真野響子が明かす『男はつらいよ』秘録 渥美さんも涙ぐんだ“殿様”アラカンの名演
文春オンライン / 2025年1月21日 17時0分
真野響子(まやきょうこ)1952年、東京都生まれ。舞台『血の婚礼』でデビュー。映画『忍ぶ糸』、舞台『桜の園』、ドラマ『御宿かわせみ』『炎立つ』『ちゅらさん』『麒麟がくる』など出演多数。
〈 「寅さんは変わらないようで成長しているんです」栗原小巻が明かす『男はつらいよ』秘録 〉から続く
渥美清演じる車寅次郎は、柴又帝釈天門前の団子屋の倅だが、旅に明け暮れる風来坊。直情径行で迷惑事ばかり起こすが、困った人を捨ておけない。この男の破天荒な生き方になぜ惹かれるのだろうか。「男はつらいよ」シリーズ第1作公開から55年。マドンナ10人が語り直す寅さんの魅力。
第19作『男はつらいよ 寅次郎と殿様』(1977年)
◆ ◆ ◆
自信がなかったけど…現場全員がファミリーという感じでホッとした
私なんかで務まるかな……。この『寅次郎と殿様』への出演は、とにかく不安でした。前々作の『寅次郎夕焼け小焼け』は、私が所属していた劇団民藝の主宰者のひとり宇野重吉が孤独な日本画家を演じ、クールできっぷの良い芸者を太地喜和子さんが見事に表現した傑作でしたから。私はまだ劇団研究生で、舞台『桜の園』でアーニャ役を演じ、映画では『忍ぶ糸』くらいしか出演してなかった頃です。自信がなかったんです。
でも、いざ現場へ行くと、山田洋次監督は演技指導をしてくださって、すごく優しい。現場全員がファミリーという感じでホッとしたことを覚えています。
私自身、育った鎌倉で、お下げ髪の学生時代に笠智衆さんが撮影に向かわれるのに何度も出くわして、松竹大船撮影所は身近な存在でした。「ああ、ここの作品に出演できるんだ!」という喜びもひとしおでしたね。
今でも思い出して胸がいっぱいになる場面
私の役は愛媛県大洲市にある旧家の当主、“殿様”(嵐寛壽郎、愛称アラカン)の亡くなった末息子・克彦の嫁、鞠子です。彼女は一度も義父と会ったことがなく、亡夫の墓参りに大洲に来ているのですが、義父には会おうとしない。何やら事情がありそうだと匂わせたところで、宿屋で寅さんに出逢います。寅さんが鞠子を気遣い、「元気を出しな」と励ますでしょ。そこで「ハイ!」と返事をするのですが、自然で、迷わず正確な音で答えられた。その場面に応じて最適なセリフの音階があるんです。そこは緊張していた撮影序盤でしたから、我ながら嬉しい場面でした。
それから舞台は東京へ。鞠子に一目会いたいアラカンさんが上京し、初めてとらやの座敷で鞠子と顔を合わせます。今更、会って何を言えばいいか戸惑う鞠子へ「鞠子さん、克彦が大変お世話になりました」と挨拶する。そこから涙を拭き間をおいて、「一目お会いした時から私にはよくわかりました。あなたが傍にいてくださって、克彦はどんなに幸せで」と。この場面、私は台本を読んだ時から涙が止まりませんでした。本番中、言葉を詰まらせて泣き始めたアラカンさんの名演に誘われ、倍賞さん、渥美さんまでも涙ぐみました。今でもあの場面を思い出して胸がいっぱいになります。
続く夕暮れの江戸川土手をアラカンさんの腕を取って歩き去るまで充実したフィルムが続きます。その丸まった背中を見れば、この映画の主役はアラカンさん以外いない。サイレント期を通じて『鞍馬天狗』などで日本中を虜にした大スター、アラカンさん以外にね。
この映画でもう一人、忘れられないのは義兄役の平田昭彦さんです。鞠子が遺産目当てに現れたと邪推して、手切れ金をさくらさんに預けるいけ好かない金持ち男にも関わらず、平田さんが演じると妙にこれがカッコいい(笑)。スクリーン上で相対することはなかったんですが、大森付近の港湾会社で働く鞠子を演じる上ですごく刺激になりました。
喜劇の中の残酷、悲喜劇の極みのシーン
映画は最後の最後、ラスト8分で寅さんの失恋が決まる。殿様に鞠子をよろしくと手紙をもらった寅さんはすっかり浮かれ気分。さくらさんが彼女の気持ちを訊くと、好きな人がいて再婚しようと決めたという。失意の寅さんが2階へ引っ込む際も、彼女は「どうして急に具合が悪くなったの?」と、さくらさんに訊くでしょう。何の屈託もなく。あれは喜劇の中の残酷、悲喜劇の極みですね。それこそが山田監督が描く『男はつらいよ』の素顔、いまも私たちを魅了する秘密でもあると思います。
寅次郎とさくらという腹違いの兄妹、育ての親の叔父叔母。互いに分かり合えているつもりでも、すれ違ってしまう。分かって欲しいと期待するから、裏切られたと孤独を感じるんですね。みんなが集まるとらやの茶の間のシーンでは、一人を立てるために、全員が息をとめて待つ。相手を引き立てる絶妙な受けの芝居があるから、互いが細い線で繋がっていることを喜劇として表現できるんですね。
『寅次郎と殿様』の思い出を語るときりがありませんが、これからご覧になる方に一つお楽しみがあります。本作には若き日の寺尾聰さんが出ていて、クスッと笑える名演技が観られます(笑)。冒頭からラストまで文字通り笑いと涙で彩られた作品に出られたことは、今も私の誇りです。
〈 「お前、それでいいのかい?」寅さんと人生の岐路で出逢った…伊藤蘭が明かす『男はつらいよ』秘録 〉へ続く
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年1月2日・9日号)
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