「お前、それでいいのかい?」寅さんと人生の岐路で出逢った…伊藤蘭が明かす『男はつらいよ』秘録
文春オンライン / 2025年1月21日 17時0分
伊藤蘭(いとうらん)1955年、東京都生まれ。73年、キャンディーズのメンバーとしてデビュー。解散後、80年代からは俳優として活躍。出演作に映画『ヒポクラテスたち』『少年H』など。
〈 真野響子が明かす『男はつらいよ』秘録 渥美さんも涙ぐんだ“殿様”アラカンの名演 〉から続く
渥美清演じる車寅次郎は、柴又帝釈天門前の団子屋の倅だが、旅に明け暮れる風来坊。直情径行で迷惑事ばかり起こすが、困った人を捨ておけない。この男の破天荒な生き方になぜ惹かれるのだろうか。「男はつらいよ」シリーズ第1作公開から55年。マドンナ10人が語り直す寅さんの魅力。
第26作『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』(1980年)
◆ ◆ ◆
普通の女性を演じられたことがとっても嬉しかった
『寅次郎かもめ歌』で、私は、寅さんの友達である父と死別したすみれを演じました。出演をオファーされたときは驚きましたし、嬉しかったですね。でも、松竹の人気シリーズのマドンナ役は大女優さんが務めるものだと思ってましたから、「やっぱり間違いでした……」なんて電話がかかってくるんじゃないかと思うと気が気ではなかったです(笑)。
台本を読むと、すみれは複雑な女の子でした。母は3歳の時に失踪、中学を出て札幌や函館に働きに出たけどうまくいかない。郷里の奥尻島に帰ってテキ屋の父と暮らすけど折り合いの悪いままに死別してしまう。そんな矢先、漁協で働いているところへ寅さんがやって来ます。これが撮影の初日でした。飴を舐めながら、ちょっと斜に構えて父の友人だという寅さんを迎える。岬のお墓、積石塚で手を合わせる寅さんを、ちょっと手持ち無沙汰でつまらなそうな表情で見ている。ここのシーンは好きですね。亡父との距離感、これからの不安など心象風景が詰まっていて。寒々しい場の雰囲気にも演技を助けられました。屈託を抱え、思うに任せない女性は、私にとって演じ甲斐のある役どころだったんです。
というのも、当時の私はキャンディーズのランのイメージを裏切りたい、等身大の自分を自然に表現したいと感じていた頃でした。だから、80年3月の東芝日曜劇場『春のささやき』(脚本・市川森一)で、北海道小樽・塩谷駅近くにある食堂で働く伸子、彼女は恋人とうまくいっていなくて……という普通の女性を演じられたことが、とっても嬉しかったんです。偶然にもすみれの故郷が北海道で、しかも自分の居場所を見つけようともがく女性だったので、スウッと役に入り込むことが出来ました。
山田監督は、未熟なりに一生懸命だった私をただ見守ってくださって、本当に有り難かったですね。
渥美さんは終始優しかった。ご体調がよくなかったこともあったのでしょう、奥尻島のフェリーでは「蘭ちゃんも横になったほうがいいよ」なんて声をかけてくれたり。すみれと寅さんが、泊まった旅館で打ち解けてきて、別れ際、「とらやを訪ねてけ」と言うでしょう? 渡されたマッチ箱に「葛飾柴又帝釈天」と書いてあるけど、すみれは読めない。そこを寅さんが教える場面は渥美さんの演技の真骨頂だと思います。頼りなげな私が心配で心配で仕方なく、階段を駆け下りて追いかけていくまで本当にユーモアいっぱいでした。
私の人生の岐路で出逢ったのがこの作品
上京して定時制高校を受験する時、さくらさんや博さんに勉強を教わる場面がありました。そこでの渥美さんの冗談も面白くて、つい本気で吹き出したりもしました。
撮影を終える頃、渥美さんが「ぼくは蘭さんの仕事をこれからも見ていきますよ」と仰ってくれて。翌年に夢の遊眠社公演『少年狩り』を観に来て下さった時には感激でした!
思えば、ほとんど出ずっぱりで演技が出来た映画だったんですね。寅さんと一緒に柴又に来た最初の場面では、寅さんを誘拐犯と間違えた巡査(米倉斉加年)に食ってかかったり、定時制高校では光石研さん、田中美佐子さんと一緒に先生役の松村達雄さんにときめいたり、地元の恋人・貞夫(村田雄浩)に恋心をぶつけたりと、様々な感情を演じさせてもらえました。とらやでの合格祝いの席で江差追分を歌うシーンも、親しい家族の空気を三崎千恵子さんや下條正巳さん、太宰久雄さんが醸してくれたので自然に声を出すことが出来たんです。
なかでも生き別れた母(園佳也子)との再会シーンは最もボルテージの高い場面ですが、撮影はぶっつけ本番でした。とらやを訪ねてきた園さんは完全に役に入っていて、そのお陰で私は悲しい怒りをぶつけられたし、倍賞さんのフォローで園さんを追いかけて寄り添うことが出来ました。本当に共演者の皆さんには感謝の想いでいっぱいです。
「『寅次郎かもめ歌』を観たけど、良かったです」。そう言ってくれたのは後に夫となる水谷豊です。歌の世界から退いて、未知だった演技の仕事へ踏み出し、期待と不安と緊張に満ちていたあの頃の大切な一作。私の人生の岐路で出逢ったのが、この作品だったのかもしれませんね。
受験に気後れして橋の上で立ち止まったすみれに、寅さんが「お前、それでいいのかい?」と諭すシーンがあります。素顔の私も同じように励ましを受けて前に進めた気がするんです。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年1月2日・9日号)
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