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「もうこの人とは無理だ」両親への挨拶は大成功、芸人の嫁としてもうまくやっていたのに…妻が明かす「安田大サーカス団長との離婚危機」を乗り越えられた理由

文春オンライン / 2025年1月13日 11時0分

「もうこの人とは無理だ」両親への挨拶は大成功、芸人の嫁としてもうまくやっていたのに…妻が明かす「安田大サーカス団長との離婚危機」を乗り越えられた理由

プロポーズも両親への挨拶も大成功、しかし…。10年数年にわたる夫婦生活で直面した安田大サーカス団長と安田さちさんの「離婚危機」とは? ©志水隆/文藝春秋

〈 なぜ“交際期間1年になる恋人”を拒絶したのか…? 妻が明かす「安田大サーカス団長が恋人を家に絶対に入れない」驚きの理由「怪しいけど、グレーにしたほうがいいのかな」 〉から続く

「結婚してから初めて本気でぶつかり合った気がします。『離婚』を口にしたし、『もうこの人とは無理だ』と本気で思いました」――10数年にわたる結婚生活で、一度だけ「離婚危機」に直面したことのある、安田大サーカス団長の妻こと、安田さちさん。仲良し夫婦だったお二人に何が? 当時の思い出、離婚危機を乗り越えられた理由を伺った。(全2回の2回目/ 最初 から読む)

◆◆◆

厳格な父が涙したワケ

――団長との結婚に対して、安田さんのお父様の反応が厳しかったということですが、結婚の挨拶はどうなったのでしょうか。

安田さち(以下、安田) 当日、団長と一緒に待ち合わせ場所に着くと、私の両親が先に到着していました。すると、団長が両親の元に全力疾走して、「お待たせしてすみません!」と大声で挨拶したんです。その姿を見て、父は感動のあまり泣いちゃって。見た目も怖いし、厳しい父なのですが、拍子抜けしました(笑)。

 父と団長は情に厚くて真っ直ぐなところが共通点なので、初対面でも通じるものがあったんだと思います。今振り返ると、父と似ているところがあったから団長を好きになったのかもしれません。

――芸人の嫁として、大変だったことはありますか?

安田 今もそうなのですが、団長のスケジュールが全く分からないんです。マネージャーさんに任せきりで、本人も把握していないので、「明日から1週間ロケで出張だ」と急に言われ、1人で育児をしなければならないのが大変でした。「もう少し早くスケジュールを教えてほしい」と何度も頼んだのですが、「先のスケジュールを聞かないのは、今日の仕事に全力投球するためだ」と全く譲ってくれませんでした。

 団長に子供を預けたり、予定を立てることができなかったので、子供達が小さいうちは私は仕事をすることができなかったです。「芸人さんの奥さんになったんだから、仕方ないのかな」と半ば諦めていました。

――そういった悩みを相談する相手はいましたか?

安田 松竹芸能の芸人の奥様達が集まる会で、よゐこの有野さんの奥様や、アメリカザリガニの平井さんの奥様達と愚痴を言い合う機会がありました。私が「芸人さんってスケジュールを教えてくれないですよね」と不満を漏らすと、他の奥様達が「家にスケジュール表が貼ってあるよ」と言うので驚きました。「さっちゃん大変だね」と皆に慰められ、奥様達の間で「団長の嫁が一番無理」という結論になっていました。

最大の離婚危機だった「100キロマラソン」

――結婚生活で、離婚危機はありましたか?

安田 2023年に、「FNS27時間テレビ」(フジテレビ)の「100キロサバイバルマラソン」に参加した時ですね。団長は優勝候補と言われていたので、「絶対に完走しなければ」というプレッシャーがあり、体重を落とすために食事制限をしたりして、すごくピリピリしていました。練習以外にも、体のケアのためにマッサージに通ったり、マラソンのために時間を使うことが多くなっていきました。

 その間、私は家庭のことを1人でやらなければいけなかったので、お互いにストレスが溜まっていたのだと思います。子供たちも、団長が自宅にいる時に何度もマッサージを頼んでくるので、冷たく対応することが増えていきました。

 そして本番が迫ったある日、お互いの不満が爆発してしまいました。団長は「応援してくれないんだったら、見にこなくていい!」と言い、私は「自分だけが頑張ってると思ってるんじゃないよ」と応戦して、大喧嘩になりました。結婚してから初めて本気でぶつかり合った気がします。「離婚」を口にしたし、「もうこの人とは無理だ」と本気で思いました。

――どうやって乗り越えたのでしょうか。

安田 喧嘩の後、モヤモヤとした気持ちを引きずっていたのですが、本番で走っている姿を見ると泣けてきて、「私の想像が追いついていなかった、100キロ走るのはこんなに大変なんだ」と思い直しました。18人のランナーの中で、団長はムードメーカーとしてずっと先頭を走っていて、終わった後「団長がいたから走れました」と言ってくださる方もいました。「団長が抱えていたものは、こんなに大きかったんだ」と反省しましたね。団長にも、その気持ちを伝えました。

 結婚して15年間、お互いの譲れないところに対して、どう折り合いを付けるのか考え続けてきた気がします。譲れないポイントは変えないようにしないと、団長らしく仕事ができないと思います。もちろん団長が私に譲ってくれている部分もあるはずなので、お互いの間を取ることが大切なのかなと思います。

――安田大サーカスの3人は、どんな関係性なのでしょうか。

安田 HIROくんは2017年に脳出血で倒れてから、大きく変わった印象があります。私と団長がお見舞いに行ったことを「すごく嬉しかった」と喜んでくれて、元々優しかったのですが、人との繋がりをより大切にするようになったと思います。クロちゃんはテレビのままの人で、私に会うたびに「さっちゃん、ギャル紹介して」と言うのが昔から挨拶代わりです(笑)。団長は、「クロちゃんは足が汚いから家に入れない」と決めていて、ロケで自宅に来た時も絶対に入れませんでした。

 毎年お正月は、HIROくんとクロちゃん、私達家族で集まっています。HIROくんが娘達にお年玉をくれると、横からクロちゃんが「連名です」と乗っかろうとして、それに怒った団長が強引にクロちゃんからお年玉を奪い取る、というのが恒例の流れです。

溺愛する娘の入学式に行かなかった理由

――お子さん達に対して、団長はどんなパパですか?

安田 娘達への愛情表現が、キャッチボールではなくノックなんです。小さい頃はそれでもよかったのですが、もう小6と中2なのでめちゃくちゃウザがられてます。デリカシーがないので、「太ったんじゃない~?」と、娘達の地雷を踏んでは「鬱陶しいんだよ!」とブチギレられてますね。

 幼稚園の入園式では写真を撮るのに夢中になり過ぎて、いつの間にか園長先生の隣に立っていたり、小学校の入学式に遅刻して新入生の先頭に立って入場してきたり、本人は無自覚でやっているのですが、私は恥ずかしくてたまらなかったです。

 でも、上の娘の中学の入学式は、団長自ら「芸人の娘だとバレて悪く言われたらかわいそうだから、俺行かない」と言って来なかったんです。中学生は難しい年頃なので、私から来ないように言おうか迷っていたので、正直ホッとしました。少しだけ、団長の成長を感じましたね。

――結婚生活を振り返って、団長はどんな人だと思いますか?

「団長のおかげで強くなれた」

安田 良くも悪くも、出会った頃から全く変わらない人です。家族や、HIROくん、クロちゃんを含めて、周りの人を大事にすると決めたら何があっても絶対に見捨てません。私のほうはすごく変わったし、強くなったと思います。結婚前は大人しくて言いたいことも言えませんでしたが、ガンガン言い返すようになりました。それでも、団長は新婚の頃と変わらず、「さっちゃん、さっちゃん」と愛情表現してくれています。

 団長は50歳になったので、いつまで体を張る仕事ができるのか、できなくなったら自分に何が残るのか、不安な気持ちがあると思います。でも、全力で体を張っている姿が今でも一番楽しそうだし、生き生きしていると感じます。だから、あまり年齢を考えず、これからも体を張り続けてほしいし、そんな団長を家族で支えられたらいいなと思いますね。

(都田 ミツコ)

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