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「わたし、とらちゃんの嫁ッコになる」という一言で動揺させ…榊原るみが明かした『男はつらいよ』秘話

文春オンライン / 2025年1月22日 17時0分

「わたし、とらちゃんの嫁ッコになる」という一言で動揺させ…榊原るみが明かした『男はつらいよ』秘話

榊原るみ(さかきばらるみ)1951年、東京都生まれ。ドラマ『帰ってきたウルトラマン』『気になる嫁さん』などで人気を博す。出演作に映画『望郷』『ひとりね』『クロスロード』『台風家族』など。

〈 「お前、それでいいのかい?」寅さんと人生の岐路で出逢った…伊藤蘭が明かす『男はつらいよ』秘録 〉から続く

 渥美清演じる車寅次郎は、柴又帝釈天門前の団子屋の倅だが、旅に明け暮れる風来坊。直情径行で迷惑事ばかり起こすが、困った人を捨ておけない。この男の破天荒な生き方になぜ惹かれるのだろうか。「男はつらいよ」シリーズ第1作公開から55年。マドンナ10人が語り直す寅さんの魅力。

第7作『男はつらいよ 奮闘篇』(1971年)

◆ ◆ ◆

難しいテーマなのに、20歳そこそこの私は「ワーッ」と飛び込んだ

「そういえばるみちゃん、あの田中邦衛さんとのシーンでさ……」

 先日、お目にかかった山田監督が、不意にこう仰ったんです。すると私、「先生、無精髭ほうがらかして、見たくねきゃあ」と自然に口をついて言葉が出た。邦衛さん扮する小学校の教師、福士先生へ言ったセリフ。半世紀以上も経っているのに。当時は、デビュー間もなくて、演技の「え」の字も知らなかった。これは、そのくらい記憶に残っている作品です。

『奮闘篇』の冒頭、集団就職で上京する学生が撮られてますね。地方の若者が都会に働きに出るという、製作された1971年の日本が記録されている。そのなかで、青森県西津軽郡驫木(とどろき)から出て来た花子=私の物語が始まります。花子は軽度の知的障害を抱え、紡績工場や飲み屋で働く女性です。彼女は静岡県沼津の町中華屋で寅さんと出会うんですが、従来のマドンナと違い、疑似兄妹的な雰囲気で描かれます。そういう難しいテーマなのに、20歳そこそこの私は「ワーッ」と飛び込んじゃったんです。監督と面接しても内心、「寅さんって何?」ってくらいの怖いもの知らず。でもそんな白紙の状態が花子そのものだったのかもしれない。監督は芝居っ気なしの演技を求めるので、何も出来ない私には丁度よかったのかも(笑)。

方言のマジックに驚いた

 花子の脚本上のバックボーンは教えてもらいましたが、役作りで大きかったのは方言指導を受けたことですね。津軽弁を喋るだけで実在感が増したんです。うまく喋ってる自信はなかったけれど、方言のマジックには自分でも驚いていました。その花子登場のシーンで、ラーメンを啜って口元にネギがくっついてる。そこは監督がお箸でつけてくれました。観客に花子という人物にさらに注意を向けさせるための細かい演出です。その後、お勘定でモタモタして店主が両替に出ていきます。店主役に柳家小さん師匠が俳優として出てらして。私と一緒に緊張されてました。短い場面でしたけど、味わいのある演技でした。

 沼津駅から汽車で東京へ向かう場面、花子が柴又の住所を「かしつか、柴又」と答えてしまい、寅さんにメモをもらうところ。ご覧になった方から“自然な熱演”と仰って頂けてますけど、あくまで天然の私を渥美さんがフォローして下さったお陰です。その前に交番でゴタゴタしてるシーンで、寅次郎=渥美さんが熱心に助けてくれるでしょう? もうそこから自然に私の心はグッと掴まれていたんです。とにかくカメラが回ってない時は物静かでジェントルマンの渥美さんでしたが、花子の目の前に立つと、それは寅さんなんです。だから相当、体力を使う芝居だなと察しました。あれほど丹精込めて演技をする俳優さんは稀だと思います。普段の静けさと相まって、本当に頼り甲斐のある空気が広がりました。

昭和の象徴が映画の中で永遠の命を授けられている

 難しかったのは、ホームの階段を上っていく花子が寅さんを振り返るところ。監督から「それだと都会の子みたいだから、もっと不格好に上って」と注意されて。私なりに背中で哀れさを出しながら上っても、うまくいかないから、監督が「抱えたミカンを落っことそう」と。これがまた監督のイメージ通りにミカンが転がってくれないんですよ(笑)。まるでミカンにキューを出すみたいになって。でも、撮影の高羽哲夫さんたちに支えられてOKまで行けました。

 映画の花子は周囲に見守られて幸せになっていくわけですが、演じる私も山田監督やスタッフ、渥美さんや森川信さん、三崎千恵子さん、前田吟さんに倍賞千恵子さんに助けてもらえました。とらやの賑やかな場面、あれは舞台劇なんです。アドリブも極力なくて何度もリハーサルをやって。皆さんはヘトヘトなのに私だけ元気なのが申し訳なかったです!

「わたし、とらちゃんの嫁ッコになる」という一言で柴又中を動揺させたまま、花子は先生と津軽に帰ります。本当に邦衛さんと夜行列車に乗って青森へ向かったんですよ。時代を感じますよね。

 寅さんが紛らわしい遺書みたいな手紙を出したから、さくらさんが驫木までやって来る。そこで用務員として働く私と再会するんですが、冬の岩木山山麓の寒さは厳しかった。あの町並み、木造校舎も、先生や花子も今となっては遠い昭和の象徴ですが、『奮闘篇』という映画で永遠の命を授けられているのでしょうね。

〈 監督のOKが出ずに20テイク…いしだあゆみが苦労した寅さんとの「大人の恋」 〉へ続く

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年1月2日・9日号)

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