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「お姉ちゃん行きま~す」とライブ前に電話で…中山忍(52)に姉・中山美穂がかけた“大切な言葉”

文春オンライン / 2025年1月18日 6時0分

「お姉ちゃん行きま~す」とライブ前に電話で…中山忍(52)に姉・中山美穂がかけた“大切な言葉”

2024年10月、「中国映画週間」の閉会式に出席した中山忍(52) ©時事通信社

 今月9日にスタートしたフジテレビ系のドラマ『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』の第5話(2月6日放送予定)に中山忍が出演する。

姉の演じた役を引き継ぐ

 中山が演じるのは、主人公(香取慎吾)の義弟(志尊淳)が保育士として働く保育園の園長で、当初は彼女の姉である中山美穂が起用され、すでに第1話にも登場している。だが、美穂が昨年12月に急逝したため、妹の中山がその役柄を引き継ぐ形で、役名も設定も新たに演じることになった。ドラマの公式サイトによれば、今回の出演は中山自身の強い希望によるものだという。彼女は同サイトに寄せたコメントで次のように説明している。

《姉の不在の存在感の大きさに、現実のこととはとても思えず、ポカンとしてしまう日々を過ごしておりました。ふと、姉が撮影中だったドラマはどうなったんだろう…と、思いを馳せたとき、別れ際にはいつも“あとは忍、よろしくね”と軽やかに去っていった姉の笑顔が心に広がり、シンと冷えた心の奥に沸々と熱いものが湧き上がってくるのを感じました。/“演じたい”と口にすべきか悩みましたが、最後くらい素直にならなくては後悔すると思い直し、ご相談させていただきました。姉の演じた役を引き継ぐ形で作品に携わることができますことをとても嬉しく思っております。(後略)》

デビュー当初はいつも“中山美穂の妹”

 きょう1月18日に52歳の誕生日を迎えた中山は、高校1年生だった1988年の夏、ドラマ『オトコだろッ!』に出演し、芸能界にデビューした。3歳上の姉の美穂はこのときすでに押しも押されもしないスターであり、ドラマや映画で活躍するとともに歌手としてもヒットを飛ばしていた。

 そもそも中山がデビューするきっかけも姉がらみであった。それは中学時代、姉が初めて海外へ仕事に行くので家族で成田まで見送りに行ったときのこと。彼女が空港の喫茶店でアイスを食べていると、姉のロケのディレクターとして来ていた映画監督でドラマ演出家の吉田啓一郎に声をかけられ、プロフィールについて色々と訊かれた。このあと、吉田から彼女の話が業界に回ったらしく、別の芸能関係者から母を通じてドラマ出演の打診があった。そのときは断ったものの、高校入学を機にやってみようかなと思い立ったという。

「ライバルは誰ですか?」と訊かれ…

 しかし、中山はとくに芸能界に憧れていたわけではなく、初めてドラマに出るときも「ちょっと面白そうだな」というぐらいの軽い気持ちだった。そのため、いざその世界に入ると戸惑うことだらけで、本人に言わせると挫折の連続だった。取材を受けても、もともと人見知りで、大人が怖かったこともあり、「はい」「いいえ」「そうですね」ぐらいしかしゃべらないのでインタビュアー泣かせだったらしい。

 その上、デビュー当初はいつも“中山美穂の妹”として見られ、とかく姉と比較されることにも抵抗感があった。取材のたび「ライバルは誰ですか?」と訊かれ、相手があきらかに「姉です」と答えることを期待しているとわかっていても、意地でもそう答えなかったという。

俳優業に舵を切り、マネージャーとの二人三脚

 80年代にアイドル路線で出発しただけに、歌手としてもドラマデビューした年にリリースした「小さな決心」をはじめ、8枚のシングルを出している。ただ、本人は《ヘタだったし歌詞が覚えられない。歌の1番を2回歌ったりコンサートでは自分の歌なのにどこで終わるのかわからなくなったり(笑)。(中略)ホント、向いてなかったんです》とのちに顧みている(『週刊大衆』2007年3月12日号)。

 そんな中山が俳優業に舵を切るようになったのは、デビュー3~4年目についた女性マネージャーの協力が大きい。あるとき、テレビのバラエティ番組に出た帰り、マネージャーに「もう着ぐるみとか着るのいやなんです」と漏らした。初めて本音をぶつけた彼女に、マネージャーは「いやだっていう代わりに、これならできるってことを提案しなさい。それが大人のやり方ですよ」と教えてくれたという。そこから彼女は自分は何をやりたいのかじっくり考えた結果、芝居が一番好きだから俳優一本で行きたいと思いいたる。マネージャーもそれを理解してくれ、以来、二人三脚が始まった。

 水谷豊主演の『刑事貴族3』(1992年)に出演したのはそんな時期だった。その撮影現場で、演技中はまばたきをしないこと、セリフはちゃんと語尾までしゃべることなど、水谷から演技について基本的なことを教えられたという。

 同じ現場では名バイプレイヤーであった地井武男からも、演者としてどう現場でふるまえばいいかということを厳しく教わった。中山は当初、現場には撮影が始まる少し前に行けばいいだろうと思っており、やはり若手だった彦摩呂とはしゃぎながらスタジオに入ったところ、遅刻ではなかったものの、地井から「おまえたち、一番年下なのに、どういうことだ!」と叱られてしまう。おかげで彼女は、若手は一番に現場に入り、スタジオやスタッフの感じをつかんでおかねばならないと学んだという(『週刊大衆』2021年5月31日号)。

大きなターニングポイントとなった作品

 いざ俳優業に進みたいと決めてからは、マネージャーも容赦しなかった。撮影中にNGを出そうものなら叩かれそうな勢いだったが、だからこそ中山は頑張れたという。そうやって本格的に俳優の道を歩み始めた頃、大きなターニングポイントが訪れる。それは、映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)に出演したことだ。

 同作で中山が演じたのは、怪鳥ギャオスの生態を調べ、その対応策を立案する鳥類学者の長峰真弓という役である。脚本の準備稿を一読した彼女は、追い詰められても絶対に「私できません」と言わない長峰の凜々しさにすっかり魅せられ、ぜひ演じてみたいと思ったという。それからというもの監督の金子修介に手紙を書いたり、オーディションには事前にセリフを全部入れた状態でのぞんだりと猛アピールして、この役を射止めた(楠野一郎監修『戦う女優(ヒロイン)』扶桑社、2000年)。

炎天下での過酷なロケも乗り切った

 劇中、長峰が木曽山中の吊り橋で、襲撃するギャオスから少年を守ろうとする場面は、炎天下のなかロケが行われた。このロケは、少年のダミーで使われた人形が暑さで溶けてしまうほど、撮影全体でもとくに過酷さをきわめたが、どうにか乗り切った。中山は公開時にこのときを振り返り、《あの時点で、自分が出来ること以上のものをみなさんに引き出してもらったと思うんですよ。みんなに“長峰、長峰”って声をかけてもらって、本当にスタッフの方々には支えられました。もし映画の神様がいるのなら、この映画に出られたことを、その方に感謝したい気持ちです》と語っている(『キネマ旬報』1995年3月下旬号)。この言葉からは彼女がこの役にたしかな手応えを感じたことがうかがえる。

 長峰真弓は中山の当たり役となり、1999年公開の『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』にも再登場する。同じ年にはフジテレビのドラマ『彼女たちの時代』で、同世代の深津絵里や水野美紀とともに仕事や恋に揺れ動く等身大の20代OLを演じ、話題を呼んだ。

『彼女たちの時代』のプロデューサーは中山に『ガメラ』が好きだと言ってくれたという(『戦う女優(ヒロイン)』)。このドラマで彼女が演じた浅井次子は、男性優位の社会に毅然と立ち向かっていく女性として描かれた。そこには長峰のキャラクターも反映されていたのかもしれない。

 中山は、映画をフィルムで撮っていた時代より、現場で職人気質のスタッフからときに怒鳴られながらも俳優として経験を積んできただけに、映画に育てられたという思いが強い。その後も、『千年の恋 ひかる源氏物語』(2001年)や、フジテレビのドラマを映画化した『大奥』(2006年)などの話題作に出演している。2021年公開の『いのちの停車場』では、東映の岡田裕介元会長(公開の前年に死去)から直々にオファーを受け、主演の吉永小百合の母親役を演じた。

100本を超える2時間ドラマに出演

 テレビでは100本を超える2時間ドラマに出演し、いまや“2時間ドラマの新女王”の異名をとるまでになっている。昨年には桂正和の往年の人気コミックを連続ドラマ化した『ウイングマン』(テレビ東京)で、変身ヒーローに憧れる主人公の少年を温かく見守る母親を演じた。この起用に喜んだ特撮ファンも多いのではないか。

 もっとも、彼女のなかには特定のジャンルや役どころにこだわりはない。《これは20代の頃から言ってるんですけど、母親の年代になったら母親役を、おばあちゃんの年代になったらおばあちゃんの役を、そして天使も悪魔も両方やりたい。2時間ドラマで言えば犯人も警察側も》とあくまで貪欲だ(『週刊実話』2023年8月17・24日号)。他方で、近年はバラエティ番組でもその天然キャラぶりで笑いを誘い、クールなイメージの姉とはまた一味違う道を歩んでいる。

 いま一度、話を『ガメラ 大怪獣空中決戦』の頃に戻すと、中山は同作での演技を高く評価され、1995年度のヨコハマ映画祭とブルーリボン賞では助演女優賞を受賞した。奇しくも姉の美穂もこのとき『Love Letter』で主演女優賞を受賞し、両方の授賞式で姉妹そろって同じ舞台に立つことになる。姉にとっても受賞作は俳優人生のターニングポイントとなった作品であった。その意味で、姉妹はこのとき同じスタートラインに立ったともいえる。

姉の主演作を観て「私もやりたかった」と初めて思う

 中山自身も、それまで自分と姉では雰囲気や性格も違うし、接点が全然ないと決めつけていたのが、『Love Letter』を観て「ああ、私もこの役をやりたかった」と初めて思ったという。そして、《これから先は、私も姉とライバルになりうるんだな、ふたりで同じ役を巡って張り合うときがくるのかもしれないな、なんて考えました。/もちろん、(中略)今も姉は、常に私の前を走っている大きな存在であることに変わりはありません。ただ、自分自身のやりたい方向が見えたとき、姉の背中だけでなく、横顔がちょっと見えた気がしているのです》と、姉を同じ俳優として意識するようになったことを明かしている(『婦人公論』2002年7月7日号)。

「憧れは中山美穂」と素直に言えるようになった

「憧れは中山美穂」と素直に言えるようになったのも、そのころからだった。中山の部屋には姉の作品が映画、CD、本とすべてあるという。それまでスターである姉に対し精神的にちょっと距離を感じていたのが、身近に感じられるようになり、姉のことがすごく好きになっていったらしい。物理的な面でも、20代前半までは二人だけの時間というのを全然持てなかったのが、姉が2002年に結婚する2~3年ぐらい前から一緒に買い物や食事に出かけられるようになったという。

 姉は結婚にともないパリに移住したが、2014年に協議離婚したのち帰国。それからというもの姉妹で会う回数が自然と増えていった。中山に残る姉との一番古い記憶は、幼い頃、姉の漕ぐ自転車の後ろに乗りながら一緒にピンク・レディーの「サウスポー」を歌っている場面だというが、お互い40代に入ってそんな子供時代の関係に戻っていくように彼女は感じていたようだ。

 先述したとおり、中山はアイドル時代に歌が下手だと自覚し、その後ほぼ封印していたものの、一昨年(2023年)の誕生日、デビュー35周年を記念して東京・丸の内のCOTTON CLUBで30数年ぶりにライブを開催している。さらに昨年には同じ会場で、公私を通じて親しくしている宝塚歌劇団月組の元トップスターの紫吹淳と歌のコンサートを開いた。

 ただ、本番までは不安でしかたがなかった。そこへ姉が心配して電話をくれた。中山が「どうしていいのかわからない」と返すと、「じゃあ、お姉ちゃん、行きま~す」と言って、リハーサルを見てくれることになる。とはいえ、姉は来てくれたものの、具体的なアドバイスは一向に出ず、普段中山の舞台を見にきてくれるときと同じ調子で「可愛いから大丈夫」と言うだけであった。だが、最後に少しだけ真面目な顔をして、「あのね、ライブはやり続けることに意味がある。だから、これで終わらせちゃいけないよ」と言ってくれたという(『週刊新潮』2025年1月2・9日号)。

 じつは姉のほうも、2020年に50歳になるのを記念して予定していた単独コンサートをコロナ禍のためやむをえず中止したのち、ようやくこの前年の2023年、24年ぶりの全国ツアーとして実現させていた。上記の妹への言葉もその感慨を踏まえて出たものだったのではないか。中山は姉の死後、このとき言われたことを改めて思い返し、《私にとっては、これが姉の遺言になったような気がしてなりません》と語っている(『週刊新潮』前掲号)。

「姉妹での最初で最後のドラマ共演、心を尽して演じます」

 中山は20代の終わりぐらいから姉と共演したいと、ことあるごとに語ってきた。あるインタビューでは、《どんなものをやりたいか、実は勝手にいろいろ描いてて……。ふたりでひとりの人を奪い合うような、本当のライバルをやってみたいなとも思うし。吉本ばななさんの『アムリタ』みたいな、姉が、亡くなった妹を心からいとおしく思っている作品もやりたいですね。仕事を通して、お互いの違う面を発見するかもしれないという興味もあります》と、具体的な作品名まで挙げながら夢見ていた(『婦人公論』前掲号)。

 吉本ばななの小説『アムリタ』では、主人公の妹は子役モデルから女優となるもノイローゼのため引退し、作家と暮らしていたところ、事故で亡くなってしまう。設定的に現実の中山姉妹と重なるところもあるだけに、もし実際に同作が映像化されて姉妹共演が実現していたらどんなものになっていたのかと、つい想像してしまう。

 結局、姉妹共演は、姉の生前には実現しなかった。それでも中山は今回、前出のドラマ『日本一の最低男』で姉の役を引き継ぐに際し、《姉が残してくれた、このご縁を大切に、姉妹での最初で最後のドラマ共演、心を尽して演じます》と誓っている(ドラマ公式サイト)。同じ場面で一緒に演じるわけではないが、姉の遺志をしかと抱えて演じるのだから、まぎれもなく共演といえる。来月、彼女が出演する回を観る側も心して見届けたい。

(近藤 正高)

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