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「これが娘との最後になるなんて」妻と別れて7年後、娘は殺された…判断を間違えた父親の後悔(2016年の事件)

文春オンライン / 2025年1月19日 17時0分

「これが娘との最後になるなんて」妻と別れて7年後、娘は殺された…判断を間違えた父親の後悔(2016年の事件)

なぜ最愛の娘は元妻に殺されたのか…? 写真はイメージ ©getty

〈 急に金髪にしたり、ありもしない浮気に激怒したことも…40歳・シングルマザーが娘を殺害するまでに見せた「奇行の数々」(2016年の事件) 〉から続く

「月一で会わせるって言うんですよ。それを私は鵜呑みにしてしまいました」

 離婚調停によって、娘の親権を失った阿部康祐さん。妄想性障害を抱えた元妻に娘を預けてしまったことを、今も深く後悔する理由とは…。ノンフィクションライターの高木瑞穂氏の新刊『 殺人の追憶 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全4回の3回目/ 最初 から読む)

◆◆◆

親子が引き裂かれた離婚調停

 康祐と朋美は、康祐が窃盗事件を起こした直後に別居した。美咲さんはどちらが預かるのか。

 二人のなかでかなりの綱引きがあったが、頑として譲らない朋美が実家に連れて帰った。

 二人は別居から1年後に離婚。康祐から離婚を申し出たという。

 朋美を「自分が守ってあげるしかない」と固く決意していたとしても、これまでの経緯からすれば仕方がないことに思えた。その点を康祐に問うとこんな答えが返ってきた。

「もう自分は限界なんだ、と。また犯罪を犯すくらいなら、離婚したほうがマシだろう、と。自分には、とにかく美咲を守らなきゃいけないという気持ちが強くありました。それで離婚調停を起こしたんですよ」

 この離婚調停が意味するものは、別居以来、康祐は美咲さんと会っていない――会わせてもらっていない――ことだった。“普通”の母親なら諦めることもできたが、朋美では“危ない”と感じていた。定期的に会って様子を見ることが極めて重要だと考えていた。

 そのためにはどうしたらいいのか。康祐はすぐさま面会交流調停を申し立てた。美咲さんの親権をめぐり朋美と争ったのだ。親権さえ勝ち取れば、娘を守ることができる。だからこその発想だった。

 これを受けて朋美は、弁護士と相談した上でこんな提案をしてきたのだった。

「月一で美咲に会わせるって言うんですよ。それを私は鵜呑みにしてしまいました」

 月1回でも会えるのなら、朋美と娘の生活状況を知ることができる。体に虐待の形跡があれば、改めて親権者変更の申し立てをすればいい――康祐は悔しさを滲ませながら親権を放棄し実家に帰ったときの経緯を語った。

 約束は当然のように破られた。端からそのつもりだったのか、朋美は離婚調停を済ませるとすぐに娘を連れて居を移した。

 事実、娘に会えたのは、離婚調停中に持ち出すのを忘れていた私物を取りに帰ったとき一度だけで、その後は移転先すら知らせてもらっていない。

娘との最後のふれあい

「2009年3月22日のことです。当時2歳の美咲から遊ぼう、遊ぼう、って言われて、“高い高い”をしてあげて……」

 これが娘との最後になるなんて。過去を振り返り大きく息をついた康祐は、やりきれぬ思いでいる。

 そのとき撮ったという写真を見ると、疲れ切って、でも、どこか嬉しそうに目を閉じる美咲さんの寝顔がまず目に入る。もう二度と会えないかもしれない。そんな予感がして、咄嗟にシャッターボタンを押したのだという。康祐にとっても、美咲さんにとっても幸せな時間だったのでは、と想像する。

 約束を反故にする兆候がまったくなかったわけではなかった。直後に朋美は、こんな捨て台詞を吐いて康祐を家から追い出していたからだ。

「この子は学習院に入れます。立派に育ててみせます」

 康祐は統合失調症と戦いながらも、愛娘の身を案じ続けた。行動にも移し、探偵まで雇い移転先を突き止めようとする日々だった。

〈 「こんな施設に娘を任せておけない」シングルマザーはなぜ9歳の娘を殺害したのか? 事件のトリガーになった「ある児童ワイセツ事件」(2016年の事件) 〉へ続く

(高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載))

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