いから近づくな」と言われ、イジメのターゲットにされました。私の机が教室の端にどかされたり、上履きをゴミ箱に入れられたり。

 教師も見て見ぬふりで、何もしてくれなかったです。

――妹さんを理由にいじめられてどう思いましたか。

月まる ただただ、悲しかったです。私は妹のことをかわいいと思っていましたし、妹が癇癪を起こしたり指を舐めたりするのは障害で仕方ないことなのに、悪く言われてしまう。

 引っ越す前の地域では、私の友達も妹のことを小さい頃から見ているから優しく接してくれていましたが、引っ越した先では全然状況が違って。「障害があると、社会ではこういう差別を受けるんだ」と気づきました。

――いじめられたことについて親の反応はどうだったんでしょう。

月まる 母には「なんで言い返さなかったの」って怒られました。私の悲しい気持ちには全く共感してもらえず、むしろ「妹がひどいことを言われているのに、守らなかった悪いお姉ちゃん」という扱いで……。

 それでだんだんと私の怒りの矛先は母に向いていきました。

〈 体があざだらけになるまで掃除機で殴られて…苛烈な教育虐待を受けた女性が毎日「死んでほしい」と呪い続けた母親の“壮絶すぎる仕打ち”とは 〉へ続く

(雪代 すみれ)

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