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母をレイプした「生物学上の父」の元で奴隷として働いていたが…少女を縛る奴隷制度という“地獄”

文春オンライン / 2025年1月12日 17時0分

母をレイプした「生物学上の父」の元で奴隷として働いていたが…少女を縛る奴隷制度という“地獄”

『降りていこう』(ジェスミン・ウォード 著/石川由美子 訳)作品社

「地獄」とは悪事をした死者が落ちる果てを想像するが、本書で描かれるのは奴隷制という生きた人間の「地獄」だ。

 19世紀初頭、アメリカ南部が舞台。主人公の黒人奴隷・アニスは同じく奴隷の母と、母をレイプした生物学上の父である農園の白人領主の元で働いている。この関係性だけですでに「地獄」。

 領主と白人妻との子どもたちが家庭教師と個人授業中、ドアの外で授業を聞いているアニス。教育を受ける機会がない彼女は言葉を、物語を知りたがっている。

「“それでは降りていこう”と詩人は言った。“いざ、暗闇の世界へ”」 教師がダンテの『神曲』「地獄篇」から引用する。本書は「地獄篇」になぞらえた物語だ。

 ある日、白人領主は母を奴隷商人に売り飛ばし、アニスは独りになってしまった。

 希望も救いもない世界でも、人は生きる縁(よすが)を探す。アニスは同性のサフィと結ばれるが、ささやかな幸福は突然終わる。アニスとサフィは奴隷商人に売られて、南へと過酷な移動を強いられるのだ。

 奴隷制は黒人にとって不条理極まりないシステムだ。

 たとえば奴隷所有者は奴隷をレイプし、妊娠させて「奴隷」を増産していく。母から身を守る術を教わり自由を追い求めるアニスだが「奴隷」は生まれた瞬間から所有者に命を握られている。

 しかし本書は「奴隷」の悲惨な歴史を記すだけではなく、アニスが出会う不思議な存在に光を当てる。

 その中心は「アザ」。母の母、つまりアニスの祖母の名をかたる精霊が登場し、アニスに様々なメッセージを送る。

 超自然的存在「アザ」にアニスは疑心暗鬼になりつつも無視はできない。「奴隷」という立場は常に命が不安定。「アザ」にすがりたくなるのも当然とも思う。

 また、アニスら黒人を奴隷に貶めるのは白人。一方、精霊は人間ではない。前者は同じ人間同士でありながら、黒人を奴隷として扱う。精霊はアニスを救いはしないが、実際に貶めるわけではない。そういう意味で人間よりも信頼できるかもしれない。

 やがて風や川や土もアニスに話しだす。

「われらは――すべてを受け取る者」

 自然はそこにあって、人が流す血も汗も涙も受け取る。所有者に支配される奴隷であっても、自然の前でアニスは血と汗と涙を流す自由があった。

 奴隷制から黒人が解放されるのは19世紀半ば。それまで幾世代にもわたる長年の奴隷制度は「奴隷精神」なるものを生み出し、奴隷自身を縛り付けてきたのではないだろうか。

 終盤、アニスは確固とした意志を持って、ある場所に留まる。奴隷制度と対峙する彼女は、暗闇の先にある希望を見つめている。

Jesmyn Ward/ミシガン大学ファインアーツ修士課程修了。『骨を引き上げろ』(2011年)と『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』(2017年)で全米図書賞を2度受賞。他の著書に自伝『わたしたちが刈り取った男たち』等。
 

なかえゆり/1973年、大阪府生まれ。俳優・作家・歌手。著書に『残りものには、過去がある』『万葉と沙羅』『愛するということは』等。

(中江 有里/週刊文春 2025年1月16日号)

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