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「ホテルのサウナで死んだ」「いや他殺ではないか」東京オリンピック汚職事件キーマンの弟・高橋治則(享年59)はなぜ死んだ?

文春オンライン / 2025年1月12日 6時10分

「ホテルのサウナで死んだ」「いや他殺ではないか」東京オリンピック汚職事件キーマンの弟・高橋治則(享年59)はなぜ死んだ?

高橋治則氏(写真:時事通信社)

〈 「絶対に捕まらないようにするから」東京オリンピック汚職事件はここから始まった…逮捕された電通元専務・高橋治之(80)を動かした「ある大物政治家」の言葉 〉から続く

 2022年、東京オリンピックでの収賄容疑で逮捕された元電通の高橋治之氏。そして1995年、東京協和信用組合破綻に関する背任容疑で東京地検特捜部に逮捕された、イ・アイ・イーインターナショナル社長の高橋治則氏。2人は年子の兄弟だ。

 天皇家にもつながるという名門で、花嫁修業中のお手伝いさんがいるような裕福な家庭に生まれ、慶応幼稚舎から慶応大学に進み、電通、日本航空という当時の超一流企業にコネで就職。誰もがうらやむエリートコースを進んだ2人が、なぜ、そろいもそろって塀の向こう側に落ちてしまったのか。2005年に死去した弟・治則氏の来歴を、ジャーナリストの西﨑伸彦氏の『 バブル兄弟 “五輪を喰った兄”高橋治之と“長銀を潰した弟”高橋治則 』より一部抜粋してお届けする。(全4回の3回目/ #4 を読む)

◆◆◆

復活の兆しの中で

「高橋さんがサウナで倒れて、高いびきをかいて起きないそうです」

 2005年7月17日の午後、高橋治則の仕事仲間のもとに一本の電話が入った。彼が、神宮外苑のイタリアンの店のテラスで、友人とランチを食べ始めた時だった。

 この日の東京は、朝から梅雨明け前の曇り空が広がり、湿度とともに気温がジリジリと上昇。午後には30度を超え、薄曇りの空へと変わった暑い日曜日だった。電話の主は、治則の秘書役の若い男性だった。治則と一緒にいた女性から、異変を知らせる連絡が入ったという。

 2人は、赤坂の高級住宅街にある3階建ての一軒家にいた。1階のフロアは30帖ほどの広さがあり、ドライサウナやミストサウナが設えられ、浴室には水風呂も完備。約2年前に、サウナ好きの治則の意向で、接待にも使える“迎賓館”として関係会社がノンバンクから借入をして購入した物件だ。

 秘書役の男性は、突然の出来事に戸惑い、冷静な判断ができないほど狼狽した口ぶりだった。症状を聞く限り、くも膜下出血の疑いがあった。

 かつて「イ・アイ・イ」グループを率いて、国内外のホテルやゴルフ場を買い漁り、“環太平洋のリゾート王”と呼ばれた高橋治則。資産は1兆円を超え、わずか数年の間に不動産、海運、金融など百社近い傘下企業を持つ一大コングロマリットを作り上げた。しかし、その栄華は長くは続かなかった。膨張した風船が破裂するようにバブルが崩壊すると、次々と綻びが露わになっていく。

 彼が理事長を務めた東京協和信用組合と、「イ・アイ・イ」グループの影響下にあった安全信用組合の2つの信組は巨額の不良債権を抱え、国会でも厳しい追及に遭った。治則は一転して約2兆円の借金を背負う身に転落。1995年6月、ついに東京地検特捜部に背任容疑で逮捕され、“長銀(日本長期信用銀行)を潰した男”の汚名を着せられた。その奈落の底から這い上がり、新たな事業を興そうとするなど復活の兆しを見せていた矢先の出来事だった。

 一本の電話から事態は目まぐるしく展開していく。

 治則は、新宿区内にある慶応病院に救急搬送されたが、その時、まだ息はあった。緊急手術が行なわれ、家族もすぐに駆け付けた。だが、意識が戻ることはなく、医師からは、このまま延命したとしても植物状態になる可能性を指摘されたという。

 そして翌朝の午前9時36分、力尽きた。享年59。

死因はくも膜下出血

 治則の訃報は、死の直後から一気に拡散し、「ホテルのサウナで死んだ」「いや他殺ではないか」と情報が錯綜する。新聞各紙は翌19日の夕刊でその死を取り上げたものの、死因はくも膜下出血で、〈高橋氏は、一審、二審の実刑判決が覆されるのではないかと期待し、事業も本格的に再開していた〉(朝日新聞)などと短く伝えるに留まった。

 実は、亡くなる当日の午後、治則は静岡市内にある小長井良浩弁護士の事務所を訪問する予定だった。

 小長井は、治則の刑事事件の弁護団に途中から加わり、長銀を相手取った民事訴訟でも代理人を務めていた。彼は、“バブル紳士”の一人と称され、競売入札妨害などの罪に問われた不動産会社「桃源社」の佐佐木吉之助社長の控訴審判決で、一審の実刑判決を破棄させ、執行猶予判決を勝ち取っている。治則はその手腕を高く評価して、逆転無罪を勝ち取るため、頻繁に静岡を訪れて打ち合わせを重ねてきたのだ。

 この日も、同じく二信組事件を巡る背任罪で起訴された元衆院議員の山口敏夫とともに、打ち合わせが予定されていた。小長井の元に、治則の急死を知らせる一報が入ると、先に到着していた山口は驚きのあまり、「えっ」と声を上げ、二の句が継げなかった。小長井と山口は取るものもとりあえず、東京へと向かった。

 その頃、マスコミ各社も裏付け取材に奔走していた。どうやらサウナで倒れたらしいということは掴んだものの、詳しい経緯は緘口令が敷かれており、伏せられたままだった。

 その4日後──。

〈 「コピー1枚自分で取れない不器用な人」“22歳年下の愛人”が明かした東京オリンピック汚職事件キーマンの弟・高橋治則(享年59)の「意外な人柄」 〉へ続く

(西﨑 伸彦/文藝春秋)

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