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「団結が喪失」「ありえない」45年前の戒厳令を知る韓国軍将校があぜん...“時代錯誤な戒厳令”でみえた韓国軍の“変化”とは

文春オンライン / 2025年1月25日 6時0分

「団結が喪失」「ありえない」45年前の戒厳令を知る韓国軍将校があぜん...“時代錯誤な戒厳令”でみえた韓国軍の“変化”とは

©AFP=時事

 ハナフェ(ひとつの会)。1979年12月12日、戒厳令下の韓国で起きた「粛軍クーデター(1212事件)」で主役を担った韓国軍の秘密私的組織だ。ハナフェの旧メンバーたちは、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が昨年12月3日に強行した戒厳令をどう見ていたのだろうか。ハナフェの会員だった元韓国陸軍将校に話を聞いた。

全斗煥、盧泰愚らがつくった陸士出身者エリート組織

 ハナフェは韓国陸軍士官学校11期生(陸士11期)の全斗煥(チョンドゥファン)元大統領や盧泰愚(ノテウ)元大統領らが中心になってつくった私的組織だ。元将校はハナフェの名前の由来について「一人の人間が考え、行動するように団結するという意味だ」と語る。ハナフェは当時の朴正煕(パクチョンヒ)大統領を盛り立てる役割も担っており、朴大統領もその存在を黙認した。

 ハナフェはどのように人材を選抜していたのか。元将校は陸士を卒業後、ほどなくして先輩から声をかけられた。「その時は先輩たちの会合に誘われただけだと思った。ハナフェという名前も後で知った」。陸士の同期約300人のなかから、陸士での成績や野戦司令官としての才能、人格などを見極め、「これは」と思った人物を、期別に約10人ずつ選んでいた。

 会合では、先輩軍人たちから「韓国軍人の模範にならなければならない」と口を酸っぱくして言われたという。自然と会員たちの間にエリート意識が生まれた。元会員も「ハナフェの会員になった時点で、将来は1スター(准将)以上になるのは当然だと皆考えていた」と語る。

1979年・粛軍クーデターを機に権力を手中に

 ハナフェが名実ともに国家権力を握ったのが1979年の粛軍クーデターだった。事件当時、全斗煥氏は軍の保安司令官で、朴正煕暗殺事件を調査する合同捜査本部長だった。調査の過程で、戒厳司令官だった鄭昇和(チョンスンファ)陸軍参謀総長(大将)が、暗殺事件の現場になった大統領専用施設の敷地内にいたことがわかった。

 全氏は真相究明のため、鄭氏の調査を主張したという。ただ、全氏は当時、少将。鄭氏よりも軍内の立場が弱かったため、ハナフェや保安司令部の機能をフルに使い、鄭氏の逮捕を目指して銃撃戦を起こしたという。

「最初から権力奪取が目的ではなかった」

 当時の事件をよく知る町田貢元駐韓日本公使は「全斗煥は合同捜査本部長の職責を果たそうとしただけで、最初から権力奪取を目的に事件を起こしたわけではない」と語る。

 ただ、結果的に、鄭氏を逮捕したことで、全氏とハナフェは軍の実権を握った上、全斗煥氏は1980年9月、大統領に就任することになる。元将校は「もう大統領まで出したんだから、ハナフェもいらないだろうという話になった」と語る。1980年の陸士36期を最後に、ハナフェは新しい会員の募集を停止した。

尹錫悦大統領による戒厳令にみる韓国軍人の変容

 こうした運命をたどったハナフェ元会員の元陸軍将校は、今回の尹錫悦大統領による戒厳令をどう見ているのだろうか。元将校は「今回の戒厳令はあってはならないこと」と強く批判する一方、45年前と現在の韓国軍・韓国軍人の落差に愕然としたとも語る。

 粛軍クーデター当時、保安司令部が軍隊内部の通信網をすべて抑えていた。盗聴を通じ、鄭昇和参謀総長側の動きをすべてつかみ、鎮圧に回ろうとする部隊を先んじて制圧した。元将校は当時、ソウルの部隊に勤務していたが、全く粛軍クーデターの計画を知らなかった。銃撃戦の発生後、ソウル市内の漢江にかかる橋が封鎖された事実などから、ようやく異変を察知したという。

 これに対し、尹大統領による戒厳令では、事前に情報が洩れることを恐れるあまり、徹底した準備ができなかった模様だ。1979年当時の様子を知る国家情報院(KCIAの後身)元幹部は「本来なら戒厳令布告と同時に、逮捕対象者を拘束しなければならない。戒厳令を出した後で、逮捕対象者を捜すなどあり得ない」と語る。韓国司法当局の調べによれば、尹氏は戒厳軍の指揮官らに電話で、「だから、事前に軍を配備しておけといったのに」と不満をぶつけていたという。別の韓国軍元将校は「今の若い兵士にとってスマホを見るのは、食事を摂るのと同じだ。スマホを与えないと、彼らは死んでしまう」と語る。どこから情報が洩れるかわからない状況で、準備にも限界があったのだろう。

 また、ハナフェの元会員だった元将校は、戒厳軍に参加した指揮官たちの態度にも唖然としたという。指揮官らは戒厳軍として出動する一方、市民との衝突を極力避けた。国会では「良いことだとは思っていなかった」などとも証言した。元将校は戒厳軍指揮官たちの言動の是非はさておき、ハナフェのような「一人が考え、一人が行動しているような団結」が軍から失われていることに驚いたという。抗命するなら、職を辞すしかない。一度命令を受け入れた以上、最後までやり遂げるべきだという。

戒厳令を助言した金龍顕にみる「ハナフェの亡霊」

 今回、戒厳令を尹錫悦大統領に助言した金龍顕(キムヨンヒョン)国防相(当時)は陸士38期。ハナフェが募集を停止した後に入隊した幹部だ。ただ、ハナフェの解散により、韓国では軍に対する文民統制が強化される一方、政治の顔色をうかがう軍人も増えたという。金龍顕氏は職務に熱心な軍人で、陸軍作戦本部長などを歴任し、「将来は4スター(大将)間違いなし」と言われていた。ところが、文在寅政権の時、中将で予備役に入り、周囲に不満を漏らしていたという。金氏は、同じソウル・沖岩高校の1年後輩の尹錫悦氏が大統領に就任後、大統領警護処長として返り咲き、国防相にまで上り詰めた。

 ハナフェはなくなったが、ハナフェの亡霊は今でも韓国軍のなかで生き続けている。

(牧野 愛博)

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