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“母親の彼氏”から受けた性虐待を公表、母は泣きながら「何も知らなかった」と…小5で性被害に遭った24歳女性が、それでも親を恨まなかったワケ

文春オンライン / 2025年1月18日 11時0分

“母親の彼氏”から受けた性虐待を公表、母は泣きながら「何も知らなかった」と…小5で性被害に遭った24歳女性が、それでも親を恨まなかったワケ

小学5年生のときに性的虐待を受けた橋本なずなさん ©山元茂樹/文藝春秋

〈 「コタツの中で強引に足を広げられて、無理やり…」小5で“母親の彼氏”から“おぞましい性虐待”を受けた24歳女性が明かす、性被害のトラウマ 〉から続く

 小学5年生のときに、母親の交際相手から性的虐待を受けた橋本なずなさん(24)。幼い頃に“おぞましい被害”に遭った彼女は、成人後もトラウマやフラッシュバックに苦しめられ、2度の自殺未遂を経験しているという。

 現在は「性犯罪が少なくなる社会」を目指して自身の過去を赤裸々に発信し、性的虐待の実態を伝えている。橋本さんはどのように自身の“心の傷”と向き合ってきたのか。日本の性被害の実情にどんな思いを抱いているのか。話を聞いた。(全3回の3回目/ 1回目 から読む)

◆◆◆

性的虐待を受けたことを、母に知ってほしかった

――性的虐待を受けたことを母親に言わなかったそうですが、打ち明けたのは大人になってからですか。

橋本なずなさん(以下、橋本) 母が初めて知ったのはおそらく、2021年、私の記事がニューヨーク・タイムズに掲載されたときです。母の目にも入ることを承知のうえで取材を受けました。

 心のどこかで、性的虐待を受けたことを母に知ってほしかったんだと思います。でも、自分から改めて伝えられなくて。ニューヨーク・タイムズの取材がいい機会でした。

――その記事を見て、母親はどんな反応を。

橋本 記事を見た母から、何かを言われることはありませんでした。その後もいくつかのメディアに取材してもらって、そのたびに性的虐待の話をしたんですけど、それでも母はその話題に触れなかった。

 でも、あるテレビの取材を受けているときに、母も同席していて、記者の方から性的虐待の話を聞かれたんです。そこで初めて、カメラの前で母の気持ちを聞けました。

「私は何も知らなくて、守ってあげられなかった。申し訳ない」

――何と言っていたのですか?

橋本 「私は何も知らなくて、守ってあげられなかった。申し訳ない」と言ってましたね。でも、その取材のあとに改めて「あのときはごめんね」と言われることもなく。

――カメラの前ではなく、2人でいるときに言ってほしかった?

橋本 正直、それはありますね。ニューヨーク・タイムズの記事を見たときに、母からの言葉がほしかった。でも何も言われなかったから、落胆が大きかったです。

――もともと、どのような母子関係だったのですか。

橋本 母に恋愛相談できるくらいには仲良しでした。性的虐待を受けたあとも「お母さんのせいだ」と恨むようなこともなく。母はとても優秀な人で、私の憧れでしたし、大好きで尊敬もしてました。

 それに、父と兄がいなくなり、祖父母とも絶縁状態だったから、私たちは2人で支え合って生きていくしかなかった。親子の心理的な結束力が強かったんです。ただ、その気持ちが強すぎた部分もあるかなとは思います。

「私、お母さんの恋人から性的虐待を受けてるんだよ」と泣きながら伝えたワケ

――その後、性的虐待について母親と話したことは?

橋本 取材のとき以外で、初めて母と性的虐待の話をしたのは、2022年頃でした。母の新しいパートナーが家に来るときに、少しの間だけ、私とそのパートナーが2人きりにならないといけなくなって。母に「彼と2人きりになってしまうけど大丈夫?」って聞かれたんです。

 その言葉がトリガーになって、「私、過去にお母さんの恋人から性的虐待を受けてるんだよ。わかってるよね。それなのになんで、恋人と2人きりにできるの?」と泣きながら伝えました。

 そしたら母も泣きながら「ごめんね」って。カメラの前以外で母が謝ったのは、そのときが初めてでしたね。

2024年1月に母親のくも膜下出血が発覚

――昨年、母親がくも膜下出血で亡くなったそうですね。

橋本 母が倒れたのは、2024年1月17日でした。私は前日の16日に、ひとりで淀屋橋のホテルに泊まっていたんです。翌朝チェックアウトして、11時くらいに家に帰ったら、家の鍵が閉まっていて。開けてもらおうと思って母に電話したら、「あっ、あっ」という声しか出さなかったんですよね。

 最初は「寝ぼけているのかな」と思ったんですけど、10分待っても母が鍵を開けてくれる気配がなかったので、改めて電話して「何しているの?」と伝えたら、ドタドタッと階段を転がり落ちるような音が聞こえて、ドアの鍵が空いたんです。

 大丈夫かなと思ってドアを開けたら、顔面蒼白の母がいました。変な臭いもして、それはあとからわかったんですけど、失禁していて。

――それから、どうしたのですか。

橋本 「どうしたの? 大丈夫?」と聞いたら、母が「寒い、寒い」「頭も痛い」って言ったんです。でも特に目立った外傷はないから、最初は精神的な病気なのかなと思って。

 一旦、部屋のソファに座らせて話を聞こうと思ったんですけど、ずっと「寒い」と言っていて、「お風呂に入りたい」とも言い出したから、母をお風呂に入れて、その間に精神科のある病院に電話しました。

 そこで母の状態を伝えたら、「救急車を呼んだほうがいいかもしれない」と言われたので、すぐに救急車を呼んで。救急搬送された病院で、くも膜下出血と診断されました。

「脳死状態になってしまい…」病院に運ばれてから約1週間で他界

――その後、すぐに手術をして。

橋本 検査をした翌日に手術をして、成功したんです。でも、そのあと脳梗塞になってしまって。そこから脳死状態になってしまい、病院に運ばれてから約1週間で亡くなってしまいました。

 母の容態が毎日変わるような状況だったので、休む間もなく。あっという間でしたね。

――気持ちの整理ができなかったのでは。

橋本 当時は、母の死に対する現実感が湧かなかったというか、これから永遠に会えなくなる、というのを理解できなかった。

 もちろん、目の前でまばたきもせず、手も握り返してくれない母が「死んだ」というのは分かっていたんですけど。母がこの世からいなくなったのを本当の意味で実感したのは、最近のことです。

母親と、人生をかけて性的虐待について話し合っていきたかった

――約1年経って、今は母親の死とどのように向き合っていますか。

橋本 今も、心にぽっかりと穴が空いている感じですね。これから人生をかけて、私が受けた性的虐待について話し合っていきたいと思っていたんです。

 母とは仲が良かったし、彼女を恨む気持ちもないんですけど、お互いに「しこり」みたいなものはあって。それを取り除いて、「あのときはごめんね」ってお互いを許し合いたかった。でも、それができないまま亡くなってしまったので、母に置いていかれたような気持ちです。

 ただ、母がいなくなって、私にとっての「ブレーキ」がなくなった部分もあります。これまでメディアで自分の経験を赤裸々に話したり、書籍を出したりしてきたけど、母はそれを全肯定しているわけではなかったんです。だから私も、少し気を遣っていたところがあったんですけど。

 もう母はいないので、これからはメディアへの露出を増やして、自分の経験や思いを伝えていきたいと思っています。

「AVの世界みたいだね」メディアで発信したあと、誹謗中傷の被害に…

――これまでのご自身の発信には、どんな反響がありましたか?

橋本 「これまでよく頑張ったね」「強いね、勇敢だね」という声が多かったです。同じような経験をしている方からは、「被害にあったのが自分ひとりじゃないとわかって、救われました」と言っていただきました。

 一方で、母に対して批判的な言葉を浴びせる人もいて。関西のテレビで母と取材を受けたときに、「毒親」「なんで娘を守れなかったのに、この母親は笑っているの?」「こんな母親とは離れたほうがいい」とネットでコメントされたんです。

 そのコメントに対しては、すごくモヤモヤしています。「あなたたち、私のお母さんのこと何も知らへんやん」って。断片的な情報だけで、私と母の関係性を決めつけられるのがすごく嫌なんですよ。

――ご自身に対する誹謗中傷はありますか。

橋本 それもあります。一番ショックだったのは、私が母の恋人から性的虐待を受けたことを「AVの世界みたいだね」と表現されたことです。

 そういう設定のAVがあるんだろうけど、実際に被害に遭った人にそれを言える精神状態が怖いし、あまりにも配慮がなさすぎてゾッとしました。

「女性が誘ったんじゃないか」などと勝手に言い出す人も…

――ひどすぎますね。

橋本 性被害の報道もそうですけど、メディアが発信する情報は必ず削られている部分があるじゃないですか。その削られた情報の中に、被害者が「嫌だ」と言えなかった事情や、加害者に従わざるを得なかった状況、警察に被害届を出さなかった理由などがあったりする。

 そういう前提を理解したうえで情報を受け取らなきゃいけないのに、それをわかっていない人が多い。テレビやSNSなどの一面的な情報だけで知ったつもりになるのは、あまりにも短絡的すぎる。

 しかも、その情報だけを見て「女性が誘ったんじゃないか」「なんで家についていったんだ」「なんで抵抗しなかったんだ」「なんで警察に行かなかったんだ」と勝手に言い出す人もいて、意味がわからない。

 何を思うかは自由ですが、自分が何を発信するのか、被害者にどんな言葉を届けるのかは慎重に考えてほしい。今の時代を生きる人が、必ず持っておくべきネットリテラシーだと思います。

「なんでこんなにも刑が軽いのか」日本の性犯罪の刑罰に思うこと

――セカンドレイプへの理解も低いですよね。

橋本 低いですね。性被害や性的虐待の報道が増えているのはいいことですが、せっかく勇気を出して声をあげた当事者が非難されたり、心ない言葉にさらされてしまう。

 セカンドレイプやネットリテラシーについてもっとしつこく、多角的に発信しないと理解されないのかなと思います。「その発言はセカンドレイプですよ」「被害者にも事情があるんですよ。勝手に判断して発言したらダメですよ」って。

――性被害や性的虐待に関する報道が増える中で、「日本は性犯罪の刑罰が軽い」という声も増えています。

橋本 それは本当に思いますね。登校中の女子児童に性的暴行を加えた20歳の男性は、懲役6年6か月の判決でした。2歳の女児に性的虐待をした男性は懲役5年です。

 被害者は人としての尊厳を傷つけられ、一生もののトラウマを背負って生きていかなければいけないのに、なんでこんなにも刑が軽いのか、私には理解できない。

 個人的には、性犯罪を減らすために罪を重くすることも必要だと思うんです。刑罰が軽いことも、性犯罪が増えてしまっている要因ではないかと。

 そういった日本の現状を変えて、性犯罪の少ない社会を作るためにも、当事者である私自身が問題提起をして、行動していこうと思っています。

性被害者への支援や性加害者の更生支援なども必要

――今後は、どんな取り組みを?

橋本 私は、今の日本社会に納得していません。今お話しした性犯罪の刑罰もそうだし、性被害者への支援や性加害者の更生支援なども、もっと必要だと思っています。性犯罪の刑罰に関しては法律を変えないといけないので、自分が政治の世界に入るか、それともそういうムーブメントを起こすか。

 いずれにしろ、社会に一石を投じたいです。そのためにも今は、私自身の発信力や影響力を上げようと思っています。

――性被害者に伝えたいことはありますか。

橋本 まずは、生きていてくれてありがとう、と伝えたいです。性被害や性的虐待に遭うと、私自身もそうでしたが、感情がなくなってしまうんです。そして、生きることに無頓着になってしまう。それでもきちんと毎日息をして生活しているのは、本当に素晴らしいことなんです。

 あとは、私のような当事者が声を上げている姿を見て、「自分も何か行動しなきゃ」と思う必要はありません。声を上げたりするのは、できる人だけがやればいいので。とにかくあなたは生きてるだけで100点満点だし、とても強い人だと思います。

撮影=山元茂樹/文藝春秋

(「文春オンライン」編集部)

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