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「冷たいという人もいるかもしれませんが…」重度知的障害の妹を持つ女性が自分の子供を産んでたどりついた「きょうだいは親が一緒だっただけの他人」という境地

文春オンライン / 2025年1月25日 10時0分

「冷たいという人もいるかもしれませんが…」重度知的障害の妹を持つ女性が自分の子供を産んでたどりついた「きょうだいは親が一緒だっただけの他人」という境地

〈 体があざだらけになるまで掃除機で殴られて…苛烈な教育虐待を受けた女性が毎日「死んでほしい」と呪い続けた母親の“壮絶すぎる仕打ち”とは 〉から続く

 障害や病気のある兄弟姉妹がいる子どものことを「きょうだい児」という。月まるさん(40代女性)は、5歳下の妹に重度知的障害と自閉症があり、小さい頃からお風呂やトイレの世話が日課に。「ほかのきょうだいだけでもエリートコースに」と願う母親から教育虐待を受け、身体的暴力も日常茶飯事だった。

 それでも月まるさんは、30代半ばまでは「良いお姉さんでいなくては」「親がいなくなったら私が妹の面倒を見なければ」という思いが強かったが、現在は実家と絶縁している。絶縁の経緯や、子どもの「遺伝」に関して思うこと、「親亡き後」の考え方の変化について聞いた。(全3回の3回目/ 最初 から読む)

◆◆◆

──実家との距離を取り始めたきっかけは?

月まる 大学を卒業してすぐ結婚し、子どもが生まれました。「両親に孫の顔を見せてあげないと」と思っていたので、子どもが小さい頃は七五三のお食事会をセッティングするなど、定期的に会う機会を設けていました。でも子どもが小学生になって、私の母を嫌がり始めたんです。

──何があったのですか。

月まる 子どもが「(実家に)行きたくない」と言うんです。詳しく聞くと、「おばあちゃんが抱きしめたりほっぺをつけたりしてきて、『やめて』と言ってもやめてくれない」「おばあちゃん家の洗剤の臭いが苦手だから、断ってるのに毎回勝手に洗われて、嫌がると『洗ってやったのにその態度はなんなの』と怒られる」と。

「老いた親に孫の顔を見せるのが親孝行」という世間の規範に従っていた

──お子さんを守るためだったのですね。

月まる それまでも親から受けた暴力を私はずっと許していなかったんですが、「老いた親に孫の顔を見せるのが親孝行」という世間の規範に従っていました。でも嫌がっている子どもを見たときに、子どもに我慢をさせてまですることなのか、と思ったんです。

──一人暮らしのときは母親の連絡がしつこかったとのことですが、結婚してからは干渉などはあったのですか?

月まる 母は、よくわからないものを一方的に送りつけてくることがありました。開封済みのお菓子や、1ページ目だけすでに使っているノート、フリマで買ったよくわからないものなど、もらっても全く嬉しくないものが数カ月に1回、50cmくらいの大きな段ボールで送られてきていました。

 何度も「もう送らないでほしい」と言ったものの伝わらず、それどころか、こちらが喜んでお礼を言ってみせないとキレるんです。

──善意のつもり、ということでしょうか。

月まる あまりにも憂鬱だったので、「物を送るのをやめない限り連絡を絶ちたい」と伝えました。それでも止まらなかったので、5年前に母のLINEをブロックしました。

 その後しばらくは父の協力もあって物は送られてこなくなったのですが、父の名前は書いてあるけれど明らかに母の字のメッセージと一緒に物が送られてきたことはありました。

──父親とは今も連絡を取っているのですか?

月まる しばらくは父親とだけ連絡を取っていたのですが、今は父もブロックしています。私と父がやり取りしていることを母が知り、父を責めたようです。父はそれに耐えられず、「お前が折れろ」と言ってきたんです。

 それで「私は別にお父さんと連絡を取らなくても困らないから」と伝えてブロックしました。

「『子どもが障害児だったらどうしよう』という不安はずっとありました」

──もう実家とは連絡を取っていない状態なのですね。

月まる 1年ほど前に引っ越して、新しい住所も教えていません。

 その際には、書面で絶縁状も送りつけました。それ以降もたまに手紙は届いているのですが、まもなく転送期間が終了するので、もう届かなくなると思います。

──「きょうだい児」の人は大人になっても、自分の子どもへの障害の遺伝や、自分に子どもが育てられるかという不安に悩む人も多いですが、月まるさんはどうでしたか。

月まる 「子どもが障害児だったらどうしよう」という不安はずっとありました。私のような立場の、しかも医者がそんなことを考えていいのかという罪悪感もありましたが、それでも不安だったのは事実です。それでも生んだのは夫を信頼して「この人となら、障害児が生まれても大丈夫だろう」と思えたからでした。

──障害のある子を育てる大変さを直に見ているので、不安になるのはわかる気がします。

月まる もちろん障害児の存在を否定するわけではありません。でも障害児が生まれたら、親のキャリアはどうしても制限されてしまう。ずっと勉強も仕事も頑張ってきたのに、私は自分のキャリアが止まってしまうことに耐えられなかったかもしれません。障害のある子が生まれてきたときに受け入れることと、障害がない子を望む気持ちは別だと思います。

――お子さんとの接し方について気をつけていることなどはありますか?

月まる 「母にされて嫌だったことを、絶対に子どもにしない」というのが最大の教育方針です。今は子どもが私に毎日「大好き」と言ってくれるんです。最初は「そう言わないと嫌われちゃうと思っているのかな」と心配していたのですが、だんだんとおかしかったのは自分の幼少期で、健康に育った子どもは親に対して自然に愛情を持つものだと知りました。自分の子育てを通じて、答え合わせをしている感覚ですね。

──今も妹さんは実家で暮らしているんですよね。親が世話できなくなった後の妹さんのことについて、何か考えていますか。

月まる 「親亡き後」問題ですよね。30代までは「私が全部やらなきゃ」と思っていたのですが、今はその気は全くないです。福祉を勉強する過程で、成年後見人を立てればいいんだと気づきましたし、仕事で養育(発達支援)に関わるようになってからは、「家族が全てを担う必要はない」とも考えるようになりました。

──どんなきっかけがあったんでしょう。

月まる 障害のある子を残して亡くなる親の中でも、「兄弟姉妹に面倒を見てほしい」と思っている人は多いです。ただ、ほかに見られる家族がいない場合や、親族が断った場合には、行政が対応します。兄弟姉妹には強い扶養義務もないんです。

 だから私がいなくても妹は大丈夫だし、意外と社会はなんとかしてくれる。私は自分の人生を優先して、妹の世話を拒否する権利があるし、それを気に病む必要はないと、割り切りがつきました。

──仕事の中で、「親亡き後」の現実をたくさん見てこられたんですね。

月まる 障害者の入所施設で働いていたときに、入居者の親御さんが事故や病気で突然亡くなって、医療同意や福祉サービスの利用を決定していた家族が急にいなくなるケースが何度かありました。そういうとき、職員の中には全然連絡をとっていなかった兄弟姉妹を探そうとする人もいたのですが、「報告はしてもいいけど、面倒を見るようにプレッシャーをかけるスタンスで接してはいけない」と口酸っぱく言ってきました。

 障害のある子の診療でも、障害のない兄弟姉妹を「お姉ちゃんちょっと●●してきて」と駒のように扱う親はいます。そういうときは「それは親の仕事だから、お姉ちゃんにお願いするのは負担だからやめましょう」と話をしていました。

「私と妹は、たまたま親が一緒なだけの他人」

──現在は妹さん自身についてはどんな風に思われているのですか?

月まる 私は妹に負の気持ちが向いたことは一度もないです。子どもの頃にしていたお世話も、負担を強いているのは親だとわかっていましたし、イジメを受けたときも妹のせいだと思ったことはありません。それでも、彼女の人生まで背負うつもりは今はありません。私は妹を一人の独立した他人だと思っています。彼女が福祉の力を借りて、幸せに穏やかに過ごせることを願っていますが、そこに私が関わる必要はないと思います。

──遠くから幸せを願う、と。

月まる だから親がいなくなった後に私が何かをしてあげる必要はないし、親の代わりに会いに行く必要もないと思っています。両親はお金をそれなりに持っているので、どこか施設に入れようと思っているみたいです。

──その決断に葛藤はありましたか?

月まる 今は葛藤はないですね。私と妹は、たまたま親が一緒なだけの他人で、今の私にとって家族は夫と子どもです。妹や自分の親よりも、今の家族の方がずっとずっと大切で、実家の人たちは他人だと思うようになりました。

 私の選択を「冷たい」と言う第三者はいるかもしれませんが、それはもう気にしていられない、というのが正直なところですね。

(雪代 すみれ)

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