「バケモノ覚醒させたの俺か!」ジャイアント白田との意外な関係は…大食いプリンス・小林尊(46)がメディアに抱いていた“複雑な思い”「もし当時YouTubeがあったら…」
文春オンライン / 2025年1月25日 11時0分
小林尊さん ©三宅史郎/文藝春秋
〈 「大食い界のプリンス逮捕」の真相は…フードファイター小林尊(46)が目の当たりにした“米国のリアル”「ビンを投げられ、日本に帰れ!と…」「声をあげないと、ないものにされてしまう」 〉から続く
プリンス小林とジャイアント白田。全くタイプの違う才能がぶつかり合い、2001年のフードファイトブームは生まれた。『TVチャンピオン』と『フードバトルクラブ』。二大大食い番組の鍔迫(つばぜ)り合いに翻弄されながら、新たなフードファイター時代の到来を夢見ていた大食いの若者たち。
そして彼らの中でただ一人、その後20年以上フードファイターであり続けた小林尊(46)。当時を振り返った小林が今テレビに対して思うこと、SNS時代にフードファイターたちはどう「食べる」べきか。大食いがスポーツであるために、引退後の小林が目指す未来とは。(全3回の3回目/ 初め から読む)
◆◆◆
大食い番組ブーム終焉後のファイターたち
――2002年に大食い番組が相次いで終了したあと、選手たちはどうされたのでしょうか。
小林尊さん(以下、小林) みんなしばらくはまた復活するだろうと思っていたと思います。でも時間が経てば経つほどやっぱり現実に戻らないといけないので、当時大学生だった僕も含めて学生が多かったですし。どんどんその世界から離れていっちゃいましたね。
ただ、2005年に『TVチャンピオン』(テレビ東京系)の全国大食い選手権を継承した『元祖!大食い王決定戦』がはじまって、そのときに白田(信幸)は復活しました。でもちょっともうピークを過ぎていたというか、気持ちのほうが難しかったんじゃないかなと。
――気持ちですか。
小林 僕はコロナの時期5年ほど試合しなかったんですけど、体以上にきつかったのは、試合勘やモチベーションを立て直すことでした。「もういいだろう、もう十分やっただろう」って自分のなかで決めちゃうと、いざ戻ろうとしても戻れない。
白田も最初の復活戦で負けてましたけど、大変だったろうなって思いますよね。だって当時相談されましたもん。「尊、今度また番組呼ばれて出なきゃいけないんだけど、休んだあとってどれくらいで準備できると思う?」って。それで僕は「2、3ヶ月ありゃ十分だろ」って言ったんですよね。
僕はそうなんですよ。だいたい半年間試合出て半年間休むんですけど、体つくるのにだいたい2、3ヶ月。まず1ヶ月で胃の容量を一気に増やしちゃえば最大容量まで持っていけるので。でも白田はそのとおりにして負けたっていう。それですごい怒られました。「全然時間足りねえじゃねえか!」って(笑)。
――人によって鍛え方が違う……!
小林 たぶん白田と僕の胃の柔軟性がそもそも違うんだろうなと。白田は大きいけどちょっと硬いんですよ。僕は白田より小さいけども、最初からちょっと柔らかいんだと思うんですね。だから伸びやすい。たとえて言うなら、僕は伸びやすいゴムで白田は伸びにくいゴム。白田はより時間をかけないと伸びなかった。
大食い番組をめぐって社長同士がバチバチに?
――さすがライバル。知り尽くしていますね。
小林 白田とは特に仲が良くて、今でもよく会いますしね。ただ、当時のことで言うと、テレビ局同士の関係はもっとシビアだったのかもしれません。これ本当なのかどうかわからないですけど……。
大食い番組全盛期だった2001年、『TVチャンピオン』のテレビ東京の社長が、『フードバトルクラブ』のTBSの社長に「大TBSが小テレ東のまねをするのはいかがなものか」みたいなことを言ったという記事が週刊誌*に出ましたもんね。番組のスター選手をTBSが引き抜いたとも書かれていて、そこに僕の写真が載っていいて。実際、僕は別に引き抜かれたわけではなくて、大会に出たいだけだったんですが。
*「週刊朝日」2001年12月21日号「大食い番組パクるな TBS社長にかみついたテレビ東京の『意地』」
――すごいな、社長同士がバチバチになるコンテンツなんてなかなかないですよ。
小林 以前視聴率ランキングの番組に声かけられたことがあるんですよ。僕が『フードバトルクラブ』で食べている瞬間が視聴率がめちゃめちゃとれたから、と。それぐらい数字があったんですよね、当時は。
ちなみにその番組は、スタジオで食べてくださいというオファーだったんですが、僕は大会が近かったので「すみません、食べるんだったら出ません」って断ったんです。結局僕の代わりに白田が出たんですけどね(笑)。「俺で数字とったって言ったのになんで白田が出るの?」って思ったら、白田の食べるシーンも高視聴率だったようで。僕が出ようが白田が出ようがどっちでもよかったのかな(笑)。
「大食いタレントのイメージがつくんじゃないか」抱えていた葛藤
――大会までの準備期間に入ると、それくらいストイックになるんですね……。
小林 そうですね。今はもっと余裕ありますけど、あのときは本当に勝つことが大事だと思ってたので。結局勝つことだけが自分の強いボイスになる、発言力が上がると。あとやっぱりアスリートでいたいという気持ちが強いから、あまりバラエティのほうに寄っていっちゃうと、大食いのタレントのイメージがつくんじゃないかという怖さがありました。
――自分は大食いタレントではないと。
小林 そうですね……。アスリートというイメージで出れるものだったら全然出たかったですよ。スポーツ関係の番組とか、ドキュメンタリーとしてちゃんと話せるものだったら。ただやっぱりバラエティが多かったですね、オファーは。
フードファイターは持って生まれた才能なのか?
――フードファイターって、持って生まれた才能なのか、あとから努力でなれるものなのか、ご自身的にはどう思われますか。
小林 あとからでもいけると思いますけどね。白田は7、8割ぐらい才能だって言うんですよ。それはそうでしょう、あいつでかいし(笑)。でも僕はそう思っていないんです。僕は高校生のときに野球部で、体を大きくするために食べたくないのに食べる、無理に食べなきゃいけないような状況が続く中で少しずつ胃の容量が増えていったと思うんです。
「バケモノ覚醒させたの俺か!」
――小林さんは大食いに頭脳戦を持ち込んだって言われてますよね。その部分も大きいですか、フードファイターにとっては。
小林 白田が言うように「才能」であるのなら、体の大きい人は1つの才能としてすごくいいアドバンテージになっているわけですよ。そこに勝つためにはもう総合力しかないので、自分にないものを諦めて、それ以外のところを伸ばしていくしかない。それが戦略だったり、大会前の調整の仕方だったり、勝負に挑むメンタルだったり、そういう部分を集めて、結果的に勝てればいいかなと思っていました。
白田が出てきたとき、僕は彼をバケモノだと思ったんですよ。彼のデビュー戦を僕は解説者として見ていたんですけど、底力があるはずなのに解放しきれていなかった。こいつは絶対化けたらでかいなと思っていました。
この間、白田と一緒に飲んでいたときに、白田がぽつんと言ったんです。「俺のデビュー戦のとき、尊来てくれたじゃん。あのときに、優勝した射手矢(侑大)じゃなくて、『(強いのは)白田だ』って言ってくれたでしょ。俺、あれすごい感動したんだよ」って。それを言われたときに「あ、バケモノ覚醒させたの俺か!」って思いました(笑)。
――たとえば野球選手になりたいと思ったらその教科書みたいなものがありますが、フードファイターって指南するものがほとんどないですよね。
小林 ないですね。あの当時は本当にもう試行錯誤でした。白田と僕でトレーニング方法を話し合ったってこと、ほとんどないですもん。白田にまねされたらすぐ負けると思っていましたから(笑)。体の大きさに合ったトレーニングの方法も自分で発見して、結果に結び付けていくことも大食いファイターの強さだと思っていたので。
今はある程度のトレーニングはみんな確立し始めているから、シェアするタイミングなのかも分からないですけど、あのときは自分でトレーニング法を見つけることも大事なことでした。だから、あまり僕も聞かないし、聞かれたこともなかったです。
――試行錯誤して手に入れたものですし。
小林 僕らの前の世代、赤阪(尊子)さんとか新井(和響)さんたちの第1世代は、わりとしゃべってくれるんですよ。ただ、トレーニング方法がかなり違っていて。食生活の延長線上のトレーニングなんです。なので、いつでも“オン”なんですよね。いつ番組に呼ばれても、いつ大食いしてくださいと言われても、いつでも食べられる。
一方僕や白田の時代は、試合に向けてピークをつくっていって、試合が終わると休むというような流れなので、トレーニングの仕方、調整の仕方が違うんです。なので、先輩のアドバイスを基礎としながら、自分なりに今風に変えてやっていた感じですね。
――お話を伺っていると、白田さんと小林さんはタイプが真逆なはずなのに本当に仲がいいんですね。
小林 ねえ(笑)。やっぱりそれってお互いのリスペクトがあるんだと思う。白田のすごさもやっぱりあって、僕のすごさを白田も分かってくれている。
あともう1つあるとしたら、同じ時代にツートップとしてテレビで持ち上げられて、自分たちの立場を理解しながら、お互いフードファイトを改革していこうねという意識が2人ともありました。対戦者としてはライバルなんだけど、業界を大きくしていくという意味では仲間なんですよ。
今でも会うと「単なる大学生がテレビ局のプロデューサーとかディレクターにちょっとわがまま言いすぎたよね」って笑って話してます。
SNS時代にフードファイターたちはどう「食べる」べきか
――現在の大食い業界を小林さんはどういうふうにご覧になっているのでしょうか。
小林 大きなメディアに全部頼りきりではなく、自分自身が発信できるチャンネルを持てるというのは今のフードファイターたちにとってすごくいいことだと思うんです。自分のチャンネルを持っているということは、自分にその軸とコントロールがあるということ。
よく後輩に話すのは「どの番組、どのプラットフォームに出ても、忘れちゃいけないのは、大食いはあなた自身がコンテンツだよ」と。あなたがたくさん食べることがコンテンツなんだから、自信を持ってやっていかないといけない。だからほかのプラットフォームに行ったときに個性を薄めすぎないでほしい。それがフードファイターたちの魅力にもなるし、業界の力にもなると思うんです。
――もし2000年にYouTubeがあったら、小林さんはどうしてたでしょう。
小林 そうですね。もっと発信できていたら、テレビ局との揉め事も少なくなってたかも。もうちょっと助けを待てたでしょうし、ファンのサポートをもっと身近に感じたでしょうし、アメリカでのあれこれももっと違った動きがあったのかもしれないですね。
だから引退したこれからは、そういったものも駆使しながら、日本でもっと若い世代が活躍できるような大会をつくりたいです。自分が今まで経験したものを選手の立場になって大会に落とし込めたら、いい大会になっていくんじゃないかって。選手がやりやすくて、やる気の出る大会に。
――最後に……小林さんが一番好きな食べ物ってなんですか?
小林 一番かぁ。むずかしいですね。好きなのは……ヨーグルトと豆腐が好きですね。
――意外! ヨーグルトとお豆腐。
小林 子供のころからの好き嫌いっていうのはだいぶ変わったんですけど、20代くらいからはずっとその2つが好きで。ずっと食べてますね。
撮影=三宅史郎/文藝春秋
(西澤 千央)
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