吹き込む汚物、逆流するトイレ…「閉じ込め事件」を乗り越えた列車とトイレの“150年事件簿”
文春オンライン / 2025年1月13日 6時0分
東海道新幹線に女性専用トイレが誕生した今日この頃。列車とトイレの関係は、この150年で変化し続けてきた ©︎文藝春秋
〈 《東海道新幹線に女性専用トイレが誕生》いつから列車にトイレはついた?意外に最近な“そのまま車外にポイ”時代 〉から続く
150年以上の歴史がある日本の鉄道。しかし、誕生当初は列車にトイレは設けられておらず、また、設けられるようになっても、排泄物をすべて車外にそのまま捨ててしまう時代が約50年も続いていた。
まだ肥だめなども珍しくなかった20世紀半ば、世の中的にも大きな問題になることはなかった。そんなある日、ついにある「事件」がおこる。
◆◆◆
排泄物をめぐる衝撃の実験結果。「窓を開けていると駅弁に…」
戦後間もない1951年に雑誌『文藝春秋』に「列車糞尿譚」なる一文が掲載されて話題を呼ぶ。
岡芳包という徳島大医学部の教授によるもので、岡教授が行なった実験結果がまとめられていた。その実験とは、トイレから赤インクを落とし、地上や列車内に置いた濾紙にどれだけ赤インクが付着しているかを調べたものだ。言い換えれば、排泄物がどれだけ飛び散るかを調べた実験である。
その結果は、なかなかに衝撃的。列車がトンネルや橋を走行しているとき、また対向の列車とすれ違うときは、排泄物が風圧で舞いあがって窓を開けた車内に飛び込んできていたのだ。
岡教授は、「列車糞尿譚」の中で列車に乗って景色を眺めているとき、汚物が口や目鼻に飛び込んできている可能性は高い、などと書いている。ちょうど弁当などを広げていたら、その中にもきっと……。
同様の実験はその後も繰り返され、同時に日本人の衛生観念も向上。さすがに不衛生でよろしくないのでは、という意見が広まってゆく。労働組合が『国鉄糞尿譚』なる冊子を制作して排泄物に塗れた保線仕事の苦労を訴えたのも効果的だったようだ
技術的な問題もあって、さすがにすぐとはいかなかったものの、新幹線や特急列車から少しずつたれ流しは廃止されてゆく。
なお、たれ流しが完全に消えたのは21世紀になってから。かつては、誤ってお札を落としてしまって次の駅で降りて拾いに戻ったとか、修学旅行の女子学生がトイレで出産し、線路の上で赤ちゃんが泣いているのが見つかったとか、そういう事件も起こっている。
開業直後の新幹線で頻発した「トイレ閉じ込め事件」
1964年に開業した東海道新幹線は、すべてのトイレの下に汚物を溜めるタンクが設けられていた。さすがに夢の超特急が排泄物をたれ流して走るわけにはいかない、というわけだ。
当時、世界的に見ても汚物タンク付きの鉄道車両はほとんどなかった。新幹線は、スピードだけでなくトイレも世界最先端だったのだ。
そんな夢の超特急のトイレだが、なんと開業直後は閉じ込め事件が頻発していたという。
新幹線の車両は高速で走ることから、トンネルに入るときなどに耳がツンと痛くならないよう、気密構造になっていた。ところが、当初の設計ではトイレを含むデッキ部分は気密構造の対象外。
そのため、トイレに入ったタイミングが悪いと、車外と車内の気圧差からトイレの扉が開かなくなってしまう、などということがあったのだ。最悪の場合、タンクの中から汚物が逆流することも。
結局、ほどなく車両の修繕が施されてこうした問題は解消されている。とはいえ、いまほどは気軽に乗れなかった夢の新幹線。おお、トイレも最新鋭だな、などと思って用を足そうとしたら閉じ込められて、あげくに汚物が逆流してきたら……。せっかくの旅の思い出も、汚れたものになってしまったに違いない。
トイレ閉じ込め問題はそれ以前にもあったようだ。理由は気圧ではなく設備の老朽化。戦前、作家の谷崎潤一郎は、雑誌『文藝春秋』に次のようなエピソードを残している。
閉じ込め事件の意外な原因「以来、トイレの扉をそうっと閉めるように…」
知り合いの編集者が列車のトイレに入り、勢いよく扉を閉めたら握りの金具(取っ手)が弾みで脱落し、出られなくなってしまった。落ちた取っ手でコツコツと中からノックし続けたところ、他の乗客に気がついてもらえて助かった……。
この話を聞いてから、谷崎潤一郎もトイレの扉をそうっと閉めるようにしたそうだ。ボタンを押せば引き戸タイプの扉が自動で閉まるいまのトイレなら、谷崎のような心配をする必要もなさそうだ。古い車両の古いトイレのときには皆様もご用心。
と、こんなところだが、いずれにしてもいまの快適な新幹線のトイレも、一夜にして実現したわけではない、ということはなんとなく分かっていただけたのではなかろうか。
ちなみに、東海道新幹線に登場して話題の女性専用トイレ。すでに東北新幹線や上越新幹線、北陸新幹線などには導入済みだ。
ついでにいうと、洋式トイレも東海道はやや遅れている。東北新幹線などは1990年代前半には和式から洋式へとシフトチェンジ。ところが、東海道新幹線は洋式と和式のいずれもを設置し続けている。
男性ビジネスマンの利用が中心で、和式に馴染んでいる人が多いから、と当時は理由を説明していた。なんだか、女性専用トイレの導入が遅くなったのと共通している背景があるようだ。
とはいえ、新幹線にしろ特急にしろ、スペースに限りがある中でここまで快適なトイレに進化させてきてくれたのは、鉄道会社をはじめとする先人たちの努力のおかげ。ヘンな使い方なんて決してせずに、次の人のことも考えて、トイレはキレイに使いましょう。
◆◆◆
(鼠入 昌史)
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